和英特許翻訳メモ

便利そうな表現、疑問、謎、その他メモ書き。思いつきで書いてます。
拾った用例は必ずしも典型例、模範例ではありません。

日航123便墜落事故陰謀論:ファンタジーに水を差す(7) ドーンの前に気付いていたのか?

2024-09-22 22:31:02 | 日航123便

ユーチューバーのワタナベケンタロウ氏の日航123便事故動画は当初青山透子氏や森永卓郎氏らの事実に反する、または無根拠な、珍妙なる主張(別冊は隠されていた、異常外力着力点は物体の着弾点、事故調は物体衝突を認めた、墜落後自衛隊は火炎放射器で乗員乗客と現場を一晩中焼却した等々)を推す陰謀論だったので嫌悪感を抱きしばらく視聴していませんでしたが、ワタナベ氏はいつの間にか路線変更されていたようで、先日久しぶりに視聴した動画は大変興味深い内容でした。

この動画で紹介されている読売新聞夕刊を私も近所の図書館で確認してみました。

この1985年8月22日の読売記事によれば、事故調は交信記録を精査した結果、機長は緊急信号発信の一分前に機体の不自然な揺れなどの何らかの異常に気付いたのは間違いない、18時24分2秒に日航機から管制にトラブル発生の第一報、羽田への帰還希望、および22000フィートへの降下要求があり、その一分後の25分ごろに緊急信号スコーク7700を発信したとある。

つまり、

24分02秒:トラブル発生、羽田へ引き返したい、22000フィートへ降下したい

25分ごろ:「スコーク77」

 

他方、1987年の公式発表(最終報告書記載のCVR記録)では以下の流れ。

24分12秒:「したいって仰る方」、「気を付けて」、「手早く」

24分35~36秒:「ドーン」

24分38秒:「不明」

24分39秒:「なんか爆発したぞ」

24分42秒:「スコーク77」

・・・

25分21秒~34秒:「トラブル発生、羽田へ引き返したい、22000フィートへ降下したい」

 

つまり、上記記事と報告書のあいだで、トラブル発生の第一報と、緊急信号発信の順序が真逆になっている。

「精査の結果」が真実ならば、異常の第一報はスチュワーデスからの「したいって仰る方」との問い合わせ(24分12秒)より前であり、「ドーン」の前にコックピットでは何らかの異常に気付いていたことを意味する。

さらには報告書のCVR記録が改竄されていることにもなる。

これは誤報だったのか?交信記録の読み間違い?当初の公表が「精査」の結果により訂正されたのだから、普通に考えれば後の発表のほうが正確のはず。まあ最終報告書と矛盾するから当然上記報道内容は間違いで、後に再訂正されたということになるんでしょうが、いつ再訂正されたのか?そのような、明確に時系列の異なる交信記録の解読ミスの可能性は極めて低いのではないか?

さらに記事によれば事故調は、機長が異常に気付いた後、「異常が垂直尾翼を破壊し」、「その後隔壁が破壊され与圧が低下した」疑いがあるとしている。

 

読売報道を基準に公式発表と合わせると、

24分02秒:トラブル発生、羽田へ引き返したい、22000フィートへ降下したい

24分12秒:「したいって仰る方」、「気を付けて」、「手早く」

24分35~36秒:「ドーン」

24分38秒:「不明」(私には「まずい」と聞こえる)

24分39秒:「なんか爆発したぞ」(同、「なんかわかったの?」)

24分42秒:「スコーク77」

(公式発表は大塚明氏によるCVR転載による)

 

これが多分真実でしょう。

だとすれば、これまでの複数の謎が説明できる。

1.なぜ異常音発生前のコックピット内のクルーは(音声解析による)緊張度が非常に高いのか?

2.なぜ異常音発生直後の機長(CAP)の第一声が「まずい!」なのか?

3.通常は発信まで確認作業に最低一分はかかると言われる「スコーク77」の発信がなぜ異常音発生後わずか6秒なのか?

4.なぜコックピットはスチュワーデスからの「したいって仰る方がいらっしゃるんですが」との問い合わせに「気を付けて」「手早く」、再度「気を付けてください」という、念入りで急かすような、緊張した、緊張を強いる応対なのか?

5.なぜ、急減圧の際に通常要求する高度13000フィートではなく、22000フィートへの降下を要求しているのか?

