吉野さんの故郷、大阪池田市

2019-10-17 08:55:06 | 日記
 ンーベル化学賞の受賞に決まった吉野彰さんが大阪池田市にある技術研究組合リチュウムイオン電池材料評価研究センター(LIBTEC=リブテック)を訪問して仲間に祝福された。LIBTECは様々な企業の研究者が集まりリチュウムイオン電池の技術開発に取り組む官民連携の研究機関で、2010年の設立当初から吉野さんが理事長を務めておられる。このニュースをテレビで見て「おや、そんなの池田市にあるの?」と家内ともども驚いた。早速パソコンで調べてみるとなんと私たち一家が昔生活していた緑が丘団地のすぐそばにあるではないか。あの辺りは子供がまだ幼いころの一緒に親子そろって散歩した道筋にある。勤務していた会社と旭化成工業とは密接な関係があったが、住んでいた池田市にも縁があったことに今更ながら驚いている。池田市は緑豊かな綺麗な空気と美しい山並みに囲まれた住むところに絶好の場所である。この吉野さんのノーベル賞受賞もあって池田市を訪れる観光客が増えるものと思われる。
 東京五輪のマラソンと競歩の種目の会場を東京から札幌に移す計画が発表された。暑さ対策といわれる。東京の協議会事務局はびっくりしていることだろう。マラソンはご存じの通り五輪の最終日を飾るメインイベントである。それもあってかマラソンコースはこれまで民放での視聴率を上げるということで度々取り上げられてきた。コース上にある沿道の様子に皆んながため息を上げる。競技場がそれぞれの住民の皆さんの生活場所となるので盛り上がるのであろう。いやがうえにも五輪のマラソンは最終競技としてその感動はピークを迎えるものである。その競技が東京から札幌に変わるとなれば気分は一変する。台風19号で消沈した首都圏に追い打ちをかけるがごときIOCの発表はきつい一発となったに違いない。令和新時代になって平成とは違った安穏な時代を願ったはずだったがどうも今回の台風19号の来襲でその期待も裏切られた感のあるところに五輪のマラソンコースの変更もなにやら令和が平成とは違った世界を予見しているようにも思える。災害に弱い首都圏東日本を世界は静かに見つめなおしていないかどうか。お祭り騒ぎで東京五輪の招致を勝ち取ったかもしれないが、東京でやれば何とかうまくゆきそうだの東京一辺倒はそろそろ見直す時がきているのではないだろうか。暑さ対策が理由とあるが、どうもそれだけではないほかの要因もきっとあるに違いない。物事のすべてがそうであるように隠れた裏にその主因があるのである。

台風19号の爪痕

2019-10-15 16:06:13 | 日記
 台風19号が東日本に大きな被害を及ぼしとりわけ長野県穂保地区の千曲川の堤防の決壊で多大の住宅に泥水が流れ込み被害が大きくなった。福島県の阿武隈川や新潟県の矢代川、東京の那珂川も氾濫してそれなりに被害が出ている。東北の太平洋岸から関東甲信越にかけて47河川が決壊し、死者67名を出した特筆すべき大被害を及ぼす結果となった。東北三陸地方の皆さんには地震と津波の被害に東電の原発事故がまだ収まらない矢先、今度は台風の追い打ちでやり切れない思いであろうことが察せられる。関東平野の皆さんは台風とは西日本のもので我らには無関係と思っておられたのではと思いながら今回の台風をこれほどまでにやられるとはの思いこみがあったのではなかろうか。先の台風15号で千葉県の皆さんは風の被害に遭われ屋根の損傷はもちろんのこと、その後の電力や水道の生活のインフラの停止で大変な苦労を経験された。今度の19号は雨災害で屋根は大丈夫だったが泥水の襲来でこれまた生活の根幹をなす住宅が使いものにならなくなった。関東平野は広く大きい。ひとたび水害に遭うと関東ローム層の砂地と水でドロが相当に家屋を痛めつけると思われる。風は平野だから台風の威力をまともに受ける結果になる。この雨が東京の真ん中に集中して降った場合は果たしてどうなるか。もう掘りつくされて通る場所もないほど地下鉄や高速道路が張り巡らされて穴ぼこだらけの東京の地下に大量の水が流れ込んだらどうなるかだ。
 利根川水系も油断ならない。千曲川の氾濫の後なかなかドロ水が引かないようだ。災害に弱い関東平野といえないだろうか。地震に今回の風水害とこれから起こるかもしれない富士山の噴火などなどで、大阪府の吉村知事のように東京に何かがあった場合それに備える政府機関を準備すべきとはこのことであろうか。北陸新幹線の電車が長野県の車庫で7編成が揃って水浸しになった。JRはこれまた想定外のことだったに違いない。7編成の車両はこのままでは使い物にならない。水没したクルマは全部廃車となる。喜んだのは自動車メーカーだろうし、地元の土建屋と住宅販売会社だ。令和になって平穏な時代が来るとの予想は裏切られた。おひざ元の関東地方が元年における災害第1号となった。

