昭和基地に到着

2020-12-20 09:18:40 | 日記
 南極観測隊の第62次隊の第1便が昭和基地に到着した。19日である。氷海に停泊中のしらせからヘリで飛び立ち昭和基地の上空を旋回してヘリポートに着陸して第62次隊の橋田元隊長が「一年間ご苦労様でした」と61次越冬隊長の青山雄一隊長に握手してねぎらった。無事に基地へ接岸できたことが何よりでこれから来月下旬まで1年間の基地生活に必要な物資の運搬と基地周辺の観測などをこなさなければならない。皆さんの安全を願うものである。
 木星と土星が400年ぶりに大接近する。日の入りのすぐ後の南西の空にみえるという。月の大きさの中に入るほどの大接近という。太陽系は水金地火木土天海冥と教えられてきたが、最近冥王星は外されてしまい8個の惑星になった。火星と木星の間に小惑星がありこの小惑星は大きな惑星になり損ねた粒子の一団とみなされている。今回はやぶさ2が持ちかえった砂は地球や火星を造ったそもそもの土壌ではないかとして生命誕生などの起源を探るたものミッションだった。小惑星の外側に巨大惑星として木星と土星がある。木星は太陽になり損ねた星といわれているもので巨大なガスで構成されている。私たちのいる地球だが、様々な多くの生命をはぐくむ青い海と大気に恵まれた稀な星と言われいて中でもヒトという高度な能力を持つまでに進化できたのは木星と土星があったお陰といわれている。この2個の巨大惑星があったからでもしもう1個のつまり3個の巨大惑星が太陽系にできたなら地球は存在しなかったのではないかといわれている。木星と土星に感謝しながら今日の大接近を見るのもまた面白いのではないだろうか。

寒波襲来

2020-12-16 10:19:12 | 日記
 寒波襲来で日本海側は積雪だ。暖冬に慣れてしまっているのかちょっとこの寒さは身にこたえるようだ。阪神地域の空には雲ひとつない晴天で暖かい太陽光線が届いているが風は冷たくてまさに冬本番といったところである。
 そろそろ正月準備の今日この頃で新聞と共にくるチラシもそれで年末ぎりぎりで買うよりも今のうちに買っておく方が割安であろう。今は真空パックが普及し且つ冷蔵庫も大型になって長期保存ができるようになっている。今日は近くのスーパーが3倍ポイントだ。家内と出かけて今日の夕食はカキの鍋物にしようと決め白菜にモヤシに豆腐にコンニャクを購入した。お歳暮に貰ったタラの切り身とカニの足があるのでちょっとした豪華な鍋物料理になりそうだとほくそ笑んだ。出来上がりは予定通りでポン酢の味にカキがピッタリで白菜が美味かった。忘年会など外食での鍋ものももちろん美味いが帰路の寒さや電車の時刻を気にしなくてよく家での鍋ものもよいのではと思った。寒い冬場は鍋を囲んでの食事がいい。牛肉のすき焼きもよいがあっさり味のカキとタラと白菜の水炊きの味もまた格別だ。またしばらくしてこのパターンでやってみたい。

今年の漢字は「密」

2020-12-14 21:11:46 | 日記
 今年の世相をあらわす恒例の漢字ひと文字は「密」に決まった。コロナの感染を防ぐために3つの「密」を避けましょうと密接密閉密集が叫ばれたこの1年だった。更にどこに行くのもマスクが必需品となりもうマスクをしていない人は誰ひとりもいないという状況だ。私は外から帰った場合、必ずうがいと手を洗うようにしている。
 小惑星リュウグウに着地して岩石か砂のサンプルを持ち帰ったハヤブサ2のカプセルの中身が心配だったが中に砂が採りこめられているとのことだ。これこそ快挙でその分析がどのようなものか楽しみである。漢字ひと文字も「隼」があってしかるべきだがどうか。15日の朝刊ではそれなりの黒い砂が採りこめられているとのことでまずは大成功といったところか。
 今日14日、今年の暮れに出す年賀状の作成を完了した。一枚一枚のはがきにそれぞれの思い出があり感謝がありお詫びがある。昔の写真は大抵がモノクロで当方のアルバムにはまあ大量と言って良いほどのものがあるが写真加工技術の進んだようで簡単にカラー化できる。小学校中学校の卒業写真などを試しにやってみると現在のデジタルカメラまでは行かないがそれなりの画像が出来上がる。だからつい年賀状にそれを載せてみたくなって一枚一枚が上記のようになった次第である。テレビも同様で昔を思い浮かべる番組があるの先方は喜んでくれるものと当方勝手に想像している。


