心の問題と身体の問題はリンクしている・・・
ということをはっきりと感じてから、体調不良と心について調べたりしていた最近・・・
病院での治療を受けないでガン治療をされていた知り合いの方が、数ヶ月前に亡くなっていたことを知り、残念な気持ちでいました。
その方の教えで、ハワイのホ・オポノポノを知り、スピリチュアルな場所、イギリスのフィンドホーンを知りました。
そんなこんなで、その方を思いながらネット検索をしていて、稲田芳弘さんの「ガン呪縛を解く」を知り、千島学説にまで、たどりつきました。
ガンだけではなく、身体の不調すべて自分の一部であるということを感じていたこの頃なので、直感でこの考え方に賛同していました。
千島学説が何十年も封印されていた経緯や生物学を知りたいというわけではないし、今まで西洋医学の恩恵も受けていました。
でも・・・今の西洋医学がすべてか?には、??と思うこともありました。
闘病といって、病気と闘う…病気を敵とみなしていく考え方は、自分の中にあるものを嫌い、排除しようとすることです。
ということは、自分を大切にできないことなんです。
病気や体調不良は、身体からのメッセージです。
正常にしようと頑張っているけど、あ~もういっぱい、いっぱいという身体の声に耳を傾けてあげましょう。
自分を大切に、身体を大切にと思うと、不思議に疲れやストレスはなくなっていくようです。
ということをはっきりと感じてから、体調不良と心について調べたりしていた最近・・・
病院での治療を受けないでガン治療をされていた知り合いの方が、数ヶ月前に亡くなっていたことを知り、残念な気持ちでいました。
その方の教えで、ハワイのホ・オポノポノを知り、スピリチュアルな場所、イギリスのフィンドホーンを知りました。
そんなこんなで、その方を思いながらネット検索をしていて、稲田芳弘さんの「ガン呪縛を解く」を知り、千島学説にまで、たどりつきました。
ガンだけではなく、身体の不調すべて自分の一部であるということを感じていたこの頃なので、直感でこの考え方に賛同していました。
千島学説が何十年も封印されていた経緯や生物学を知りたいというわけではないし、今まで西洋医学の恩恵も受けていました。
でも・・・今の西洋医学がすべてか?には、??と思うこともありました。
闘病といって、病気と闘う…病気を敵とみなしていく考え方は、自分の中にあるものを嫌い、排除しようとすることです。
ということは、自分を大切にできないことなんです。
病気や体調不良は、身体からのメッセージです。
正常にしようと頑張っているけど、あ~もういっぱい、いっぱいという身体の声に耳を傾けてあげましょう。
自分を大切に、身体を大切にと思うと、不思議に疲れやストレスはなくなっていくようです。
余命宣告は、経験がないので、こう思いますとは言えないです。壊れるかもしれないし、受け止めるかもしれない・・・その時にならなければわからないです。
人が壊れる瞬間・・・
私は自分が壊れるかもしれない瞬間、体験したことあります。ものすごい恐怖でした。
人が壊れる時は、自分を攻撃している時だと思うのです。無価値感や罪悪感。自分で自覚していなくても潜在意識にそれが隠れています。
だから、自分を癒やすことが大切だと思うのです。
自分を好きになること。
これが一番ではないかとこの頃思っています。
とにかく自分のすべてを認めてあげること。
それを心がけています。
私が思うスピリチュアルは、その考え方で、自分自身が楽に生きられれば、「それでよし」という考えです。
でも、○○商法になってしまうのは、違うと思っています。物に頼るのは「依存」だと思います。
あくまで、精神性のみです。
不思議なことや偶然と思われるシンクロなど、誰でも経験しているはずです。
私は、多角的なものの見方をしたいという思いを持っているので、何でもありと思うのです。
なので、こういう考え方もあるよと聞けば、「なるほど」と一旦は受け入れようと思っています。その後で、自分で咀嚼していきたいなと・・・
