東京丸の内三菱重工業爆破事件から50年が経過した。この日を私は忘れない。というのもこの日東京本社転勤を命ぜられて新幹線で東京駅に到着、総武線馬喰町駅下車してすぐの本社ビルに到着して挨拶の後、当面の住まいの独身寮のある葛飾区立石寮に到着後この事件を知ったのだ。
この頃(昭和49年)は働く側と経営者側が鋭く対立した時代だったようで労働側の賃上げ要求を企業経営者側がそれを拒否するというか要求をすんなり吞み込めない状況だった。労働側はストライキも辞さない構えで私の会社も史上初めてストライキを敢行した。ストを打っても仕事には変わりがないしやらなければならないことにはなんの変化もないので自身はストライキには反対だった。
経営側もこの状況に危機感を持ったのか組合員に対する切り崩しがあちこちであり、私も仕事は変わりなくこなさなければならないので組合を脱退した。
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