日航機墜落から35年

2020-08-12 09:22:11 | 日記
 今日8月12日は日本航空123便東京羽田発大阪伊丹行きのジャンボ機が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落した日から35周年を迎える。もうそんなになるのかと思う。35年といえば会社に就職した若きフレッシュマンが定年を迎える期間である。私自身の経験では今の定年後の生活の期間の方が断然短く感じられる。会社で業務に追われる日々の毎日の時間の方が長く感じられ今の定年後の毎日の時間の方が断然短いのである。
 操縦不能となった日航機の操縦席と航空管制室とのやり取りが克明にあらわされている映像を見ると胸が締め付けられる思いで犠牲となった520人のご遺族の皆さんは改めて事故の凄惨さを思い浮かべらるだろう。御巣鷹の尾根の墓標も近年の豪雨や台風で流され傷みも激しく今日の慰霊登山では新しい白木の墓標を持参してのものとなる方も多いのではないだろうか。ご主人を事故で亡くされた箕面市の谷口真知子さんは最近その後の家族の様子やご自身の生き方を本にして出版された。谷口さんはテレビでも度々報道された方だ。あの当時よりも輝いてはつらつとした風貌が紹介された。天国で喜んでおられるご主人に違いない。事故に遭わなければ平凡な主婦であっただろうが、マスコミに知られる時の人となられたのも凶を吉に変える力強いご努力があったからであろう。
 近くにある大阪伊丹空港は今日も何百機の旅客機が離発着を繰り返すが大阪北摂に住み着いて60年有余が経過するが未だ大きな事故には遭遇していない。安全なハズのJRの電車がつぃ最近大きな事故で多数の犠牲者を出しているところを見ると確かに飛行機は安全な乗り物との認識が定着しているのではないだろうか。事故の裏には気の緩みが潜んでいるようにも思えてくる。この8月もどうか平穏なものであって欲しい。
 午後になってほっと一息して新聞を見るとコラム欄にはなんと日航機墜落の遺族谷口真知子さんのことが出ていた。私の印象とピッタシのコラム欄の筆者だったのだろう。谷口真知子さん一家のビデオがあるはずだからまた時間があればデッキ荷掛けてみよう。  

長崎原爆忌

2020-08-09 09:13:52 | 日記
 長崎原爆忌、75年目の夏だ。広島に落とされた原爆とは違うタイプのものだった。威力は広島に落とされたウラン235とは違うプルトニウムを材料にして作られた。ウラン235はウラン鉱石の0.3%しかなくそれを精製して濃縮する過程が複雑で費用に膨大なものがかかるという。その点、プルトニウムは原子炉で出来る物質なので現在の核兵器に使用する核物質はすべてプルトニウム製の核爆弾といわれる。米国での世界初の核実験もプルトニウム原爆だったという。
 ウラン爆弾は装置が簡単で臨界前の塊をぶつけて臨界状態にすればよくて従って実験は行われなかった。プルトニウム爆弾は材料が容易に調達できるが爆縮という高度の技術の完成に時間がかかったようで米国も当時この技術の拡散に神経をとがらせていたようだ。実験結果が一応の成功を収めた結果、広島長崎に投下というスケジュールだったという。ウラン爆弾は簡単に爆発するので誤爆発を惧れ原爆搭載機に積み込んだあと爆薬を装置するという念入りの投下行動だったと解説書にある。広島に向かった爆撃機B29のエノラゲイも長崎投下に向かった同ボックスカーもそれぞれ積み荷がただものではない代物だから投下までは乗組員もかなりのストレスがあったという。そのまま帰還は出来ないので必ずどこかに投下もしくは投棄しなければならなかったようだ。
 75年の長きに亘る平和な時代、局地戦争はあったものの大きな国と国との戦争がなく平和が保たれているのは核兵器の存在なしには語れない。もしもあのヒトラーが核兵器を完成させた後にそれを武器に戦争を始めていたらどうなっていただろうか。75年前はまだそこまで技術が進んでいなかったのが幸いしたのか、それとも独裁者には軍事にはTNT火薬で十分といった古い感覚が根強くあったのか。今また中国の海洋進出で米国と火花を散らしているようだが不法な進出は昔の日本の東南アジア進出とそっくりで後進国の出しゃばりが世界戦争の火種にならないとも限らない。南シナ海は米国の潜水艦で埋め尽くされている。