なんでも受け入れる受容力極めたいです。
カウンセリングは心の問題を扱うので、スピは避けて通れないとこですよね。
(大体、ここのところ勉強・意欲不足も甚だしく、この梅雨時期、退職して時間があるのをいいことに梅干・梅酒・ラッキョウ作りのことばかり考えてまして、氏の講演は多いに刺激になりました。)
…で、私は「心と身体は」を、霊の方で目にとまり、ポイカさんは「ガンの呪縛を解く」という観点から読まれたのでしょうね。
私自身は、人生における苦難はどんな方法であれ、そのかたがそのことを受けとめることができればもうそれで最高、いろんな分野の方が手をさしのべていて、それに巡り合えるかは、その人の…運かな? なんて勝手に思います。
知恵で救うお釈迦さんの話があります。
…自分の最愛の赤ちゃんが死んでしまいその事実を受けとめられない母親が、すでに腐敗している我が子にも気づかず抱いて、誰か助けてください!と通りをうろうろ、錯乱しているのを見かけた修行中の仏陀が、声をかけます。
「私が助けてあげるので、どこかの家から薬を作るカラシ種をもらってきなさい、但し今まで死者が出なかった家のものであること」
母親は一軒一軒家を回るが、カラシ種はあるのだけど、どの家も親が死んだ、夫が亡くなったとか、死者ばかり…。
その訪問するプロセスの中で、母親はわれにかえっていって鎮まり、お釈迦さまに、「もう子供には薬はいりません、供養してください」 とお願いする、という話があります。
この、仏陀は声をかけただけ、母親が自分で立ち直っていくという話、絶対カウンセリングだよね、何もしてない仏陀はカウンセラーだよね。
上嶋先生の話を聴きながら、昔読んだこの話を思い出しました。
komoさんは、こんなことも含めてスピリチュアルって言っているのかな。
(ほんとに文が長くて失礼、ブログが炎上しませんように…)
ある意味宗教がらみの自分自身での思い込みに頼るしか方法がないのではないでしょうか。
幸せって?不幸って?
何と比べているの・・・
比べることのない自分?
お金持ち?
毎日が充実したホームレス?
隣の家族?友達?同性?異性?自己満足?優越感?劣等感?
なんだか、哲学的になってきましたね。
余命宣告を受けた場合どうします?
壊れます!
あのロジャース夫婦でさえ晩年スピリチャルにはまったようで、解るのですが、言い方を変えると「民間療法」、私が小学生の頃、隣に「文殊さま」を名乗るばあ様がいまして、井戸の水を一升瓶に入れて、数日外に放置して「聖水」として売ってました。
それでも、入れ歯がなくなった、財布がなくなった、とかで誰かが盗ったんじゃないか、と結構相談者が来てました。
どうも、その幼児印象が強くて…。
日本には表の宗教と裏の宗教があって、一時ちょっと調べていた時期がありましたが、50人までの信者ならまあだれでも努力すれば教祖になれるけど、100人以上の信者を得ようとすれば才能がいる…(そう、ビートたけしが教祖の映画を作った頃です)。
それとガンのことは別物ですが、私の先輩が述懐してましたが、「自分が尊敬する上司がガンにかかったら、ある宗教にのめり込んでしまった」と、話をされてました。
また、宮崎の延岡市で働いてたとき、効果な30万円以上の薬をガンに効くといって(人により助かったひとがいるからですが)、かなり人気のあった販売者がガンで亡くなり、それはマル秘事項としてこっそり語られてました。
肢体不自由な今世紀の天才宇宙学者(あー名前がでてこない)が、先般、「この世に死後はない、神はいない、コンピューターが故障して機能停止したら、そこで終わりでそのあとはない」 なんてことを発表して記事になってましたが、なんだかそちらの方が説得力がありそうに思えます。
アメリカのキリスト教社会では、もっと意味合いが違うのでしょうが。
スピリチャルは信じたいのだけど(洋画を見てよく感動するんですけど)、そうはうまくいかないだろうな、という感じです。
また、長いコメントで失礼しました。