災害列島日本

2019-10-14 09:08:34 | 日記
 台風19号が東日本に猛威を奮った。15号の千葉県に及ぼした被害以上に猛烈な風雨で特に大雨による河川の氾濫が想定外の被害を広範囲に広めた。長野県を流れる千曲川の堤防が決壊して甚大な被害を及ぼしたことに少なからぬ驚きである。千曲川と言えばあの藤村の千曲川旅情の歌の風景が目に浮かぶ穏やかな歴史に満ちた旅情が頭に浮かぶのは殆どの皆さんの感想ではなかろうか。その千曲川が豹変して河川の沿線の住民に甚大な被害を与えたのだから尚更である。そもそも長野県とは高所にあるところで水害とは無縁の場所だと思っていたがそうではなさそうである。
 今回の水害でひときわ目立ったことは北陸新幹線の電車が基地にある7編成電車が揃って水浸しになってしまったことだ。水害での事故として初めてのことではなかろうか。すべての車両はそのままでは使えるものでなくなり台車から内装まで造り直しであろう。JRも大きな被害を被ったことである。
 災害列島日本の名の通り毎年やってくる台風の被害が近年特にひどいようにみえる。一昨年の広島岡山の水害による住宅の損傷があり、昨年の台風18号による関西国際空港の連絡橋そ損傷など台風による国富の損耗はいかばかりか。東日本大震災から熊本地震、広島岡山の中国地方の水害、関空連絡橋損傷と今度の東日本を襲った台風19号と毎年起こる自然災害による被害、そのたびに私たち日本人はそれを乗り越えてきた。今度もきっと昔以上の姿に戻るべく立ち上がるであろう。この雨のお陰で稲作民族が誕生維持できたのだから時に雨の猛威はあるであろうが、世界に誇る緑豊かな四季折々美しい日本列島なのである。自然にしてみればほんのちょっとした風なのでこういうものはあるものだと人類に教えてやっているようなものかもしれない。ヨーロッパの民族は決して低地の水辺には住居を定めなかったが、日本民族は稲作のため河川近くにその居を求めた。そしてこの狭い日本列島に狭い列島に多くの人口が定住した。それというのも稲という食物が毎年一定の数量確保できた結果である。ちょっとした水害で多くの家屋が被害を受けるのはそれだけ人口密度の高さを証明するものだ。
 台風19号は西日本にはそれほどの被害はなかった。ほとんど風らしい風はなかったのではないだろうか。被害の逢われた皆さんのこれからを思いながら我が家の安全だったことに感謝しながら眠りについた。水害にあわれた皆さん、どうか寒さに向かうこれから大変だろうが耐え忍んでいただきたい。

台風19号

2019-10-12 11:59:38 | 日記
 台風19号が接近している。西日本は直撃を免れたが関東地方とりわけ千葉県の皆さんが気になる。先の15号で大きな被害を出しまだ完全に復旧していない上にさらなる19号の追い打ちでそのお気持ちを察する。どうか台風が静かに去ってくれることを祈るのみである。
 関東地方は台風とは無縁だったのではないだろうか。昭和33年の狩野川台風などがあったがそれはたまたまだった。台風とは西日本との相場だった。が今年はどうも違うようだ。これも地球温暖化のなせる業なのかどうか。こう言っては関東地方の皆さんには申し訳ないが私の住む阪神地区に来なくてほっとしている。19号が大型で中心気圧が945hPaと猛烈な威力を持ったまま首都圏を直撃しそうな予報だから被害が出た場合かなりのものになりそうだ。

吉野彰さん

2019-10-10 09:23:52 | 日記
 日本人27人目のノーベル賞受賞者に旭化成の吉野彰さんに決まった。リチュウムイオン電池の開発に功績があったのが受賞の要因である。リチュウムイオン電池は今電気自動車やスマフォに携帯電話やパソコンに広く利用されて私たちの生活の身近にある存在である。あの東日本大震災による大津波の膨大な映像もリチュムイオン電池によって撮影された。ハイブリッドの自動車やスマフォにパソコンにビデオカメラと私たちの豊かな生活を支えているリチュウムイオン電池を改めて見直してその有意義さを考えてみなければならないだろう。
 リチュウムイオン電池の開発が旭化成という会社で行われていたことを初めて知った。旭化成は以前は旭化成工業と呼ばれて繊維事業が主たる業務だったと記憶している。私が取引先の会社に在職していたころは旭化成ベンベルグデシンという人絹の繊維製品を大量に仕入れて大きく業績を伸ばした。背広の裏地に使われて好評を得た商品である。当時の社長は宮崎輝さんでこのベンベルグデシンの売り上げもあってか財界の大物として頭角を挙げられたと記憶している。時代が変化して繊維は縮小になり本社も大阪から東京に移転して現在は総合化学メーカーとしてある。
 今日の新聞に旭化成ベンベルグデシンの好調な頃の社長の4男の元社長の訃報があった。創業社長の4人と息子はこれで全員鬼籍入りとなった。
 充電式の電池だが、以前三洋電機が発売した充電式髭剃り機のカドニカ電池があったと記憶している。いつの間にかそれはなくなり今はリチュウムイオン電池になっているようだが、カドニカ電池は充電の回数や容量に限界があったのかもしれない。リチュウムイオン電池が売れ出しのは1995年つまりパソコンの本当の出発点Windows95の発売だったと吉野さんは仰っている。Windows95は爆発的に売れた。それまでの常識を超えたパソコンで汎用的で誰でも手軽に何より多くの使う楽しみを世界中の利用者に与えたことだ。
 吉野さんはつい最近までケイタイ電話をお持ちでなかったとかである。外出先までひとに追い求められることに一種の嫌気がそれの要因でそれを聞いて私と同感だと思わず笑ってしまった。ノーベル賞受賞者の皆さんの共通の言葉だが、好奇心を忘れないで欲しいはこれまた同感で人生100歳を目指す今の後期高齢者はこのことばを肝に銘ずるべきだと思う。吉野さんは我が国はあらゆる面で川上は強いと仰っていた。川上とはつまり基礎科学(化学)のことだと思う。川中川下は中国韓国に押されっぱなしでこれからの我が国の力点をもっとこの方面にも注ぐべきとのことのようだ。とにかく今年もノーベル賞に日本人が輝いたということは何よりである。日本人の一人として嬉しい限りである。