心の旅紀行

人の生き方を追及していると自然に世界に通用する法が見つかります。kiko

靖国神社に参拝する政治家の本心は何か

2022年08月15日 | 世界

政治家は、靖国神社だけでなく、ほかの宗教団体にもいい顔をしていることから判断して、信仰心は不純、目的は選挙のとき信者に投票してもらいたいからではないかと思います。特に太平洋戦争では戦死者が多く、大勢いる遺族や、戦死者の鎮魂を重視する人々のことを思うと、戦死者の霊を粗末にしてはいけないと考えるのではないでしょうか。

1975年11月21日の昭和天皇行幸が靖国神社天皇参拝の最後となり、以後、天皇は誰も参拝していません。天皇に戦死者鎮魂の思いがあることは明白ですが、靖国神社の方針が天皇の思いと一致せず、苦慮した上、参拝は中止し、8月15日の政府主催の終戦記念式典で、戦死者も含め、戦没者鎮魂の思いを述べることにしたのでしょう。

私は何度か靖国神社にある遊就館を見学したことがありますが、日本の戦争や、武器や、軍人を誇る雰囲気が漂う博物館で複雑な気持ちになりました。戦争放棄、平和希求の憲法と調和していません。戦争に関する深い考察が欠け、幼稚っぽい戦争礼賛の考えで運営されている博物館という感じでした。

50年ぐらい前は、平和だったので靖国神社本殿に自由に入ることができましたが、今は敷居が高くて自由に入れません。今は誰かに本殿を破壊される恐れがあり、警備を厳重にしています。平和重視の宗教団体らしくありません。平和ではないからでしょう。

特に韓国、中国、朝鮮(北)は靖国神社嫌いです。岸田文雄新内閣の閣僚や自民党で今回は靖国神社参拝者が続出していますが、彼らはこれらの国とは今後外交をやりませんと宣言したようなもので、政治家としての活動範囲を自分で小さくしたと思います。政治家としては単純すぎ(子供っぽすぎ)と思います。

彼らはこれらの国に自分達が参拝することに慣れろと言いますが、これは無理な要求と思います。

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1940年8月15日、天皇、終戦の詔書を放送

2022年08月15日 | 世界

昭和天皇およびその周りの人々は、沖縄、広島、長崎の地獄を見、さらに8月8日、日ソ中立条約(1946.4まで)があったにもかかわらず、ソ連が対日宣戦布告をして満州に進撃し、日本陸軍総崩れを見、戦争を続ければ日本は全滅と予測し、1940年8月14日、ポツダム宣言を受諾すると回答し、8月15日、戦争終結の詔書を全国民に放送しました。降伏文書に調印したのは9月2日でした。

「然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」

これは詔書の一部ですが、これはまさに憲法第9条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)の理念ではないでしょうか。現代に応用すると、ロシアのウクライナ戦争、中国の台湾戦争計画実行のための軍事訓練などを見ると、まさに時運の趨勢は戦争ですが、もう我慢がならないなどと言わず、必死に耐えて永遠の平和を築こうということになります。

昭和天皇達は、アメリカに相談してこの詔書をつくった訳ではありません。国民が民主的につくった訳ではありませんが、日本国民は、詔書の放送を聞いて、すべて、ぴたっと戦争をやめ、趣旨を受け入れました。進駐したアメリカ軍と徹底抗戦した日本軍はありませんでした。

「萬世ノ爲ニ太平ヲ開カム」とはどういう意味か、防衛力・アメリカとの同盟強化、敵基地攻撃能力をもちたい、反撃能力を持ちたいなどと主張する戦争知らずは理解できるまでこの詔書を読んでほしいものです。

安倍晋三元総理の積極的平和(軍事力均衡による戦争の回避)には「永遠の平和」がありません。日本国憲法には「永遠の平和」があります。戦争の放棄がこわいと思う人は、とりあえず、山の国スイスの中立を学ぶといいと思います。スイスは昔は防衛に明け暮れ、産業未発達の時代は、傭兵を出し、戦死者累々の悲哀を経験し、産業に注力し、自立し、中立を決意し、第二次世界大戦ではあのドイツからも侵攻の対象になりませんでした。日本は太平洋戦争の悲哀を反省し、海の中立国になることを決意するといいと思います。「戦争を呼ぶ恐怖」があることを人々は知るべきです。

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