油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

忘却。  (4)

2024-04-13 22:45:06 | 小説
 かみさんの小言は、スーパーの玄関を出る
際にもつづいた。

 いつの間に降り出したのだろう。
 白いものがちらつく。

 (またまた始まったか。かみさんの愚痴。まっ
たくいつまで続くのやら……)

 おれは思わず、あらぬ方を見つめた。
 その瞬間、ふっと何かが、おれの視界を横
切った。

 年輩の女の人らしかった。
 割烹着を草色の着物の上に重ねていた。

 雪のかけらが、割烹着の白に、とけこんで
しまう。

 横顔がどこかで見たことが……と思ったら、
もうこの世にいないはずのおれのお袋に似て
いた。

 (おれを心配して、お袋は、自分の若いとき
の姿で出て来てくれたのだろうか、あれは白
昼夢だったんだ。そうに違いない)
 おれはしばらくしてから、そう思った。

 かみさんの小言は、まるでしとしとと降っ
てはやみ、降ってはやみする、菜種ツユのよ
うだった。

 ぶつぶつと小声で言っている。
 そのぶんエネルギーの消耗が小さい。
 だから、ねちねち、ねちねちと長引いてし
まうように思われた。

 おれが少しでも、その小言に対して、文句
を言ったりしたら、かみさんは興奮してしま
ったろう。

 積もりに積もった日頃のうらみつらみと今
回、食料でふくらんだ紙袋ひとつを失くした
こと。
 それらをいっしょくたにして、一気に感情
を爆発させてしまったことだろう。

 ぐぐっと感情の固まりが、おれの喉元まで
出かかったのは一度だけじゃなかった。

 その時はよっぽど、かみさんを一喝してや
ろうかと思った。
 だが、歯を食いしばってこらえた。

 今のおれが感情を爆発させたら、とんでも
ないことが起きそうな気がしたからである。

 うらみつらみのおおもとの原因は、おれの
月々の手取りが、若いときに比べ、決定的に
少ないことだ。

 六十を過ぎ、国民年金だけの暮らしになっ
てしまったのだから当たり前である。
 介護保険料やら差し引かれては、月々五万
に満たない。

 「もういい加減、小言にやめにしてくれない
か。おれ気分がわるくなってきた。へどが出
そうだ。なあ、頼むからさ」
 猫なで声でいう。

 「ふん、知らないわ。あんたが作ってよ。お
料理。この一週間、なんとかやりくりするの」
 「へえ、そんなことおれができるかな」
 「できるわよ。あたしだってね。嫁に来た頃
は、おさんどんがいやでいやで。泣きそうだっ
たわ」
 「そりゃ、気が付かないでわるかったな」
 おれはハンドルから離した左手を、かみさん
の右脚のパンツの上にのせた。

 「だあめ。あなた、一袋ぶんの食料、勝手に
自分のおなかに入れちゃうんだもの。それく
らいのこと、やってくれたっていいでしょ」
 「まだ言ってる。わたしにはまったく憶えの
ないことです」
 「うそばっかり。口の周りべとべとにしてさ」
 「とにかくもういい。減らず口たたくの。そ
の代わり、おれ、働くから」

 おれは若い頃世話になった製材所に、パート
で働かせてもらえないかと頼んだことを唐突に
思い起こした。
 「ああいいよ。だけど、材料が入るっていうか、
仕事があるときだけだ、かんね」
 「はい。ありがとうございます」

 大鋸が材木を切る。
 切られて細かくなって出てきたものを、両手
でかかえ、わきの荷置き場にのせる。
 ただそれだけの仕事である。

 一日中それをやっていると、どうしてもから
だに負担がかかる。
 右利きのため、切りだされ細かくなって出て
きた材木を、右わきでかかえてしまう。

 はなっとり。
 そう、呼ばれる仕事である。
 右わき、左わきと、交互に持ちかえていたら
良かったのだろう。そうすれば、今に至って骨
盤がゆがむような症状は出なかったかもしれな
かった。
 若いときと違い、無理がたたった。

 要するにかみさんは、おれの手取りがきわめ
て少ないことが、面白くなかった。
 一度ぜいたくを覚えたら、人間は忘れないも
のらしい。

 若い時なら、いざ知らず。もはや七十まじか
の老骨に鞭打っても、所詮は駄馬のごとき者。
 決しててきぱきと動けるものではなかった。
 社長に文句を言われつづけた。
 
  
 
コメント (1)
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