「軍神」の一人の手紙

2021-12-09 09:51:57 | 日記
 80年前の旧日本軍による米真珠湾攻撃の際の「特殊潜航艇」の乗組員9名の内のひとりの上田定さん(当時25歳)書き残した手紙が中国山地の小さな建物に収められているニュースが新聞に出ている。日付は1941年12月7日で「両親様の長生きをお祈り申し上げます」というもので、ハワイ真珠湾での奇襲攻撃で25歳の生涯を閉じた。
 上田さんは1916年(大正5)農家の長男として生まれ海外に憧れ海軍に入隊した。ハワイ真珠湾攻撃で2本の魚雷を装備した特殊潜航艇の乗組員に選ばれ出撃し、戦死して9軍神のひとりとなり軍より「史上空前の壮挙を敢行し任務を完遂せる後艇と運命を共にせり」と賛美。2等兵曹から2階級特進となった。
 終戦後、空気は一変する。「同じ戦死者がいる中、上田さんのみがあがめられるのはどうか」という声が上がり始める。
  地域の戦没者遺族会が中心となって寄付を募り70年12月8日に上田家の敷地に慰霊塔を建立し、遺品館も完成して上田さんの遺品を納められた。
 上田家の神棚にはハワイに慰霊に訪れた際に「兄が生きた証し」と甥の賢治さんの父が持ち帰った浜の砂も供えられている。