長崎原爆忌、75年目の夏だ。広島に落とされた原爆とは違うタイプのものだった。威力は広島に落とされたウラン235とは違うプルトニウムを材料にして作られた。ウラン235はウラン鉱石の0.3%しかなくそれを精製して濃縮する過程が複雑で費用に膨大なものがかかるという。その点、プルトニウムは原子炉で出来る物質なので現在の核兵器に使用する核物質はすべてプルトニウム製の核爆弾といわれる。米国での世界初の核実験もプルトニウム原爆だったという。
ウラン爆弾は装置が簡単で臨界前の塊をぶつけて臨界状態にすればよくて従って実験は行われなかった。プルトニウム爆弾は材料が容易に調達できるが爆縮という高度の技術の完成に時間がかかったようで米国も当時この技術の拡散に神経をとがらせていたようだ。実験結果が一応の成功を収めた結果、広島長崎に投下というスケジュールだったという。ウラン爆弾は簡単に爆発するので誤爆発を惧れ原爆搭載機に積み込んだあと爆薬を装置するという念入りの投下行動だったと解説書にある。広島に向かった爆撃機B29のエノラゲイも長崎投下に向かった同ボックスカーもそれぞれ積み荷がただものではない代物だから投下までは乗組員もかなりのストレスがあったという。そのまま帰還は出来ないので必ずどこかに投下もしくは投棄しなければならなかったようだ。
75年の長きに亘る平和な時代、局地戦争はあったものの大きな国と国との戦争がなく平和が保たれているのは核兵器の存在なしには語れない。もしもあのヒトラーが核兵器を完成させた後にそれを武器に戦争を始めていたらどうなっていただろうか。75年前はまだそこまで技術が進んでいなかったのが幸いしたのか、それとも独裁者には軍事にはTNT火薬で十分といった古い感覚が根強くあったのか。今また中国の海洋進出で米国と火花を散らしているようだが不法な進出は昔の日本の東南アジア進出とそっくりで後進国の出しゃばりが世界戦争の火種にならないとも限らない。南シナ海は米国の潜水艦で埋め尽くされている。