退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

幸福な世界 9

2015-10-03 05:18:29 | 韓で遊ぶ


運命を変えた1,68秒
去る1996年、アメリカの南東部の最大都市アトランタで、世界の祝典であるオリンピックが開かれた時のことです。オリンピックの花といえる陸上競技があった日。400mの決勝を前にしたスタートラインに一人の選手が歩いていきました。全世界の視線を一身に集めた男。彼はアメリカの陸上選手マイケル ジョンソンでした。すでに200m決勝で新記録を立てて金メダルを手にした男。上体をまっすぐにしてすたすたとした歩調で走る一名「スタカート走法」が彼の特技だった。彼の実力が卓越してはいたが、だからと言って2種目で金メダルを獲得するのは、無理だというのが一般的な見方だった。
「今日もマイケル ジョンソンが勝つことができるでしょうか。」
「どうでしょう。200mは短距離で、400mは中距離ですから、、、走法とか体力の按配、技術的な面で違いがたくさんあるでしょ。いずれにしても難しいのではないでしょうか。」
200mの勝負の鍵が早いスタートダッシュと最後の力だとすれば、400mは一定のスピードと持続力でした。多くの観衆が見守る中、とうとう出発の合図が鳴り広がりました。世界最高の選手たちの優劣をつけがたい伯仲の走り、、、、。みなの予想を覆し決勝線を一位で通過したのは、雷のように早い男、マイケル ジョンソンでした。短距離と中距離を超えて   世界陸上界を治めた男。彼は、胸をきゅんとさせる優勝のコメントでもう一度世界を驚かせました。
「この10年間、私は1.68秒を短縮するために血の出る努力を惜しみませんでした。その小さな差が、平凡な選手と世界的な選手を決定する秘訣でした。」
高校生の時だけ見ても、彼は200m21秒で走る、すごく平凡な選手でした。そんな彼が一躍世界的な選手として急浮上することができたのは、この10年の間、絶え間ない努力の力でした。目標に向って苦痛の日々を耐えて忍耐の時間を走ってきた男、、、。世界最高の陸上選手マイケル ジョンソンの誕生は、長い時間をかけて流した汗と情熱の賜物でした。
コメント
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