油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

忘却。  (3)

2024-04-10 14:39:34 | 小説
 久しぶりに、二人してドライブ。
 若い頃なら子育てがあったりで、協力関係を保つ
のは当然である。
 しかし、双方とも古希を過ぎた身では、なかなか
共通の話題が見当たらない。

 ともすると、互いに別々の行動に走ってしまうが、
まあそれも良しとするのが夫婦が穏便にやっていく
秘訣らしい。

 スーパーマーケットでのショッピングひとつする
のにも、ツウと言えばカーというわけにはいかなら
なかった。

 互いにプラスとマイナス。
 近寄れば、パッと火花が散りそうな雰囲気になっ
てしまう。

 こんな場合、男のほうが常に引く。
 しかし、こころの中でわだかまっているものをい
つまでもそのままにしておくのは体にわるい。

「あああ、いいい、ううう、ええお」
 おれは、少し離れて歩くかみさんの耳に入らない
程度にうつむき加減でつぶやく。

 そんな調子で、ひと通り、かみさんの欲しいもの
を買い終え、すべて、レジを通した後のことだった。

 「わたし、トイレに寄って行くわね」
 「はいよ。おれはそこのイートインで休んでいるか
らな」

 おれはこれで、いくらか息抜きができると思い、イ
ートイン内の空いているテーブルの前の椅子を音立
てて引いた。
 
 大して混んではいない。
 暖房が効きすぎるくらい。

 どんよりした空気の中で、ノーマスクの中年の女
の人が三人。小さめのテーブルを合わせ、角突き合
わせ、大げさに笑ったり声をひそめてしゃべったり。
 おれがちらっと眼をやると、彼女らは急に黙り込
んだ。

 おれのおなかが急にクウクウ鳴り出す。
 (おかしいな。今朝以来けっこう間食が多かったし、
そんなはずはないのだけど……)

 それから、わきに置いてある買い物バッグに、お
れの左手がふわりとのび、中身を物色しだした。

 ひとつふたつと、ぼりぼり、おれが音立てて食べ
だした時には、自分ながら驚いてしまう。

 たちまちにして、ふたつあった大きな買い物バッ
グのひとつを、ほぼ空っぽにしてしまった。

 気が付くと、わきにいた女たちがおれのほうに好
奇の視線を送っている。

 おれがぎろりとにらむと、彼女らは青ざめた顔に
なり、すごすごとイートインから出て行った。

 ようやく、トイレからかみさんが戻った。
 「あらまあ買い物バッグって、ひとつだったっけ?」
 まわりに聞こえるくらいの声をあげた。

 「あっそうだ。ひょっとして、どこかに置き忘れた
かもしんないや」
 おれは自分の腹をそろりそろりとなでた。
 少しは出っ張っていても良さそうなものだったが、
そんなことはない。
 かえって、食前より引っ込んでいるくらい。

 何よりも、食べたという実感がないのが気になる。 
(おれって、どうかしちゃったのだろか)

 「ちょっと、あんたっ」
 「なんだい、やぶからぼうに。でっかい声出すなよ。
ほら、見ろ。そばの子どもがひきつけを起こすぜ」

 しかたなく、もうひとつの買い物袋を求めて、おれ
は店内をぐるっと一周まわるはめになった。

 生ものを陳列しているところを通るときなど、普段
は寒くてたまらないのだが、今は大して気にならない。
 うまそうだなと感じ、思わずショーケースの中をの
ぞきこむ。
 
 そのうち気が付くと、かみさんがおれのわきを買い
物バッグひとつ下げ、ふんふんと鼻歌を唄いながら歩
いていた。

 「見つからないみたいね」
 「ああ……」
 かみさんはおれの顔をじろじろ観てから、ぽつりと
ひと言。

 「ひょっとして、みんな、あんたが食べた?」
 「うう、ん?そんなわけないだろ。これはみんなさ、
今夜のおかずだったりするわけだし」

 「ちがうよ。一週間分だよ。それにしてもあんたさ、
自分の口のまわり変だと思わない?」
 「そうかい、何がだよ」

 おれは、右手の甲で、おれの口の辺りをぬぐうと、
赤や茶の色がべっとり着いた。

 おれが眼をぎょろつかせたのだろう。
 かみさんがヒッと声をあげた。

 「まるで動物だね。貪欲なやつさ」
 「おれをカバみたいに言うな」
 「カバというか、もっとさ……」
 「何だっていうんだ」
 おれは腹が立ってきた。

 「とにかく、あんたさ。自分で食べたの憶えてない
の?」
 憐れむような眼で、かみさんはおれの顔を観た。  
 
 
コメント (1)
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