まずは
http://www.dailymotion.com
ここの動画サイトに音声アップロード中です。
明朝には書き換えられるでしょう。
そのときにもういちど
この動画を再生しながらお読みください。
画像は入っておりません。
音だけです。
スハネフ14-551の室内の音を延々と録音しました。
22時42分青森発
青森駅4番ホームから発車となります。
急行はまなすは日本ではここだけとなった急行客車列車として毎日走っているわけで。
当日は2両目にハネを「増21号車」として増結した8両編成での運行。
通常はハネ2両、簡易リクライニングシートのスハフ2両に挟まれたリクライニングシートのハザ、カーペットカーの7連が基本です。
今日は自由席も指定席もほぼ満員です。
寝台車も3両中5ブロックの下段が空いているほかは満席で、一部上段にも乗客が居る盛況です。
この日はスハネフ14-551に乗って札幌へ向かいます。
お向かいにはこれから車庫に入る485系3000番台の上沼垂仕様の車両がまもなく回送扱いで青森電車区に移動しようとしています。
列車は、特急つがる29号の客を呑みこんだ後は発車を待つだけとなります。
牽引機はED79.本日は12号車が牽引です。
トップナンバーは先日廃車解体となってしまい、もうありません。
改造されてから23年、製造されてからも既に37年ですから老朽機関車といっても過言ではないでしょう。
編成は
編成は
函館
スハネフ14551 Bハネ
オハネ2511 Bハネ
オハネフ25216 Bハネ
スハフ14556 簡リク・自由席
オハ14515 カーペットカー・指定席
オハ14503 ドリームカー・指定席
オハ14505 ドリームカー・指定席
スハフ14509 簡リク・自由席
札幌
となっております。
特急つがるが到着してからは30分の余裕があります。
今日はオハネ25が増21号車扱いですが、本来は2号車となり、本当に増やされているのはオハネフ25-216です。
24系25型の最終アンカーとして製造されたハネフの200番台もすっかり老朽車両となり、
216は現役最後番となってしまいました。
なにせもう稼動車両が全国で19両しかないオハネフ25
その中でも北斗星用として改造されながら非コンパートメントではないこの車の運用は大変珍しくなってしまいました。
残念ながら老朽具合もなかなかです。
一方、KATOの北斗星セットに入っていたオハネ25-11はやはり非コンパートメントのためはまなす専用となった感があります。
白帯でも良いくらい・・・。
そろそろ発車です。
発車してまもなくするとトンネルをいくつか越えます。
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この動画の音でなんとなく雰囲気を感じてください。
ずっと発電エンジンの音が鳴っております。
本日乗ったのはその発電エンジン付寝台車、スハネフ14-551です。
スハネフ25-218から改造された車です。
はまなす用ハネは非コンパートメント車両なので
このほかには
スハネフ14-552
オハネ24-501、502、504
オハネフ25-7などが使用されています。
極稀にオハネフ24-501が入ることもあるようですが
何故かこちらは北斗星車両の検査予備に入ることが比較的多いようです。
今となっては古臭いドアを開けて寝台に入ります。
全車禁煙となりました。
良く見ると車内プレートの書体が前後で異なります。
各社もバラバラです。
ところで、スハネフ14とほか2両ではモケットやカーテンの色が異なります。
スハネフ14-551のモケットが海老茶なのに対し
ほかの2両は薄いなんともいえない色です。
富士重工1980年新製
土崎工場1987年改造
エンジンは予備エンジン運用効率化で余剰となったものを使用しているそうです。
廃車発生とも言われますが、実質は土崎手持ちとのこと。
オハネフ25-216の妻ドア。
揺れてぶれます。
ドアも腐食が目立ちます。
あまり語られなくなった特長的な便所。
25型では2段化のため定員が少なくなり、トイレをレール方向から枕木方向に設計変更の上ほかの余剰スペース捻出も合わせて1ブロックを確保して定員減を抑えました。
その結果生まれた。
かなり狭い便所。
そして走行中開閉してしまう折戸のドア。
導入時、かなり叩かれたのも思い出深いです。
減光して暗くなった車内。
その減光が解けるのは苫小牧を過ぎて美々を通過したあたりです。
最後部のスハネフ14-551の後部ドア
はしごが縄締めされています。
貫通することがないと踏んでいるのかもしれません。
このままでは開ききりませんね。
脱出用梯子と思われます。
夜中に快走。
せっかくなのでシーツをきちんとセットしましょう。
これをしないと勿体無い。
料金の原資ですし。
無ければごろんとシートでよいのですから。
すっかり気分は東海道寝台列車。
毛布には北斗星マークが。
しかしちょっとひび割れ気味。
豊浦付近で上下が交錯します。
登別を停車して暫く、白老過ぎたあたりでだんだん夜が明けます。
減光も解け、放送が再開する頃には南千歳に停車です。
夜が明けていきます。
まだ車内は静かです。
デッキのドアガラスにも、実は便所の小窓にも割れ防止のフィルムが二重に張ってあります。
レタリングが妙に詰まった14-551のドア表示。
わが北海道はまだ雪深い。
こんなのがまだあります。
北広島駅通過。
すっかり帰ってきたという感じがします。
快走を続けるはまなす。
梯子を閉じて遊んでみる。
この作り付けの梯子も14系からですが、「合理化の弊害だ!」と随分趣味雑誌で叩かれたのも遠い思い出。
西の里信号所通過。
ドアには吹き込まれた雪がこびりつきました。
新札幌停車。
最終停車駅です。
降りる人は僅かです。
札幌貨物ターミナルを横目にラストスパート。
札幌駅に滑り込みます。
あっという間のはまなす。
ただ、簡易リクライニングシートの自由席では結構長く感じるはずです。
増結するだけ盛況と見るべきでしょう。
簡易リクライニング車両。
満席だったドリームカー。
この元々グリーン車両シートもかなり古びた、わびしい雰囲気がないわけでもありません。
肘掛は擦り切れて黒くなっています。
純正G車オロ14-0という形式が起こされていれば、この車両は存在したのでしょうか。
空調関係もかなり現代レベルでは難があります。
実は寝台、私の寝たスハネフ14は非常に暑く、オハネは寒く、オハネフも寒いという感じであり、ドリームカーは非常に暑かった様な空気でした。
細かい調整が全く利かないのもこの時代の車両でしょう。
夏に乗ったときのスハフ14はエンジンとAU13が煩いし湿度が非常に高どまって居たのが厳しいものでした。
正直、ススキノの閉店したバーを居抜きで再開したような雰囲気のロビー。
これもあるだけまだ良いのですが、色合いが非常に厳しいものがあります。
牽引してきたのはDD51-1148
隣には然別へ連絡して走り去る普通列車。
検査上がりたてなのでしょう。
綺麗な色でした。
列車の位置づけ的には欠かすことの出来ない列車だと思います。
新幹線が函館に貫通したとしても、実はそれは変わらないはずです。
札幌を深夜に出て東京に定時出社できる連絡列車のスジになるのですから。
最終便飛行機より遅く札幌や上野を出て、翌日の飛行機より早く仕事に戻れる。
北斗星よりビジネスには適した列車ダイヤの一翼になるのですが、果たしてJr北海道はどう取り扱うのでしょう。
新幹線さえ来年青森まで来たとき、実ははまなすは大きな便利列車の地位が本来上がるはずなのです。
やっぱり検査上がりたてでした。
新幹線が廃止のトドメにならないはずなんですが・・・。
車両の限界はもう来ているのですよね。
夢だけではなく現実的に使える列車なのですが。
どこまで走っていてくれますことやら。
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