退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

幸福な世界 9

2015-10-02 06:58:34 | 韓で遊ぶ


おばあさんの七転八起
運転免許の学校で講師の仕事をしていた5年前のことです。夏休みを向かえ運転免許を取ろうとする学生たちと、子供を学校に出してハンドルを握るおばさんたち、、、、。その中にやけに目に付く受講生がいました。
「こんにちわ。先生。ほほほ、、、。」
60を超えた緩いゴムひものズボンをはいたおばあさんでした。1,2ヶ月もすれば合格するのが普通の免許の試験場で、おばあさんは成績が思わしくなく、1年近くハンドルと格闘していました。
一夜漬けの勉強でさっと試験に通る人も多いのに。おばあさんはしょぼしょぼする目をこすりながら一生懸命勉強しても、毎回、試験に落ちました。やっとのことで筆記試験を通っても、おばあさんにとって道は長かったのでした。
高齢者に技能試験は難しい関門でした。うっかりとエンジンをかけなかったり、ブレーキと間違えてアクセルを踏んだり、、、失敗を繰り返して、いつも試験に落ちて、大きく心を痛めてあきらめるかと思って見守っている人が気をもむほどでした。
幸いなことは、七転八起の雑草のような粘り強い根性で、おばあさんが挑戦をやめなかったことでしょう。筆記試験の有効期間が終わって再試験を受けなければならない時も、おばあさんは一番前の席で座っている模範生でした。
試験に一回、落ちるごとに頭が白くなることも知らず、おばあさんが運転免許に固執する理由、、、。何年か前、野菜を売り歩く商売をしていた息子が交通事故に遇ったからでした。トラックを運転していた息子が足を怪我して、すぐに暮らしが危うくなったのです。直接リヤカーを引いて商売をしようかとも思いましたが、おばあさんが選んだのはリヤカーではなく運転免許証でした。
「そうだ、直接トラックを運転してみるわ。」
ですが、試験を何回も受けても返ってくるのは不合格の知らせばかり。私が講師の仕事をやめる時にも、おばあさんは免許を取得できないでいました。だから心が痛みましたが、何ヶ月か後になって、うれしい知らせが伝わって来ました。あれだけ望んでいたおばあさんの合格の知らせでした。まるで自分のことのようにうれしかったです。もう5年前のことですから、今は老練なトラック運転主になって、どこかで希望に満ちて暮らしているでしょう。
しわのある顔には香りを、老木のような手には情熱を抱いていたおばあさん、、、。生きることが苦しく疲れた時には、白い髪をなびかせて運転するおばあさんの姿を思い浮かべたりもします。
コメント
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