角田四郎著「疑惑 JAL123便墜落事故 このままでは520柱は瞑れない」(早稲田出版、初版1993年)。力作、労作である。運輸省航空事故調査委員会(事故調、現:運輸安全委員会)の提出した隔壁説への、当時から現在に至るまでの疑問、疑惑、反論、そして陰謀論の原型がここにある(火炎放射器説はない)。著者は1985年8月12日夕刻、山梨県大月市の梁川(やながわ)駅近くでキャンプ中に偶然日航123便を目撃した。18時40分~44分頃にかけての大月上空の所謂「大月旋回」途中であった。公式には高度は17000~21000フィート(約5200m~6400m)くらいだが窓がはっきり見え思わず手を振り、山の高さ(倉岳山、標高990m)等から考えて2000~3000mくらいだろうという(p395)。
「桂川の河辺にある高台に歩を進めた・・・ほぼ南を向いて立っていた私の左手に、北から南へ向かって・・・ゆっくり南下して行く・・・倉岳山の東側を南西に向けて山影に消えた・・・その山の右へひょっこり顔を出した。今度は西へ向かっている・・・すぐに次の山影にかくれて見えなくなった・・・6時40分~41分頃から43分~44分程の間」(p55)
(梁川駅入口近くから南、倉岳山を見る)
そしてさらに2~3分後、2機の自衛隊機を目撃したという(p60, p389)。
(同じ場所から北を見る)
翌日13日、日航機墜落のニュースを耳にし、墜落現場がこれまた前年にキャンプした場所の近く、群馬県上野村と聞いて以降、報道に釘付けとなり、徐々に違和感と疑問が膨れ上がってくる。さらには友人の恋人が搭乗していたことが分かると現場へ向かい、事故から六日目の18日午後に現場に立った。
「山中湖の辺りに飛行機が、山の方に向かっ
て、フラフラって飛ぶなんてありえないです
よね」「見たんですよ」「写真撮ってない」
「周りにもいてそれで飛行機が飛ぶのおかしい
よねって みんなで言っていた」「ペンションの
宿に帰って、テレビをつけたらなんか騒がし
くやってるじゃないですか。なんでえ、さっ
きの飛行機 だったてみんな言っていた」
Kyoko氏 (元アメリカやタイでキャスター)
が、実は私、あの日123便を見ていました!
と発言! 山中湖上空をゆらゆらとかなり低い
高度で飛んでいく 123便の姿を見ていた。
山(御正体山)にぶつかりそうになった。
上空2、300mと言う事だそうです。
(プルアップ)して衝突回避した後で
進行方向が、都留市中央一丁目方面へ
日駅ジャンボ機の機影を都留市中央1-8-21
神職の源生 真光氏(54)が自宅前で撮影した。
十二日午後6時半すぎに低空でゆっくり北上
する旅客機業を見つけ2回シャッターを切っ
た。 飛行機は秋山村の方から大菩薩峠の
方角へ飛び去った。(山梨日日新聞)
この後の目撃談は、都留市宝小学校の
上空を18:37頃飛行しています。
都留市中央一丁目から宝小学校が、繋がる
為には、左旋回のループが存在しなければ
なりません。
経営吉原康明さん(32)から、近くの海岸
で、群馬県上野村に、不時着した日航ジャ
ンボ機のものとみられる金属片が打ち上げ
られているのを見つけた、と沼津署西浦駐
在所に届けがあった。
調べによると、この金属片は縦1メートル、
横40センチ、厚さ7センチほどで、端がち
ぎれたようになり、白い塗色で内側はオレ
ンジ色だった。小さなりベットが打たれ、
表面に「16」か「91」とも、
読める数字が書かれていた。
1985年12月28日ごろ、ハウスのアルバイ
トの大学生が見つけ、吉原さんが保管して
いたが、1986年1月10日に伊豆半島山中で
日航ジャンボ機の垂直尾翼の一部が見つか
ったニュースを聞いて、届けたと言います。
沼津市平沢らららサンビーチより、北部に
ある場所にて、1985年8月12日の夕方6時
半頃、日航機123便と思われる飛行機を目撃。
当時、夏休みで、複数のお友達と、夕方
まで外で遊んでいた最中に、たまたま上空
(割と近くで大きく見えたようです)を飛
んでいた飛行機を目撃しており、「おかし
な飛び方をしていた・・・フラフラしなが
ら飛んでいた。」と、話しておりました所、
日航機123便墜落事故の事をニュースで、
知りました。
富士山大野路キャンプ場で 「随分
低くく左右に揺れながら飛ぶ」のが
目撃されてます。
富士山中腹でアルバイト住み込みの人が
帰宅途中に、ふらふらと飛ぶJAL123便
を見る。
「その飛び方は飛行機と思えない」
と証言してます。
18:33頃
富士吉田市から観て、富士山
の真横を通過して来るのが、
目撃されています。
「突然北方から飛んできた飛行機が村
の上空で急旋回し、また北方へ行った。
低空を飛んでいるので墜落すると思った」
藤本 重則氏(37)
(読売新聞8月13日朝刊)
山梨県南都留郡秋山村無生野で目撃
(2005年に上野原町と合併して現上野原市)
解説します。
「8の字飛行」30分のナゾ日航機墜落
水平尾翼も損傷? 機長、必死のエン
ジン操作 パイロットなどの推定
(読売新聞)
この題目からは、ダッチロールだと推
定されてはいますが、生存者の証言か
らは、ダッチロールではなく、旋回す
る際に機体を傾ける操作が、左右に延
々と続いたらしい事が、浮かび上がり
ます。
18:35〜18:44頃
実際には左旋回と右旋回ループが、
行われていた可能性の方が高いのです。
都留市中央一丁目(源生 真光、 広枝夫妻目撃)
→大菩薩峠方向、 県境→左旋回→18:37都留市
宝小学校、再上昇→右旋回18:40~43秋山村
(藤本 重則氏目撃)
18:42都留市与縄 (小林 勝蔵氏目撃)
梁川町キャンプ場(角田 四郎氏目撃)
660m(2011フィート)迄の降下要求
18:29
どのような緊急事態か?
可能であればトランスポンダー
2027で応答せよ。
(東京ACC)
戻りたい、詳しく事は後で言う(JAL123)
18:31
660m降下達成
スコーク77発信
ジャパンエア123 リクエスト
ユーア ポジション! (ACC)
(JAL123便現在位置を報告せよ!)
コックピットで管制官の
「Japan Air 123 request your position!
(JAL123便現在位置を報告せよ!)」
という声を聞いている機長が、 証言してます。
全日空機18:22宮崎行き 羽田離陸した高田 明氏
18:31:4 ああ、了解
18:31:10 ポジションレポート
(現在位置通報)
大島の北西30マイル付近(55.5km)
大島の西30マイルでは、18:28の地点になり
同じ場所に戻って仕舞った事になりますが、
ループを描いてませんから、齟齬をきたします。
詰り、三島市か沼津市付近になります。