心の旅紀行

人生は神と自我の二人三脚 kiko

日本は沖縄を防衛前線として利用しすぎ

2023年07月23日 | 世界

沖縄には15世紀琉球王朝(尚氏王朝)があり、東アジア諸国との中継貿易で栄えたそうです。島津氏とも善隣友好関係を結んでいたそうです。16世紀末、威張りん坊の秀吉が、服従と朝貢を求めたが琉球は拒否しました。この一件で島津氏との関係も悪化し、1609年、島津氏は琉球を征服しました。形として王朝は残りましたが、琉球は自由自主を失いました。1872年、王朝は廃止され、琉球藩となりました。1879年、廃藩置県で沖縄県になりました。

このように1609年以降は、自由平等平和どころか、日本が力で沖縄を支配してきました。

江戸時代、明治以降、戦後、日本の統治で沖縄の人々は幸福になったでしょうか。幸福と感じて来たでしょうか。戦後はアメリカ占領時代が長く続き、占領が終わってもアメリカ軍基地だらけです。日本は沖縄の人々の自由平等平和を取り戻すために具体的な実績を残してきたでしょうか。不自由のつぐないとして交付金・補助金をつぎ込んできたが、不自由そのものを取り除く努力は弱かったと思います。

今、また、台湾有事は日本有事と言って日本はアメリカ軍基地に加えて自衛隊基地の拡大に努めています。沖縄県の自由自主など認めていません。これはひどいのではないでしょうか。

沖縄県の未来は沖縄県が自由自主で考え、それを日本が支援する形に変えてはどうでしょうか。沖縄県には日本統治がよかったという思い出が少ないと思います。

なお、不利な条件下でも沖縄県人は、元気を出し、自由自主の精神で産業計画を立て、世界と交流する気概で、世界から資本を集め、事業・仕事を起こし、日本政府依存をへらしてほしいと思います。不平不満だけではいけません。調査企画実行が重要です。事業家・仕事人育成計画を強化するといいと思います。元気になってほしいと思います。琉球文化を大切にし、元気の源にするといいと思います。貧乏根性に負けないことです。日本の交付金・補助金は利用すると考えるといいと思います。日本に計画をつくってもらうようではいけません。

 

 

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表現の自由には許される範囲がある

2023年07月23日 | 世界

コーランを焼くデモが表現の自由と言って許されるか、コーランを大切に思う人々・国々が、怒って破壊的行動をおこし、国際紛争の原因になっている現状をよく見てアメリカ・ヨーロッパなど表現の自由を重視する国はよく考えるべきと思います。

表現の自由を拡大解釈すると、ロシアがウクライナをロシア化したいと考え、その表現として戦争をおこすことは表現の自由の範疇にはいります。アメリカ・ヨーロッパは、それは表現の自由だと言って許可するでしょうか。殺人的だ、破壊的だと批判して許可しないでしょう。

表現の自由は、表現が刺激的すぎると人々・国々の我慢の限界をこえることがあります。

コーランを焼いてデモを行っても、殺人したり、生活・生産環境を破壊する訳ではないから許される範囲だというのがアメリカ・ヨーロッパの考えですが、コーランは世界三大宗教の一つ、イスラム教の教典です。イスラム教を国教とし、社会秩序維持を行っている国が多いと思います。

あえてコーランを焼くデモを行ってイスラム教信者や、イスラム教国を怒らせる行為はよくないと思います。

私はイスラム教信者ではありませんが、コーラン日本語訳を買って、学ぶ気持ちで読みました。一番むずかしかったのは、預言者ムハンマドが、当時の差別社会改善のためと思って、差別する権力者と戦争し、権力者を排除し、人々を解放したことです。(注)仏教教祖ガウタマ・シッダールタや、キリスト教教祖イエス・キリスト、イギリスからインドを解放したマハトマ・ガンディーは、武器をとって権力者と戦争しませんでした。真理を悟ること、言葉を重視すること、真理・真実を教えることで人生改善、社会改善を試みました。

イスラム教信者はこれを聖戦と呼びます。現代でも信者の中の過激派は、イスラム教・イスラム圏慣習を厳格に守るイスラム教国をつくろうと戦争をおこなっています。ところが聖戦を悪用して差別的な権力者が独裁的な国をつくろうとするので、イスラム圏内でも紛争が絶えません。しかし、コーランを読むと、基本は人生を改善する、社会を改善するという教えであり、焼き捨てるべき悪書とは到底思えません。各家庭に一冊あってもいい書物と思います。まじめに読んでおいた方がいい書物と思います。

 

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