鉄道模型工作記録帳

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〇久保さんちの近郊電車9

2010-03-20 03:12:00 | 首都圏の電車は長いぜよ

大きな課題を抱えておりますよね。
「クハ401-51の車体を延長すべきか」

そら見ている立場になると「やれやれ~^^」
となるんですが、凄まじくリスクが高い。


0.5mmの板を敷いてみます。


このようにすると


延長すべき差がこのように具現化できます。
さて・・・。

このためのリスクはかなりのモノです。

まず歪まないように車体内部に補強を組みまくる必要があります。
で、裁断、1mmのプラ板をハサんで再接合。
断面を完全に一致させる微調整・・・。

接合後、補強の取り去りと仮接着面の復元・・・・。

考えるだけでもぞっとします。

運転台を別のキットから持って来ると、断面調整はしなくても良くなり、普通の全断面切継ぎになるのでたいしたことありませんが、これを延長するのは至難の業です。

今のところ「省略の美学」の論が勝ってますねぇ。


とりあえず、屋根を作ります。
クハ401-101は元サハ115なので全て押し込み式ベンチレーターですのでグロベン穴は全て不要です。


グロベン穴は2.0mmだったので、2.5mmプラ棒があればやりやすかったですが、2.0しかなかったので


軽く引き伸ばして


カットして


差し入れていきます。


さらさらタイプ接着剤を少量差し入れて溶着した後、裏をカットして


軽くザクって


補強の瞬間接着を。

完全乾燥まで丸一日起きます。


テールライト挿しちゃいます。
前の記事の通り、もともとの素晴らしく精巧なプラテールライトは、吹っ飛ばしてなくしていますので在来工法のパーツ利用です。
千枚通しかポンチに挿して


入れ、その後ジャンパ栓準備へこみを埋めます。


屋根ですが素晴らしい精度ながらも加工で多少歪むこともあり、また方向幕穴あけでボスが死んでしまったのでそのままでは浮いてしまいます。


そこで一計。
2.0mm角棒を2本接着し
4.0mm×2.0mmのブロックを作成。


割って



この場所に接着。


屋根を独立させるとこの位置。


0.5mmプラ板を適当にカットし


この場所に接着。


こんな雰囲気。
屋根密着するとぴったりフィットの予定。


こうして、穴を後で開けて、ネジ止めすることにするのです。


さぁ、前面もあとはタイフォンのみ。
タイフォンは部品にするか自作するか・・・。


飛び出し寸法は、こんな感じかと。


微妙な顔つきの変化が感じられるかな?
ああ。トミックスの前面を切り接げばもっと簡単だった気もする反面、
キットの前面をきちんと活かせたということで今回はよしとします。

なんてったって、
左のクハ401-51はKATO153系前面を
右のクハ401-101は113系前面を奢ったほうが「より」スペック上で正確だったのですから。

ただ、そうするとアルファモデル処女制作の意味が半分以上削がれますので、これで良かったのでしょう。



   ↑ここまでくると低運転台も作りたくなりますね。


〇久保さんちの近郊電車8

2010-03-19 01:40:00 | 首都圏の電車は長いぜよ

改めて、東海顔の調査なんぞしてみました。
あ、今日の結果は私にとってショッキングな出来事がありました。


クハ111

クハ411(401も同じだろう・・・。)

結論。
やっぱり70mm、乗務員扉と第一窓で広い!
で、何故か最前面部が5mm。クハ411が長い。

5mmはもうしょうがないとして。
70mmは確実に長いのですね。

どーしよおおおおっかなぁぁあぁぁ。


クハ401-101のとりあえず、前面つくり直しです。


プラ棒を引き伸ばして



セクシービームする。


削り取って埋めなおす。


タイフォンも取り去って、イメージの最初で最後?のポンチ打って0.5mmドリルからはじめる。


実はまた埋めなおしてまたあけている。


0.8mmドリルで大きく。
テールライトと縦ラインがずれていないかなど見ながら・・・。
おおよそ昨日より0.2mmくらい上げました。

最終寸法は、牛久保監修を信用しまくり、写真で見た「正面ドアと直下の手すりとの真ん中をセンターポンチとする」
です。


少し大きくしていった穴が曲がったなと思えば、精密丸やすりを差し入れて微調整して広げます。


今度は1.0mmで広げます。


良くなってきたな?