現実にはその後9月にボーイングが事故数年前の隔壁修理ミスを「自白」して、事故調は一気に隔壁説(最初に修理ミス部分からの金属疲労の発展により隔壁に2~3平方メートルの穴が開き、客室からの与圧空気が超音速で噴出して胴体尾部と垂直尾翼を内側から吹っ飛ばし、機内に急減圧が生じた)へ進み1987年に報告書および付録(別冊)を発表し、現在に至る。

以下、私の想像。爆発音の前に機体の異常などの「トラブルの報告」があったとなるとその内容と原因が追及され日航・ボーイング・監督官庁である運輸省すべての責任が問われる。事故機の整備歴を見れば過去にしりもち事故で隔壁を修理しており、ボーイングによる修理ミスがあった。日航は機内与圧に関する不適切な運用をしていた。官庁はそれらを見逃した。つまり、日航、ボーイング、官庁のすべてにエラーがあった。そこで隔壁が修理ミスを原因として「突然」破壊、油圧配管が全て切断し油圧オールロス・操作不能となったとするストーリーを日米合作で創作し、それに合わせた報告書を事故調査委員会は苦渋ながら作成、CVRを改竄し、発表した。こうして日航・ボーイング・監督官庁が痛み分け、ボーイングは泥を被り恥を忍んで問題を事故機特有のものとし、日航は運用不適切の責任を回避する代わりに引き続きボーイングの機体を購入、官は監督責任を回避するため両者の調整と後始末に奔走、そして事故の真相は闇へ葬られた。

私は今のところ、この事故の原因は航空史研究家の竺川航大(じくせん たかひろ)氏の唱える、金属疲労の加速による垂直尾翼の早期破壊だと思います。この説によれば、客室内の与圧設定がボーイング規定の6.9 psiより高い8.9 psiに設定されたため金属疲労が加速し、最初に垂直尾翼が損壊し、その衝撃で圧力隔壁上部と胴体上部壁との間に隙間が生じ、そこから瞬間的に空気が非与圧部に漏れた、隔壁の破壊は墜落時に生じた、とのことです。

沈黙の翼
記録が語る日航123便墜落事故の真相
第1章 100人の機長が綴るタイム・ゼロへの航跡 その1

(読売新聞1985年8月19日朝刊)

(この動画の左上に表示される時刻は実時間だと思いますが、報告書のCVR記録の時間と部分的にズレており、1~3秒程度進んでいる部分があるようです。例えば「ドーン」は報告書では18:24:35ですが、動画では18:24:32辺り。)

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9 コメント

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Unknown (匿名)
2024-12-23 00:21:44
18:12:10.離陸(前後方向加速度3G)
18:12:30.「東京ディパーチャー、
日航123便、滑走路方位を維持して
います。800フィート通過しました」

8:12:35.機首方位180度指示。
18:15:55.機首方位200度
(事故調査委員会報告では 18:18)

ニューヨークタイムズの報道
「離陸3分後問題発生」

8:12から15迄は順調に推力や高度も上昇。

18:16:22「日航123便SIDコースの
2マイルより右寄りだ通常の航法に戻せ」

18:17:15「日航123便・・・レーダー誘導を待て」
返信する
Unknown (匿名)
2024-12-23 00:22:58
2マイルより右寄りだ通常の航法に戻せ」

18:17:15「日航123便・・・レーダー誘導を待て」

18:16:22から18:17:15の間の通信内容の
欠落は何故なのか?
[匿名さん] 
0 0
#2
2024/12/14 12:52
18時00分10秒 さよなら
東京クリアランスデリバリー
18時00分14秒 おやすみなさい
JAL123
既に挨拶しております。

以下は改竄可能性
18:20:51「日本航空123便、
あ、日航東京本社」
18:20:55
「123便、日航東京本社、
続けて下さい」

18:20:58「日本航空123便、
12から落ちて居ます」
18:21:00「123便受信しました
・・・良い日を」

18:20異常発生(毎日新聞)の報道あり

8:20 伊豆半島を捕捉
ベルトサイン消灯 スチュワーデスが
サービス開始。サマーキャンペンで、
子供達にミッキーマウスの人形を配る。
中央最後部60Dでは、川上 慶子氏は咲子
氏(故人)の人形を気に入り母和子氏
(故人)にたしなめられる。
この頃、異常発生したと本人
が言ってました。

ベルトサイン点灯。


実際には
18:20:51「日本航空123便、
あ、日航東京本社」
18:20:55
「123便、日航東京本社、
続けて下さい」
18:20:58
「日本航空123便、異常発生」
18:21:00
「123便受信しました・・・」
返信する
Unknown (匿名)
2024-12-23 00:24:47
相模湾での異常発生考察 相模湾を時間
を巻き戻すかの様に旋回させて、機体
後部に衝突試験

伊豆半島が見え始めた18:20シートベルト
着用サインが、消え機内サービスが、開
始されます。川上 慶子氏も直後異変が起
きたと言ってます。

落合 由美氏の証言「私は56 Cの座席で
雑誌を読んでいた。後部客室の状況は、
いつもと、違った事はなかった。

午後6時25分頃『バーン」という音が上の方
でした」 18:24:35『パーン』
18:25:0.5『ドーン』以前の証言が、座席で
雑誌を読んでいた。で、消されています。

