1945年8月15日、昭和天皇が終戦の証書を読み上げた録音がラジオで流れました。父は一生懸命ラジオを探したが入手できず、その時は聞くことはできませんでした。やがてラジオを買うことができ、再放送があり、昭和天皇の言葉を聞くことができましたが、その言葉の中で今も私の耳に響いていることは「しかれども朕は時運のおもむくところ、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す」でした。
身近な沖縄、広島、長崎の地獄を知った昭和天皇とその仲間達は戦争を続ければ、それが本土防衛であっても、日本人全滅、全国土荒廃を予感しました。これ以上戦没者を出してはいけない、荒廃地を出してはいけないとの思いで、敗北を受け入れたのだと思います。
これは人間性のある判断だったと思います。当時の日本人は敗北に耐えることができなかったのですが、昭和天皇は耐えよ、忍べ、そうすることによって永遠の平和をつくりたいと言いました。
この精神あるいは知識が今の日本にあれば、本当に日本は平和づくりの先頭に立ち続けることができるのですが、防衛力・アメリカとの同盟強化、台湾有事は日本有事などと騒ぎ、敵基地攻撃能力を持ちたいと言います。万世のために太平を開きたくないと言っています。