心の旅紀行

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表現の自由には許される範囲がある

2023年07月23日 | 世界

コーランを焼くデモが表現の自由と言って許されるか、コーランを大切に思う人々・国々が、怒って破壊的行動をおこし、国際紛争の原因になっている現状をよく見てアメリカ・ヨーロッパなど表現の自由を重視する国はよく考えるべきと思います。

表現の自由を拡大解釈すると、ロシアがウクライナをロシア化したいと考え、その表現として戦争をおこすことは表現の自由の範疇にはいります。アメリカ・ヨーロッパは、それは表現の自由だと言って許可するでしょうか。殺人的だ、破壊的だと批判して許可しないでしょう。

表現の自由は、表現が刺激的すぎると人々・国々の我慢の限界をこえることがあります。

コーランを焼いてデモを行っても、殺人したり、生活・生産環境を破壊する訳ではないから許される範囲だというのがアメリカ・ヨーロッパの考えですが、コーランは世界三大宗教の一つ、イスラム教の教典です。イスラム教を国教とし、社会秩序維持を行っている国が多いと思います。

あえてコーランを焼くデモを行ってイスラム教信者や、イスラム教国を怒らせる行為はよくないと思います。

私はイスラム教信者ではありませんが、コーラン日本語訳を買って、学ぶ気持ちで読みました。一番むずかしかったのは、預言者ムハンマドが、当時の差別社会改善のためと思って、差別する権力者と戦争し、権力者を排除し、人々を解放したことです。(注)仏教教祖ガウタマ・シッダールタや、キリスト教教祖イエス・キリスト、イギリスからインドを解放したマハトマ・ガンディーは、武器をとって権力者と戦争しませんでした。真理を悟ること、言葉を重視すること、真理・真実を教えることで人生改善、社会改善を試みました。

イスラム教信者はこれを聖戦と呼びます。現代でも信者の中の過激派は、イスラム教・イスラム圏慣習を厳格に守るイスラム教国をつくろうと戦争をおこなっています。ところが聖戦を悪用して差別的な権力者が独裁的な国をつくろうとするので、イスラム圏内でも紛争が絶えません。しかし、コーランを読むと、基本は人生を改善する、社会を改善するという教えであり、焼き捨てるべき悪書とは到底思えません。各家庭に一冊あってもいい書物と思います。まじめに読んでおいた方がいい書物と思います。

 


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