本欄でも数回にわたってご紹介したかと思うが、愛称校長先生の事案である。彼は愛称どおりで、市井の役割も現職の校長先生、つまり超多忙な現場の先生なのだ。子ども達に焼き芋を食べさせたい・・・・との一念から農作業に励んでこられたが、やはり無理があったようだ。懸念してた心配が具象化した模様で、子狸は存じなかったが、リーダーへは「農作業から撤退したい」との連絡が入っていたようだ。理念は高く農作業が大好きとは言え、1日の持ち時間は24時間、これだけは完全な平等だ。やはり二足の草鞋は困難だったのだろう。彼の居住地は大阪市内、車で飛ばしても最低1時間以上は掛かるだろう。往復の時間に作業時間とくれば・・・・・・・どう足掻いてもしんどいですわな。
彼からの紹介だったのかどうかは不明だが、運良く後継者も見つかったようだ。賑やかな大阪マダムの3人組が、後を引き継ぎたいとの申し出。担当する農園は「NPO法人里山倶楽部」の会員であることが前提条件、入会を承諾した上での継承の模様だ。従って前回ご紹介したイモ畑の動きは、彼女らの下準備だったらしい。仲間によって進入路の草刈りが実施され、彼女らが動きやすいような手助けも行われたとか。情報不足で何ともお恥ずかしい。何時ものパターンで、三日遅れの頼りを載せて・・・・・・の歌の文句じゃないが、一周遅れの動きが顕著だ。
彼女らの希望は「不耕起栽培」らしいが、それだけは遠慮してもらった。耕作放棄地の解消が意図する狙い、わざわざ耕作放棄地を作り出すような動きは当地では望ましく無いのだ。不耕起栽培が希望ならば、別のチャンスをお探しあれとの条件提示で了解された模様。ご存じだろうが農作業はある意味広い意味での共同作業、地域の伝統と慣習が大きな意味を持つ。自分の理念だけで突っ走るには少々困難なのだ。
ともあれ彼女らの参画を歓迎したい。全国的に見ると、農地が放棄されヤブ状態に近づいているのはご存じかと思う。赤阪村では比較的良好で、其処までの現象は少ないが、我々が担当する農園も地主殿には耕作の意思は無い模様。すなわち我々が関与しなければ行き先は耕作放棄地だ。緑豊かな棚田地帯は日々の農作業によって維持されていくもの、参加する人々が無くなれば原野となり山へと戻るのは必定だ。彼女らの意思と活動が棚田地帯の維持管理に大きな役割を果たしてくれるものと期待を込めたい。