日の入りが延びた

2020-12-09 11:32:45 | 日記
 今日9日、関西地方の午後日の入りが1分延びて16時49分となる。太陽との位置関係での現象だが変わって日の出が遅くなる。日の出はいいが日の入りが遅れてくれるのは嬉しいのではないか。それだけ一日が延びたように思うからだ。
 皇后雅子さまが57歳の誕生日をお迎えになった。もうそんな御年なのかと思った。私の57歳といえばついこの間のような記憶であのバブル崩壊で世のサラリーマン諸氏がどっぷり会社員として終身雇用の身分として定年まで勤続できると信じていたものが突然壊れて慌てふためいた時だった。銀行が潰れ証券会社が倒産して預けていた預金はどうなるのか。安全だった預金はここから限度1,000万円までとなりサラリーマンとして頑張ってきて集団との意識から個人としての生き方に変化する。
 雅子皇后の長女愛子様も大きく成長されてもうすぐ大学生だし、秋篠宮長女の眞子さまもようやくご自身で選ばれた小室さんとの結婚へ進むられるようだ。時間はどんどん進む。

12月8日

2020-12-08 09:22:57 | 日記
 今日は日米開戦79年にあたる日。日本軍部は米国という巨大な大国と思いつつ戦争をする気になって戦いを挑んでしまった。資源を求めて中国大陸に攻め込んで行くが中国を甘く見ていた為やってはみたが思いのほか抵抗が強く当初の目論見が外れてしまい活路を盗難アジアに向ける。ここで米国の権益とぶっつかり経済封鎖を受け結果ハワイ奇襲攻撃となるのである。奇襲攻撃だから仕掛けたほうが有利で一応は成功の形だったが、米国の体制を整えた反撃には歯が立たなかった。ミッドウエー海戦やガダルカナルの海戦など一方的な日本軍の負けの連続だった。日米の太平洋戦争というものは”戦争”と言えるものではなかったと司馬遼太郎さんの「昭和を語る」で仰っている。それは戦争とはやられるとやっつけるがあるものだが、日本はやられっぱなしで勝負ではなかったのではなかったかというのもだ。
 1945年9月2日の東京湾上の戦艦ミズーリー号上での降伏文書調印式の当日、東京湾には米国の戦艦や軍用艦が多数集結し、上空には軍用航空機がまるで空を覆わんばかりの大編隊が飛行する姿を当時の東条英樹ほかの指導者たちはいかにみたのか。戦後やってきた米軍は戦車と装甲車とジープで装備された近代的な軍隊だったが、日本は自転車と馬と歩く旧式の銃の歩兵の集団でどう見ても勝負にはならない。
 日露戦争には一応勝ったことになっている。日本が太平洋戦争に向かった原因のひとつがこの日露戦争の勝利だったのではないか。戦争に勝った時良い方向に向かうの良いが日本は不幸にも悪い方向に向かってしまった。
 物事は始める時よりも止める時の方が難しいといわれる。企業の立ち上げつまり会社を始めようとする時、結婚をする時、そして戦争を仕掛ける時だ。景気よく真珠湾攻撃大成功と喜んだが次第に戦局不利となると本土決戦と叫び国民を盾に自滅の道を歩みかけた。原子爆弾投下という究極の被害を被って負けを受け入れた。戦争を止めようとする時の難しさである。
 今日の新聞には真珠湾攻撃に空母から発信して爆弾投下の実績を持つ吉岡政光さん(102歳)の経験談が載っている。102歳での戦死者の為に記憶を残すという吉岡さんの意気込みに敬意を持つものである。