本の中で見つけた道
我が家の暮らし向きが急に傾いたのは、私が小学校4年生の頃でした。画家になるのが夢でしたが、窮乏の現実に夢は夢として終わり、8人家族が一部屋に暮らす生活は、胸を押さえつけました。建設現場の日雇いで家族の生活を支えた父、、、。曲がった背中の内に隠された父の憂いを少しでも減らせるならば、できないことはないと思いました。
「中学校を卒業したら技術を学ばなければ。それが家族のための道だ。」私は決心した通り、中学校を終えてすぐに自動車整備工場に入りました。就職すれば熟練工としてお金をたくさん稼ぐことができると思っていましたが、私の担当は雑役でした。自分の食い扶持が少なくなるのではと心配する先輩たちは、徹底して技術を隠しました。道に迷った鳥のように目の前が漠然としたある日、私に目をかけてくれる一人の先輩がいました。
「俺が、一冊本を推薦してやる。その本を勉強すれば助けになるはずだ。」
先輩の一言に、私は彷徨の沼から抜け出して、古本屋に走っていきました。何日か分の手間賃を払って、その本を手にした瞬間、トンネルの終わりから一筋の光を見た気分でした。そして2年の間、私は本の中に入って行き知識の海を泳ぎました。その間、知ることの喜びに目を開き、学びの情熱に燃え上がりました。努力した者には機会が必ず来るもの。
「ボンイル、バスの整備してみるか。お前なら簡単にできるはずだ。」
たとえ本で学んだことがすべてだとしても、私は沈着で熟練した腕前で会社から認められました。
「いい腕だね。今日から作業班長と呼ぼう。」
10年の経歴がある人かがなることができる作業班長に昇進までして、私の人生の師匠の本がありました。
「これから、もっと一生懸命やるんだ。」
私はそこで止まりませんでした。本を小脇に抱え生きるほどに、自動車に関連する書籍を全部あさり、その都度、現場の実務に応用しました。
「一体こんな技術をどこで学んだのか。本当に大した腕前じゃないか。すごく立派だ、、、。」
どんなに複雑な問題も、本を見れば答えが見えて、世の中に知られていない技術も本を通して会得することができました。
油にまみれた手で自動車と共に生きて、いつの間にか40余年、、、。しっかりした事業体の社長として、後継の養成のために大学で講義をする先生として、大韓民国の最高の整備士として、私の道を歩いて磨いてきた間、私はひと時も本を手放しませんでした。孤独な一本道の人生を共に走ってきた私の永遠なる友、それが正に本でした。