真珠湾攻撃の際に出撃した5隻の特殊潜航艇(所謂人間魚雷)の内、ひとりの生き残りが米軍の捕虜となって戦後まで生きておられる。酒巻和男さんでその息子の酒巻潔さん(72)が父の残した手記を構成の残したいと父の心情を思い決意された。
酒巻和男さんの出身地は愛媛県伊予市で三机湾の特殊潜航艇に乗船して出撃した10人の写真を埋め込んだ新しい石碑が完成した。有志がクラウドファンデイングを募って建立したものだ。旧海軍は酒巻さんの捕虜を知っていながら公表しなかった。酒巻さんは捕虜となってそこで生活しながら米国の個人を尊重する社会を次第に肯定するようになり戦後帰国してトヨタ自動車会社に勤務された。生きることの大切さを説いて「死んで神なる、生き残ったら存在を消し去る戦争はおかしい」として手記を広く読んで欲しいと父の気持ちを代弁されたようです。
特殊潜航艇は2人の乗務となっていてひとりでは途中で心変わりを警戒した軍部の方針で2発の魚雷を装備して帰還不能な片道燃料だった。酒巻さんの艇は途中で航行不能になり泳いで脱出し浅瀬に座礁して捕虜となったとか。もうひとりは途中で見失ったようだ。