吉野彰さん

2019-10-10 09:23:52 | 日記
 日本人27人目のノーベル賞受賞者に旭化成の吉野彰さんに決まった。リチュウムイオン電池の開発に功績があったのが受賞の要因である。リチュウムイオン電池は今電気自動車やスマフォに携帯電話やパソコンに広く利用されて私たちの生活の身近にある存在である。あの東日本大震災による大津波の膨大な映像もリチュムイオン電池によって撮影された。ハイブリッドの自動車やスマフォにパソコンにビデオカメラと私たちの豊かな生活を支えているリチュウムイオン電池を改めて見直してその有意義さを考えてみなければならないだろう。
 リチュウムイオン電池の開発が旭化成という会社で行われていたことを初めて知った。旭化成は以前は旭化成工業と呼ばれて繊維事業が主たる業務だったと記憶している。私が取引先の会社に在職していたころは旭化成ベンベルグデシンという人絹の繊維製品を大量に仕入れて大きく業績を伸ばした。背広の裏地に使われて好評を得た商品である。当時の社長は宮崎輝さんでこのベンベルグデシンの売り上げもあってか財界の大物として頭角を挙げられたと記憶している。時代が変化して繊維は縮小になり本社も大阪から東京に移転して現在は総合化学メーカーとしてある。
 今日の新聞に旭化成ベンベルグデシンの好調な頃の社長の4男の元社長の訃報があった。創業社長の4人と息子はこれで全員鬼籍入りとなった。
 充電式の電池だが、以前三洋電機が発売した充電式髭剃り機のカドニカ電池があったと記憶している。いつの間にかそれはなくなり今はリチュウムイオン電池になっているようだが、カドニカ電池は充電の回数や容量に限界があったのかもしれない。リチュウムイオン電池が売れ出しのは1995年つまりパソコンの本当の出発点Windows95の発売だったと吉野さんは仰っている。Windows95は爆発的に売れた。それまでの常識を超えたパソコンで汎用的で誰でも手軽に何より多くの使う楽しみを世界中の利用者に与えたことだ。
 吉野さんはつい最近までケイタイ電話をお持ちでなかったとかである。外出先までひとに追い求められることに一種の嫌気がそれの要因でそれを聞いて私と同感だと思わず笑ってしまった。ノーベル賞受賞者の皆さんの共通の言葉だが、好奇心を忘れないで欲しいはこれまた同感で人生100歳を目指す今の後期高齢者はこのことばを肝に銘ずるべきだと思う。吉野さんは我が国はあらゆる面で川上は強いと仰っていた。川上とはつまり基礎科学(化学)のことだと思う。川中川下は中国韓国に押されっぱなしでこれからの我が国の力点をもっとこの方面にも注ぐべきとのことのようだ。とにかく今年もノーベル賞に日本人が輝いたということは何よりである。日本人の一人として嬉しい限りである。