退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

幸福な世界 9

2015-10-10 06:20:35 | 韓で遊ぶ


和尚様の深い考え
1875年全羅北道、高敞で生まれたマナム僧は、早くに両親を失い、幼い頃に白羊寺に入山しました。後日、寺の住職になった僧は、餓えた農民を救うことに生涯を捧げました。畑を耕す農具ひとつ十分でなかったその頃、、、、。ひどい日照りに農地は干上がり、大きな洪水で汗を流して作った穀物が流されても、人々はただ天が助けてくれるのを願うしかありませんでした。飢饉に悩まされる農民にマナム僧は手を差し伸べました。白羊寺ではおかゆで食事を済ませたとしても、農民たちには米を分け与えたのでした。
そんなある年の春、マナム僧は餓えた村の人々を白羊寺の川の前に呼びました。
「川に堰を作るので皆さんの助けが必要です。」
日照りの時に田に水を引けるように、川に堰を作るということがマナム僧の計画でした。いきなり堰をつくるという話に人々は面食らいました。
「一家で一人ずつ必ず参加しなければなりません。手間賃は穀物でさし上げます。」
一度の食事が惜しい農民たちには、この上ないよい条件でした。村の人々は和尚様を助け、喜んで作業に参加し、夕方になると手間賃としてもらった米の袋を持って山の下の村に帰って行きました。これを見ていた若い僧がマナム僧に聞きました。
「和尚様、なぜ、しなくてもいい仕事を作って、村の人たちに食料を分け与えるのですか。」
マナム僧は笑いながら答えました。
「考えて見なさい。いくらおなかをすかせた農民だといって、食料をただでやると言ったら自尊心が傷つくのではないか。だが、仕事をしてもらった対価だとしたら、彼らもやましくないだろう、、、。」
川に作った堰は、村の人たちの負い目をなくしてあげるためのマナム僧の配慮であり、知恵だったのです。凶年がくるたびに農民に仕事を与えようと堰を作らせ、春になると山に赤いもみじの苗木を植えさせ、、、。その度に農民が手間賃としてもらうのは金よりも貴い食料でした。
マナム僧の慈愛に満ちた暖かい愛が白羊山の山裾を赤く染めたのです。
コメント
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