ですが、「後部客室の状況は、いつもと、違
った事はなかった」と語って居られる事から、
外部では違っていた事を示唆しているのかも、
知れませんね。
返信する
Unknown (匿名)
2024-12-23 00:26:47
18:20異常発生(毎日新聞) 機体が、左旋回
して、レーストラックを描いた様に戻り始め
たのです。 普通は、上空待機(ホールド)の
基本としてウェイポイント 又は VOR/DME を
起点にしますが、今回の異変はコックピット
クルーの意思に反したものだった可能性が高
いのです。

通常なら高度14000ft未満では60秒(1分間)
で、180度旋回した後、一定進んでまた180
度旋回を繰り返しになりますが、今回は、3
分東に進み180度の旋回をして、25分を迎え
ます。

三浦半島の三浦市と伊豆半島の伊東市を結んだ
内側の区域内で起きた事で、この区域は日米合同
訓練空域、海域であり、1万4千フィート以下と
なります。18:25
返信する
Unknown (匿名)
2024-12-23 00:28:38
垂直尾翼の一部が、三浦半島の三崎港灯台
南西15.1kmから発見されたとの報道がありました。

検証
1985年8月14日付のアリゾナ州の新聞
アリゾナリパブリック紙

JAL広報担者のワタナベ・マサルさん
によると、ジェット機の垂直尾翼の一
部が相模湾の、東京から南西約60マイル
(111km)の位置で、建設会社のタンカー
によって、引き上げられたという。

渡辺氏によると、羽田空港から大阪市西部
に、向かっており、同機が緊急着陸しよう
として、北に方向を変えた付近の地点だった
との事だそうです。

東京から南西約60マイルが、実は60km
だとしますと、三浦半島三崎港灯台の南西
15. 1kmと合致し、建設会社のタンカーが
存在する海域に相違は無いでしょう。

111kmの方は実際に18:28エマージェンシー
ディセントを開始し、北に向きを変えた場所
と言う事になります。
返信する
Unknown (匿名)
2024-12-23 00:30:45
事故調查報告書本件開示文書
3つの飛行経路角度での
軽飛行機衝突試験
NASA 技術文書
一般航空の衝突力学計画
NASA/FAA
大型輸送機のキャビンの安全性
NTSB
ボーイング
耐空性改善通報
FAA
ボーイング
耐空性改善通報
飛行機の損傷許容設計要求
(USAF)
U.S. Air Force
DC-10 決定基準
概要報告書
FAA
事故当日。1985年8月12日
軽飛行機の衝突テストを行ってました。
研究用RPVでの誘導制御技術
1984/2月-1987/2月
返信する
Unknown (匿名)
2024-12-23 00:32:47
三浦半島の三浦市と伊豆半島の伊東市を結んだ
内側の区域内で起きた事で、この区域は日米合同
訓練空域、海域であり、1万4千フィート以下と
なります。18:25

第二回目の異常発生
18:20異常発生(毎日新聞)
第三回目の異常発生
週刊サンケイ1985年9月19日号 元電気通信
大学講師井上赳夫氏談話「フライトレコーダ
ーを見ると既に24分10秒には、方向蛇が右に
飛んでいる・・・」中間報告前に、報道陣等に
配布されたフライトレコーダー記録で、事故
報告書に記載のフライトレコーダー記録は更に
改竄されている可能性が高いです。

その飛行データは、YouTubeの123便
ドキュメントで使われてます。

異常発生時刻18:25:00を18:24:35.6に
したと考える時に、18:24:30が始めの
異常発生を念頭に置きます。
18:24:35.6-18:24:10=25.6
25.6前つまり:25:00-25.6=18:24:35.6には、
謎の飛行体を回避運動でわしている事も、分かります。
返信する
Unknown (匿名)
2024-12-23 00:35:41
ドーンバリバリ
見えませんか (COP)
咄嗟に操縦輪を下げ
方向舵ペダルを踏み右へ回避
18:25:03 まずい何かたったぞ(CAP)
18:25:07 スコーク77入れるぞ(CAP)
えっ(COP) エンジン?(CAP)
スコーク77(COP)
オールエンジンクリアー(F/E)
オッケー(CAP)
18:25:10 ススコーク77東京管制部受

最大5分限りの離陸推力(マックスパワー)
で、飛行を開始して、時差を縮めてます。

18:25:20 機長は社内無線で、先輩ディス
パッチャーと機体の動きが、おかしい点
を話し合い始めますが、困惑していました。

ラジオライブ
1985年 8/12 管制交記録
(1) 18:26 スコーク77発信を確認
(2) 18:27 トラブル発生と管制へ報告
(3) 18:33 R-5ドアがブロークンを通報

以上は8/13昼までに判明してます。
返信する
Unknown (匿名)
2024-12-24 18:07:40
子供達の事をよろしくたのむ
今6時半だ
飛行機はまわりながら急速に降下中だ
本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している

川口氏の遺書にもありますが、18:30前にまわり
ながらと書いてますが、18:20からの楕円の右旋回です。
返信する

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