こんにちは。ブロ友のみなさま。
ようやく桜の花がひらいたと思ったら、夏日になる
のですもの。
驚きますよね。
そして、次の日は気温が急降下。
夕方になって、タンスにしまった服をもう一度身に
つける始末です。
57年前のT大入学式。
桜が満開でしたが、灰色の空から、白いものがふわ
りふわり。たちまちにして、ピンクの花びらが視界か
ら消えてなくなりました。
(えらいところに来たもんや。まあしゃあない。地元
も阿波も受け入れてくれなかったんだから。ああ、もっ
と性根入れて勉強しとけば良かった)
わたしの身体は、肌をさす空気の中で、ぶるぶる震え
ていました。
甲州の郡内地方の冬。
やっぱり、富士山のふもとは寒いのだなあと、手袋を
はめない両手に、白い息を吹きかけました。
ある冬の夜、銭湯に向かいました。
行きはよいよい、帰りはこわい。
風呂上がりで濡れたタオルが、夜気に触れ、すぐさま
凍てついてしまいました。
下宿暮らしはどうだったでしょう。
四畳半一間借りると、ひと月2800円。新幹線ひかり号
で東京から京都まで乗るのに、およそ5000円かかる時代
だったと思います。
小遣いが欲しいと、土建屋さんの手伝いをしましたが、
一日働くと1600円いただけました。
ほかに金のかかることがありましたので、できるだけ
食事を簡素にしようとしました。
食パン一斤30円、チキンラーメン20円、コーヒー一杯
50円。学食のカレーライスが70円、それに市街地の食堂
の経済ランチ一人前130円。
たまに自炊しました。
炊飯器などありません。ニクロム線の電熱器があるだ
けで、うつわもどんぶりひとつ。そして鍋ひとつ。
鍋のふたの上に、重石代わりにとどんぶりをのせ、ご
はんを炊きました。
パールライス10キロ1600円也。
身につまされていましたので、価格をなかなか忘れら
ることができません。
ありがたいことに、母親がいろんなものを送ってくれ
ましたので、ずいぶんと助かりました。
永谷園のお茶漬けの素、伊賀上野のかた焼きが好物で
した。
「勉強に集中してな。アルバイトなんてせんでもええ。
母ちゃんが働くから。それと食い物に用心してな。お前
はすぐにおなかをこわす。なるべく自然のものを食べる
のがええ。即席ラーメンはあんまり食べないようにな」
昭和40年代、月々二万円送金してくださったのですか
らね。今でも西の空を仰ぎ、手を合わせることしばしば
です。
でも、あまり外出せず一所懸命学んだのは、一年あま
りだけでした。
二年目からは、それまでの引っ込み思案な性格をなお
そうと努めました。
学年委員や英会話クラブの長に立候補したり。ついに
は折からの学生運動に、あろうことかこころ乱れてしま
い、デモの渦中に身を投じたりしました。
結局、ふた親を喜ばせたのは、ほんの二年。異郷の地
で暮らすのに、それほど時間がかかりませんでした。
運良く、結婚。子どもを連れ、盆や正月に帰省すると、
親は顔をほころばせ、
「元気でいてくれれば、それでいい。たまに孫の顔を見
せてくれ」
親というのは、有難いものですね。
今どきは、口にするものに、注意を要します。
人によっては、毒にもなる。
自らの体質を熟知するべしですね。
アナフィラキーショックに陥ることは、絶対に避けな
けりゃなりません。
今自分が苦手とするのは、先ずはお酒、生もの、しぶっ
たいもの、香辛料がだめですから、大好きだったカレー
ライスが食べられません。
どうしても、加工食品には着色料や防腐材が必要とさ
れていますね。
その作用について、充分注意するよう、以前から指摘
されてきました。
最近の健康食品ブーム。
これをのめば、やせるとか……。
身体のことを考え、口にしたはずが……、かえって身
体に悪かった。病を引き起こしてしまった。
取り返しのつかないことにならぬよう、わたしたちは
できるだけ自然食品を摂るよう、心がけましょう。
わけのわからないものは、安易に口にしないことが大
