日航123便墜落に関する陰謀論で数々の大胆な主張をなさっている青山透子氏、生の声を初めて聞きました。
24:54~
28:05~この動画において、青山透子氏(音声のみ)によれば、信濃毎日新聞の1985年8月12日の号外に「墜落現場は群馬県上野村の山中とみられる」との記載がある、したがって「墜落して号外が出るときにはすでに墜落現場は分かっていたということになる」と述べられています。
12日の号外というんですから12日18時56分の墜落後、12日午前零時前に少なくとも記事原稿が作成されたということ?だとすれば、公衆への配布開始は早くても13日未明~早朝でしょう。しかしそれでは通常の朝刊と大差ないし、みんな寝ている。号外の意味があるんでしょうか?実際に12日の号外の記事が作成された日時は12日とは限らないとか?
公の場で発表されていますので実際あったんでしょう。是非読んでみたいものです。
しかしそうだとしても、実際事故直後から長野県側という情報と群馬県側だという情報の両方が錯綜していたわけですから、ソースによっては12日中というような早い段階で群馬県上野村を示す報道があっても別に不思議はないような気がします。
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