立秋

2020-08-07 08:42:32 | 日記
 今日7日は立秋である。今年は夏がなくて梅雨シーズンからいきなり秋になってしまった感じである。そうこの春は2月の立春を迎えてまもなくコロナ騒ぎが始まりだして外出を控えるように、飲み食いの会合を止めてください等々が始まった。緊急事態宣言も出されて騒然とした。それがピークに達したのがあの志村けんさんのコロナによる死亡であり岡江久美子さんの同様の死であった。
 一番の被害者は東京オリンピック開催中止延期の東京都だったのではあるまいか。夏場を迎えてコロナの鎮静化を期待したが豈測らずや感染者が増加の一途で第二次感染第三次感染の怖れを心配されている現状だ。昨日のNHKNW9では東京都のお台場に建てられた五輪の飾りが撤去されたということでこれで恐らく来年の開催が取止め濃厚というメッセージであろう。これだけの感染増加が全世界中で起こっている中で選手の練習などできるはずがない、つまりはアスリートが五輪に向かって訓練をする雰囲気が無い中で競技ができるものではないのである。麻生大臣が言った「呪われた東京五輪」は的中していたのであろう。
 8月に入り夏らしい毎日であるが例年の夏よりも心なしか涼しいといったのが本音のこに1週間だ。

NHKの放送規模縮小

2020-08-05 08:28:52 | 日記
 NHKがチャンネルを統合して放送規模を縮小するという。骨子はBS1、BSプレミアム、BS4Kの3チャンネル2チャンネルに、将来的には1チャンネルへの1本化、ラジオのAM放送の第1と第2とFM放送はAMを1本化する方向というものだ。最近ラジオはクルマの中以外はまず気が向かない。FMは昔昼の歌謡曲という番組があってヒットを飛ばす歌手の名曲を取り上げてくれた。だからカセットテープに録音してそれをクルマの中で再生してよく聴いたものだった。今の車はカセットテープの取り込み口は無いだろう。テレビの放送も視聴者の数はどんどん減少気味ではなかろうか。NHKは削減の理由としてコロナによる経済状況の変化や人口減少世帯数の減少などを挙げているが真の理由はテレビ離れの社会変化にあるのではないだろうか。
 これまでの一方的に押し付けられた映像や状況を見て楽しむことから視聴者が自身の好みによって見たいものを探索しそれが可能な状況が今にあるのである。NHKが制作した番組ならばどんなことでも信用し納得できた時代が過去だった。NHKのアナウンサーは賢い偉い高貴な人だとの印象が国民全般にあった。民度が次第に上がってゆきそういう考えも次第に変化し番組に対する欲求も変わり始めてゆく。NHKはその変化を感じているに違いない。だからインタネット同時配信をするといいだしたのである。
 私の場合だが毎朝まずは新聞に目を通し思いつくニュースがあればブログに自身の感想を書き留めてそれからYouTubeの画面を取り出してみる。政治経済以外のお気に入りの歌手の歌などがあれば聴いてみてその曲のカラオケがあれば探し出し歌ってみる。吉村大阪府知事のコロナ対策記者会見などは毎日の定番になっている。これらいち視聴者の好みが一日の始まりなのだ。第一線を離れた多くの元サラリーマン諸氏などこれと似たりよったりの日々ではあるまいか。人間の好みを満足させてくれるのもが過去のNHKにはあったが今のNHKにはなさそうに思えるがどうか。公共放送の壁がここいらにありそうだ。

まもなく原爆忌

2020-08-04 09:05:33 | 日記
 今年も広島長崎の原爆忌を迎える。昨日のNHKNW9では先の太平洋戦争末期に米国の原爆投下の正当化についての米国市民の調査報告をしていて半数以上がその正当化を否定するものだとのことだ。時代が変わりもう戦争ができる状況ではない現状での調査もあろうが核に対する人々の感覚を表しているようだ。75年前のあの異常な世界の頃は戦争そのものが正義とみなされ軍備拡張して捕れるものは捕っておこうという強い物勝ちの風潮だった。そこには当然の如くそうはさせじの対立が発生する。それが戦争だった。
 日本は北の脅威を除くためソ連と中立条約を締結し米英中と戦を仕掛けた。日露戦争の勝利の思惑があったのだろう米英何するものぞと挑んだ戦争もロシアとは大いに違う米国の大生産力の前に屈服せざるを得ない。とどめを刺されたのがあの2発の原子爆弾だった。ほぼ負け戦濃厚の時期にこの最新兵器である。中立条約締結のソ連がまさか戦争に加担するとは思わなかっただろうが、米英は役者が違った。ソ連を戦争に巻き込んでしまった。この辺が世界を見る目の米英と日本の政治当時の軍部の違いである。原子爆弾使用は戦争の早期終了の為には必要だったとは米国の見解で今もそれは変わりがない。あの2発の原子爆弾で大日本帝国軍部は白旗を揚げ8月15日に天皇の玉音放送だ。もしあの2発がなかったならば本土決戦として8月15日はなかっただろう。その間、ソ連は北海道へ上陸していたかもしれない。ソ連はとにかく南の陸地が喉から手が出るほどに欲しがっている国だ。
 広島長崎で原爆で亡くなった多くの市民の皆さんは日本を分断国家から救った尊い犠牲として今後の歴史にその名を留めるであろう。何より豊かな民主国家米国の支配下に置かれたのが幸いした。原子爆弾は高価な授業料だった。