続いて1.2mmで拡大。


大丈夫だよねぇ・・・・。


最終寸法は、ヘッドライト1.5mm、タイフォン1.4mmに仕上げました。


0.25mm燐銅線を曲げて


植えていきます。


とりあえず出来た。


偶然?
このクハ401-101は勝田区の401系で唯一シャッター付きタイフォンなので。


RMMのおまけで配られたタヴァサカタログから
(あ、トレジャータウンや、レボリューション、ジオマトリクス、キッチン、アルモデル、ペアハンズ、モリタ版も作ってほしいなぁ。それぞれのメーカーホームページ、徹底的に見難いので地方民には何があるかさっぱりわかりませんわ。)




この部品が使えるかも!

道内で見つかるかなあ(と言っても2店しか見るべき店はない)

さて、ここから余談です。
余談にしてはショッキングな内容でしたけど。


遥か昔に作った千マリの新聞輸送6連です。
新聞輸送を言うのは、興味範囲が江戸川区を走っていないと趣味範囲を斬り捨てているので、平成初期に初期型で乗り入れていたのは両国まで行っていた新聞輸送だけだからですね。
(同様の理由でクモユニ143も2台持ってます)
どうも先日廃止になったようですが・・・。

かの悪名高いマイクロエースベース(&WIN)です。
松戸のわらそうで買いました。


前面はKATO165系(=153系)に付け替えているんです。
まだまだ突っ込みどころ満載ですけど。

でも、かなり良いです。

で、この先頭車。
あまりに平面のため「正面衝突顔」とか言われて大顰蹙買ったものですが。
何故か判っちゃったんです。
はい。

それは最後に。


153系前面でもあるこの正面。
良く見ていたら叫んじゃった。

これ、401系初期型正面になる正確な造型ではありませんか。

ほら・・・・。
ドアが湾曲している唯一のまともなモデルだったんですね・・・。
これ使えばよかった・・・・。

なんちゅーこっちゃ。
つまりこのクハ111.
既に工夫したところでさえ嘘が混じっております。

テールライト横の手すりもないし。


幌枠は幌板だし・・・。

今頃気がつくなって・・・。

しかも。
アルファモデルの車体に床下を嵌めてみようとしたら、嵌らない。
床板が0.5mmほど長い・・・。

Σ(゜Д゜;)エ?

まさか!!!!!!!!


わははははははっは!!!
乗務員扉後ろの柱部分(と乗務員扉幅自体が)

ながーーーーーーい!!!


そう。
マイクロエースのクハ111は、
ク ハ 4 0 1 の 側 面 寸 法
 で造型されていたのです!!!

それを無理やりクハ111の図面と合成していくと、当然0.5mm車体が余る。
だから・・・・

よりによって、何故か・・・いや、私並みの不十分な知識程度で無理やり正面の膨らみで調整しちまった・・・。
ようでございます。


で、改めて401系を出したときは、その側面はクハ401、車体全長はクハ111に圧縮した車体を利用したから、

やっぱ正面衝突顔になった。

どうも・・・そういう推理になりそうです。

無意味すぐる。

結果無意味すぐる。


つまり

この私の(妙に柱の間延びした)クハ111-1000は。
結果的に日の字サッシだの、腰折れだの、乗務員扉がHゴム窓だの、一杯アレですが。
所要満たしたクハ401初期型改造そのものだということ(爆)

知らなかったなぁ~
知らなかったなぁ~

知らないって罪だなぁ~



   ↑なんか推理の辻褄合ったらスッキリした。


〇久保さんちの近郊電車7

2010-03-18 00:02:00 | 首都圏の電車は長いぜよ

今日私は、鉄道車両の恐ろしさを今更知ることになります。


資料よ~!

