9月17日は、"まいまい京都"のツアーで「巨大土塁にびっくり仰天!"城"と呼ばれた巨大寺院跡をめぐる 戦国時代の最先端!山科に突如現れた、日本屈指の城郭宗教都市」とやたら長いタイトルが付いたツアーです。
























ガイドは京都旅屋代表の吉村晋弥さんです。
彼は「京都検定1級」に6年連続最高得点で合格された京都の強者(つわもの)です。
先ずは、本願寺山科別院を参拝します。
本願寺と言えば西本願寺や東本願寺を思いますが、親鸞聖人の子孫で本願寺第8世蓮如上人が山科の地に巨大な城郭宗教都市を築いた事はあまり知られていません。
旧仏教界から追われるように北陸の吉崎が大坂、山科へと拠点を移し、後に織田信長や豊臣秀吉よりもはるか先に巨大宗教都市を築いていました。



旧境内地内には蓮如上人銅像跡が残っています。
高さ11mもある巨大な銅像でしたが、戦時中に金属供出され、今は台座のみ残っています。
しかし、裏側には一部が残り顧問"高村光雲"の名前も残っています。


これまでの研究成果や発掘調査から山科本願寺の復元図が複数作成されています。
御本寺(ごほんじ)、内寺内、外寺内を要する巨大都市だった事がわかって来ました。
土塁を石垣に変えると"近代城郭都市"顔負け"です。
石山本願寺を織田信長が何年もの歳月をかけても攻略出来なかった一端を見るようです。
しかし、蓮如上人から子の実如、ひ孫の証如へと引き継がれた法脈は(1532)の法華一揆と武家勢力によって"唯一の弱点"の「水落」からの敵の侵入を許し、わずか1日で攻め落とされます。



蓮如上人御廟所です。
寺域は現在の山科別院の比ではなく、国道1号線をはるか南側にで広がっていたそうです。




NHK「ブラタモリ」でも放映されて通り、近年の発掘調査で阿弥陀堂推定地の裏側(西側)から門主の居住地が発掘され、風呂関連遺構(当時は釜風呂)が見つかっています。




今後の発掘調査でまた、新たな新発見があるのが楽しみです。