昨日の沖縄慰霊の式典をテレビでみた。広島長崎の原爆の日は大々的に報道されマスコミにも取り上げられているが沖縄戦の組織的戦闘の終了した6月23日はそれほどでもない。
米軍の沖縄上陸は1945年4月1日、沖縄中部の読谷地区で日本軍を東西に分断して攻略する。最後まで残った本島南部の糸満が陥落したのが6月23日でこれで沖縄戦の日本軍の組織的抵抗が終了した。日本領内での戦闘で多くの戦闘映像が残されていて太平洋戦争の記録として取り上げられる機会が多い。75年前の映像である。米軍の装備は戦闘員の移動や武器弾薬の運搬はトラックに戦車であるし、弾薬は使い放題の重装備、日本軍の洞穴に立てこもる戦術に対するものとしての火炎放射器等々先進的な軍装備である。対する日本軍は兵士の持つ小銃と手榴弾くらいで日露戦争時代とあまり変わらない。もっと言えば織田信長時代の装備に少し毛の生えた程度とは司馬遼太郎氏の弁だ。よくぞ戦ったものだと今にして思う。当時の日本軍中枢部と政治家はどの程度の人だったのであろうか。
式典で首里高校3年生の高良朱香音さん17歳が「平和の詩」をそらで読み上げた。タイトルは「あなたがあの時」で読み上げたと書いたが多くの聴衆の前で堂々たる物怖じしない態度は見事であった。甲子園での選手宣誓もそうだが最近の高校生のレベルの高さがこれでよくわかる。
お隣の国朝鮮半島ではまたまた南と北でつまらないいざこざである。これは75年前と少しも変わっていない。世界はもう知ったものかと放り出しているかの如くだ。