太平洋戦争が昭和天皇の玉音放送で終わって75年を迎える。当時私は4歳であった。京都から父親の故郷に疎開して間もない頃でまだ近所の皆さんはラジオが普及していなかったそうである。天皇の言葉の放送があるということで我が家のラジオの前に集まって神妙に聴いておられた方があったとか。まだ4歳でその様子の思い出は記憶にない。
その4歳がもうすぐ80歳を迎える。その年代も仲間の何割かが鬼籍入りをしており戦争の記憶も歴史の彼方に消えてゆく。もちろん今では戦争体験者の方々はほとんどいないであろう。月月火水木金金という言葉がはやったそうで土日返上で勤労を美化強要し戦争に突入していったあの頃は年寄りは少なく子供が多く一家で6~7人の子供は当たり前。病気とか事故などありようがないという時代で葬式は老人の家庭だけという時代だった。
歌手俳優の渡哲也さんがお亡くなりになった。78歳。かっこよく清廉な人柄だった。思い出はNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」で戦艦「三笠」上でロシアのバルチック艦隊の撃滅を指揮する東郷平八郎役だった。昭和49年の大河ドラマ「勝海舟」の勝海舟役も主人公勝海舟にピッタシの俳優だった。ただ多少身体が弱かったかもしれず、途中で降板となりがっかりさせられた方も多かったのではないだろうか。その後も大腸がんを患い人工肛門の装着でのお仕事だったようだ。歌も達者で「くちなしの花」は多くのカラオケファンの持ち歌とするところでその他に「水割り」などがある。
ただ、その愛される人柄からか歌唱力はあまりうまいとはいえず、私たちカラオケ仲間での評判は「渡哲也でも」歌えるといった揶揄された表現の評価のようだ。今YouTubeでくちなしの花や水割りのカラオケを取り出し歌っている。今更ながらよい曲で今休止中のカラオケ同好会だが休止が解ければ是非これら渡哲也さんの持ち歌を歌ってみたいものだ。この「くちなしの花」だが石原裕次郎さんが「こんな古めかしい歌は今どき流行らない。もしヒットしたら銀座通りを逆立ちして歩いてやる」と渡さんに言ったとか。大ヒットでその後は石原裕次郎さんの逆立ちは無かったようだ。