油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

ぬけがけの時代に。  (4)

2023-07-12 19:31:05 | 小説
 そのころ、そう今から四十年ほど前である
が、K市の在所で暮らす人々のほとんどは兼
業農家だった。
 今のように、農業を継ぐ意思がないですと
はっきり主張する若者はさほどおらず、ご先
祖さまの田畑を、先ずは大切にと考えていた。
 農業とは、もともと人が寄り集まってこそ
可能だった営みであり、もう一度初心に帰っ
てでも、外国の米麦に頼らず、自前の米や麦
を作ろうとする意欲が残っていた。
 共同作業の復活、すなわち集団栽培方式を
採用することで、農業の跡継ぎ問題を、なん
とかして解決しようとした。
 米作りは苗を植え付ければ、当分の間、さ
ほど労力がいらなくなる。
 その間を縫うようにして、主に、土曜や日
曜に、若者がふんばったのだ。
 彼らのやる気に呼応するように、老いたり
とはいえど、まだまだ身体が動けるわい、と
見よう見まねで、こんにゃくやいちご、それ
に麻の栽培に手を染めるお年寄りがいた。
 その結果、工業や商業がさかんな県都U市
の豊かさにはほど遠いけれども、いなか町と
はいえど暮らし向きにはあまり困らなかった。
 「よう、Kよ。このあいだ、おらちに来て
くれた若いのが、バッテリアの店長さんやっ
てる人なんだべか」
 ある日の晩ごはんの時に、Kの義父が、一
日働いて、よほど腹が減っていたらしく、盛
んに、いためた豚肉を箸でつまんでは口に入
れているKに向かって、おずおずと問うた。
 父のとなりにいたKの妻は、ふふっと笑い、
 「父ちゃんね、バッテリアじゃないよ、ロッ
テリアでもないしね、ファミリーレストラン
の店長さんやってる人なんよ」
 「なんだ?そのファミリーなんとかっての
は?」
 「家族連れで、食事をとるお店なんよ」
 「へえ」
 義父は先だっての戦から帰還して以来、農
業ひとすじでやってきた。
 英語は、バッテリーやブレーキといった農
業機械でなじんでいる単語しか理解できない
のは致し方なかった。
 U市のはずれにできたロッテリアに、初め
てじぶんの次女に連れられて行き、初めて食
したハンバーグやスープが思いのほかおいし
かったらしい。
 「今度みんなで、あの方においしいものを
作っていただきましょうね」
 「うんだ、うんだ。それがいい。うまかん
べな、きっと。にこにこしててな、いい人だ
ぞ、あの店長さん」
 と、にっこり笑った。
 義父の笑顔はいつだって、家族をしあわせ
な気分にするにじゅうぶんだった。 
 こんな時でも、気安く、義父の問いに答え
ない。何が不服なのか、にこりともしない。
 もう七年経っているのだから、今少し、こ
こになじんでくれるといいのにと、Kの妻は
いつもそんな思いを胸に抱えていた。
 じぶんの夫と父母の間にはさまれたつらい
立場である。
 ある日、じぶんの母に向かって、夫の、K
の冷たい態度を訴えたことがある。
 「なに言ってる?Kはひとりだぞ。ひとり
でこの地にやってきたんだ。野良仕事だって
いやがらずにやってくれるし、お前には友だ
ちがうんといるだろ?おらはKの味方だ」
 彼女は憤ってしまい、すぐに車に乗り、遠
くまで車を飛ばした。
 「どこまで行って来たんや」
 Kの優しい言葉で迎えられたのが、よほど
うれしかったらしい。
 子どもは正直である。
 自然と、ふたりの男の子は、義父や義母に
まとわりついた。
 「よう働いてくれる婿さんで、助かるけん
ど、もうちょっと愛想よくしてくれたら、申
し分ないんだけんど」
 義父は頭をかかえた。
 「機嫌のいい時に、あたしがよく、言っと
いてあげるわ」
 「うん、わかった。あのな、ことしの米の
できは良さそうだし、そのなんとかいう店で、
うちの米を使ってもらえないかな?」
 「むずかしいと思うわ。どの店だって、お
米は上等なのを使ってるしね。父ちゃんって、
ひょっとして、去年の米を買ってもらおうな
んて魂胆じゃなかんべ?そんなこと、うちの
旦那に言わせたりしたら、承知しないわよ」
 「ああ、そうだんべ」
 義父はいたいところを突かれたらしく、急
に顔色がわるくなった。
 
 
コメント (2)
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