12月8日は旧日本軍が米国のハワイ真珠湾を奇襲攻撃した日で太平洋戦争が起こった。日本軍は6隻の大型空母に350機以上の航空機を搭載して攻撃しそれなりの戦果を挙げたがその他に5隻の特殊潜航艇も参加した。特殊潜航艇とはこれは人間魚雷で操縦士もろとも敵艦に突入して爆破沈没させる設計ですでに戦争末期の神風特攻機よりもはやく自爆戦力があった。この特殊潜航艇は全部で5隻で搭乗員は各2名であった。この自爆した搭乗員を賞して「九軍神」とたたえられたことは有名である。10名のうちひとりが生き残り米軍の捕虜第一号となった方がおられる。それが酒巻和男さんで長く名前が伏せられていた。潜航艇の計器が故障して操縦不能になり浅瀬に乗り上げた結果である。
当時の戦略兵器はいわゆる大鑑巨砲の考えで大きな大砲でもって相手を攻撃し戦艦や敵地の破壊が主たる考えだったが、日本軍のこのパールハーバー攻撃が見事な戦果を挙げまた東南アジアでは英国の戦艦を日本軍の攻撃機で撃沈させたりして航空機による攻撃が戦略の主流になった転換点となった。米国のこの対応は見事なもので航空機の大増産となりこの生産力に日本はついて行けずに敗北に繋がる結果となった。当初優位を誇ったゼロ戦も米国の対ゼロ戦として新たな戦闘機グラマンF6Fによって次第に劣勢に向かう。なにより日本軍部にとって以外だったのは米国の生産力で航空機や空母があとからあとから続々と補給され数でもって圧倒的に不利になってゆく。間違った米国感がすべてだった。