切ですね。
ようやく桜の花がひらいたと思ったら、夏日になる
のですもの。
驚きますよね。
そして、次の日は気温が急降下。
夕方になって、タンスにしまった服をもう一度身に
つける始末です。
57年前のT大入学式。
桜が満開でしたが、灰色の空から、白いものがふわ
りふわり。たちまちにして、ピンクの花びらが視界か
ら消えてなくなりました。
(えらいところに来たもんや。まあしゃあない。地元
も阿波も受け入れてくれなかったんだから。ああ、もっ
と性根入れて勉強しとけば良かった)
わたしの身体は、肌をさす空気の中で、ぶるぶる震え
ていました。
甲州の郡内地方の冬。
やっぱり、富士山のふもとは寒いのだなあと、手袋を
はめない両手に、白い息を吹きかけました。
ある冬の夜、銭湯に向かいました。
行きはよいよい、帰りはこわい。
風呂上がりで濡れたタオルが、夜気に触れ、すぐさま
凍てついてしまいました。
下宿暮らしはどうだったでしょう。
四畳半一間借りると、ひと月2800円。新幹線ひかり号
で東京から京都まで乗るのに、およそ5000円かかる時代
だったと思います。
小遣いが欲しいと、土建屋さんの手伝いをしましたが、
一日働くと1600円いただけました。
ほかに金のかかることがありましたので、できるだけ
食事を簡素にしようとしました。
食パン一斤30円、チキンラーメン20円、コーヒー一杯
50円。学食のカレーライスが70円、それに市街地の食堂
の経済ランチ一人前130円。
たまに自炊しました。
炊飯器などありません。ニクロム線の電熱器があるだ
けで、うつわもどんぶりひとつ。そして鍋ひとつ。
鍋のふたの上に、重石代わりにとどんぶりをのせ、ご
はんを炊きました。
パールライス10キロ1600円也。
身につまされていましたので、価格をなかなか忘れら
ることができません。
ありがたいことに、母親がいろんなものを送ってくれ
ましたので、ずいぶんと助かりました。
永谷園のお茶漬けの素、伊賀上野のかた焼きが好物で
した。
「勉強に集中してな。アルバイトなんてせんでもええ。
母ちゃんが働くから。それと食い物に用心してな。お前
はすぐにおなかをこわす。なるべく自然のものを食べる
のがええ。即席ラーメンはあんまり食べないようにな」
昭和40年代、月々二万円送金してくださったのですか
らね。今でも西の空を仰ぎ、手を合わせることしばしば
です。
でも、あまり外出せず一所懸命学んだのは、一年あま
りだけでした。
二年目からは、それまでの引っ込み思案な性格をなお
そうと努めました。
学年委員や英会話クラブの長に立候補したり。ついに
は折からの学生運動に、あろうことかこころ乱れてしま
い、デモの渦中に身を投じたりしました。
結局、ふた親を喜ばせたのは、ほんの二年。異郷の地
で暮らすのに、それほど時間がかかりませんでした。
運良く、結婚。子どもを連れ、盆や正月に帰省すると、
親は顔をほころばせ、
「元気でいてくれれば、それでいい。たまに孫の顔を見
せてくれ」
親というのは、有難いものですね。
今どきは、口にするものに、注意を要します。
人によっては、毒にもなる。
自らの体質を熟知するべしですね。
アナフィラキーショックに陥ることは、絶対に避けな
けりゃなりません。
今自分が苦手とするのは、先ずはお酒、生もの、しぶっ
たいもの、香辛料がだめですから、大好きだったカレー
ライスが食べられません。
どうしても、加工食品には着色料や防腐材が必要とさ
れていますね。
その作用について、充分注意するよう、以前から指摘
されてきました。
最近の健康食品ブーム。
これをのめば、やせるとか……。
身体のことを考え、口にしたはずが……、かえって身
体に悪かった。病を引き起こしてしまった。
取り返しのつかないことにならぬよう、わたしたちは
できるだけ自然食品を摂るよう、心がけましょう。
わけのわからないものは、安易に口にしないことが大
切ですね。