願はくは花のもとにて

2024-04-01 17:40:06 | 日記
 4月1日です。今日から新年度です。現役の皆さん、学生の方々、頑張ってください。

 24日の「さが櫻マラソン」は雨予報に怖気づいてDNS。先週、3月27日遠藤周作の101回目の誕生日(長崎市遠藤周作文学館では、9月まで「100歳の遠藤周作に出会う」企画展が行われています)。

 
 そして、3月25日は、旧暦2月16日西行法師の忌日「西行忌」でした。

       願はくは花のもとにて春死なむその如月の望月の頃    西行

 この歌は、西行法師の辞世の歌とされていますが、史実では、少なくとも73歳で没するまえ58歳以前の作のようです。西行の伝記が作られる鎌倉時代の頃から現存する江戸時代の「西行物語」で、亡くなる間際の詠歌(辞世の歌)とされたようです。老齢の西行は死期の近づいたのを悟り、自ら断食し釈迦入滅の日に1日遅れで餓死したとのこと(仏教学者山折哲雄などの説)。文治6年2月16日(1190年)没

 今の世では、自分がどこで死ぬか、自決するほかは自分では選ぶことはまず出来ないでしょう。自殺でも追い込まれてのはてでしょうから、どこでなんて選ぶことはないのでしょう。裸一貫国を出て~♬ 汗水流して、子どもたちに自分のようなみじめな目には合わせたくないと、堪え難きを絶え忍び難きをしのんで鬱屈は酒に流して、手に入れた我が家。この家で俺は死にたいと思っても、何故だ! 施設か病院かベッドの上で最期を迎えるのが大方でしょう。

 ありゃ、話が暗くなりましたね。31日は、爺さんの満75歳の誕生日でした。最期の時と所は選べないにしても、誕生日くらいは自分で選べます。

 爺さんは、長崎市野母崎の先っちょ権現山で誕生日の朝を迎えることにしました。来る5月に出走予定の「橘湾岸スーパーマラニック」のコース上です。
 30日pm18;15 長崎駅西口をスタートします。まづは稲佐山へ。
 暮れ残る登山道の桜は3分咲きか。

 山頂からの長崎市街、クルーズ船が停泊しています。


 以後、暗闇につき写真無し。腰に着けたライトと小型の懐中電灯で足元を照らしながらゆっくりと走ります。なにしろ路面が良くなくこけちゃいましたとなりそうで。そうなると夜間走なんてダメ、、、。

 女神大橋のエイド箇所 45km 31日am01;55着 所要7時間40分 レース時には6時間40分ですから夜の単独走にしては十分です。ただし、なんとか走る気分だったのもここまで、後は、もう嫌だ、の歩きばっかり。我ながら情けないことでした。

 60km地点、野母崎以下宿(いかやど)am06;04 日の出の時間です。皮算用では、この時刻に権現山頂のはずでした。


 野母崎半島では、山桜が満開でした。西行の「花」も山桜ですね。

野母漁港対岸


 権現山山頂 70km地点、am08;15着 14時間。レース時より1時間20分遅れ、トホホ。
 爺さんは、ここで鐘をつきました。広島市平和公園と姉妹鐘で平和を希求する名がついていますが、爺さんの場ワイは、75年の悪事の懺悔と贖罪の鐘というべきかも。(鐘をつくくらいでお前の悪事が流れるものか、という声有り、、、)。
 動画を取り込めませんでしたので、見たい方はFBへどうぞ。


 ひたすら歩きますが、もはや樺島灯台へ向かう気力、脚力無し。ここから、市内へ向かうバスは今日を限りに減便、一部路線廃止とか、記念に乗って帰ろうかと思いましたが、本番に向けて気持ちの上での負け戦になる。せめて川原までは歩こう。樺島へ右折せず、川原方向へ直進します。
 
 展望の開けない急坂、道端の草草を愛でながら進みます。
 山桜です。


 アケビの花


 ウベ(ムベ)の花


 茂木ビワは、花も大きくて綺麗です。

 ウソです。実にかけた袋でした。実はこんなです(野生化したビワの木)


 川原でバス便がないので、為石、栄上三叉路まで歩きます。もう、時刻の記録もありません、どうでもよくなりました。バス待ちに缶ビール、美味しゅうございました。
 栄上三叉路で、corosuによれば、 87.35km 18;56;09 平均ペース13;00/㎞  これじゃァ本番ではまったくダメです。トホホ。


 ホテルで風呂に入って、どうしても焼肉が食べたいと、スマホで検索して桜町の「グリーンキッチン」(? うろ覚え)へ、うまかったなぁ! 安かったし、満足。
 では。



 


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