今年も広島長崎の原爆忌を迎える。昨日のNHKNW9では先の太平洋戦争末期に米国の原爆投下の正当化についての米国市民の調査報告をしていて半数以上がその正当化を否定するものだとのことだ。時代が変わりもう戦争ができる状況ではない現状での調査もあろうが核に対する人々の感覚を表しているようだ。75年前のあの異常な世界の頃は戦争そのものが正義とみなされ軍備拡張して捕れるものは捕っておこうという強い物勝ちの風潮だった。そこには当然の如くそうはさせじの対立が発生する。それが戦争だった。
日本は北の脅威を除くためソ連と中立条約を締結し米英中と戦を仕掛けた。日露戦争の勝利の思惑があったのだろう米英何するものぞと挑んだ戦争もロシアとは大いに違う米国の大生産力の前に屈服せざるを得ない。とどめを刺されたのがあの2発の原子爆弾だった。ほぼ負け戦濃厚の時期にこの最新兵器である。中立条約締結のソ連がまさか戦争に加担するとは思わなかっただろうが、米英は役者が違った。ソ連を戦争に巻き込んでしまった。この辺が世界を見る目の米英と日本の政治当時の軍部の違いである。原子爆弾使用は戦争の早期終了の為には必要だったとは米国の見解で今もそれは変わりがない。あの2発の原子爆弾で大日本帝国軍部は白旗を揚げ8月15日に天皇の玉音放送だ。もしあの2発がなかったならば本土決戦として8月15日はなかっただろう。その間、ソ連は北海道へ上陸していたかもしれない。ソ連はとにかく南の陸地が喉から手が出るほどに欲しがっている国だ。
広島長崎で原爆で亡くなった多くの市民の皆さんは日本を分断国家から救った尊い犠牲として今後の歴史にその名を留めるであろう。何より豊かな民主国家米国の支配下に置かれたのが幸いした。原子爆弾は高価な授業料だった。