退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

幸福な世界 9

2015-10-08 05:13:19 | 韓で遊ぶ


夢見る亀
11歳になる時まで、私の唯一の友達はテレビでした。友達と付き合わなかったのは、貧しい家の事情のせいでした。私は、母と二人で暮らし、最低生活費を支給されている貧しい環境を恥ずかしいと思っていました。自然に学校でも友達一人いない変った子供として仲間はずれにされ、母にとってはできの悪いダメな娘になって行きました。だんだんゆがんでいった私は4年生の冬休みを迎えました。その頃、放課後の奉仕活動を始めました。私が任された仕事は、福祉館の食堂のテーブルを拭くことでした。細々したことでしたが決して簡単なことではありませんでした。
「あ、何でテーブルがこんなにたくさんあるの。こんなことを何で私がしているのか、、、、。」
初めて奉仕を始めた時には、不満を言って暮らしました。そんな私を変えたのは、私が拭いたきれいなテーブルでおいしそうに食事をするお年寄りたちの姿でした。初めて手に余る喜びを感じました。そうして、私にとってそれからの週末は、一人で過ごさなければならない寂しい休日ではなくなりました。福祉館の食堂で奉仕活動をしながら休日を充実して送って、本当の孫のように暖かく接してくれるおじいさん、おばあさんがいるので、家族のように向き合って、、、、。ただ楽しくてしたことなのに、そのおかげで学校から「良い子賞」も、もらいました。中学生になっては、疎外された人々に弁当を配達し、1ヶ月に一度ずつ養老院へ行き、弟、妹のような子供たちに会いました。そこの子供たちを見ながら悟りました。母と一緒に暮らす私は幸せな子供だということを。
考えが肯定的に変わり生活態度が変ったら、成績だんだん上がって、自信感もだんだん付いて、学生時代、クラスの代表も引き受けました。2008年には「大韓民国人材賞」受賞することもしました。
今の私は、社会福祉士を夢見る20歳の大学生です。暗鬱な現実に苦痛を感じていた私が、福祉館で人生の喜びを見つけていつの間にか8年、、、。そんな奉仕の時間は私の人生の最高の贈り物でした。希望はいつも私たちの周りにあり、希望は探そうと努力する人のものだということがわかるようになりましたから。
少しだけ考えを変えれば、世の中は私に向って笑っているから、私はいつも自らに言い聞かせます。亀のように生きようと、、、、。たとえのろくても粘り強く歩いていき、誠実に前に進んでいく夢見る亀になろうと。
コメント
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