暫く読みました。
そして色々「第一次呆然タイム」を迎えます。

401系統の正面渡り板が殆ど倒れていたり、上がっていても短いな。
そうは思っておりました。

また、幌座が何故か無く、153系のようにステンレスの座板しかない事までは知っておりました。
それで天狗になっていた「自称鉄オタ車両分析なら得意なほうよ、そうさ、30年以上図鑑を眺めていたんだから」というばか者であったわけです。


クハ401-101の種車はサハ115-2だったという昨日のミスはサラリを流して、一度クハ115-612になったクハ401-101の怖いところなんて無いさ。
と、昨日ドア周りを切り接いだわけです。
(まぁ、熱があるのにそんなことして!と仲間から暖かな叱責をいただける私は幸せ者です)

その叱責の一例。
「雑な切継ぎだな!」
「あ、今度は乗務員扉の位置、間違ってませんね」

えーーと、
暖かな叱責まことにありがとうございます。

(いや、雑な・・・のくだりは大真面目に逆説的暖かさを感じました)

で。

まずはクハ401-51の幌座を削りましょう。


削り削り


側面に回る水切りもノミで造型。
幌枠も薄く削って


気になっていた渡り板はすべて削るとややこしいので、切込みを筋に合わせて入れて


研ぎなおしたノミで削っていきます。

でね?
皆さん知っていたら本当に自分の赤っ恥なんですが。
いや、

鉄道の無い街で20年育ち、たった4年程度の後、また鉄道の無い街に定住する36歳の男の浅はかさを笑うがいいのですが。


知ってました?

401系と111系って根本的に車体がかなり異なるって事。
(;´Д`)
(;´Д`)
(;´Д`)
(;´Д`)

連結器の長さが違う
でも連結面間は同じなので 車 体 長 が 違 う 。
台車間距離までも全然違う

だ ー か ー ら 

あ の 薄 い 幌 板 な ん で す ね 。

で、なおかつ。
乗務員扉 と 第一窓 の 柱寸 が 7 0 m m  違 い やがんの!!!

模型寸0.5mm
小さくは無いけど大きくも無い、微妙な狂い。

あー。そーかぁ。
牛久保先生、だから共通化なんてしなかったのねー。

そらーそーだー。

(;゜д゜)キコエナーイ

そうさ。
18で上京したとき、103系のグロベンを見て「こんなに大きかったのかぁ!!」と声上げちゃったほどリアル車両は知りませんとも。

まさに架空嫁を持つ男の筆降し直前@「特別室」状態。
知識豊富でも、全くリア実感なしと言うことの悲劇。

どうよう・・・。
0.5mmの車体延長よ。
崩れる危険性は結構ある。
しかも雨樋新製だ。
しかし0.5mmされど0.5mm

とりあえず。
一晩考える。



そう

これくらい違うらしい。

知らんかったなぁぁぁぁ
○| ̄|_

さて、どーしようもないから

クハ401-101のヘッドライトでも空けて紛らわそう。
運転台拡大版のヘッドライトはタイフォンの真横だよな。


で、「第二次呆然タイム」の序章です。


ぐりぐり。

ん?


んんん?


なんか違うぞ。
どう考えても違うぞ。
青帯が入らないじゃないか。
てか見慣れた

こいつのヘッドライト位置だよ、これじゃ・・・。
(711系は明らかに本州電車とバランスが異なります。なぜなら台枠が倍の厚さなので実は部品類の位置関係が全部異なります、過去の真鍮キットで前面を111系から流用すると全く似ないどころか、宮沢模型の前面が「本当は似ている」のに「内地のヒト中心に 似てない!!! と言われる不条理判定」を受けた原因にもなっています)

え?まじ?


あの・・・ひょとして

デカ目ヘッドライト前面と
最初からシールドビームヘッドライト前面で

タイフォンの位置がそもそも違うってオチですか?

え?
まじ?

うそーん。


今日はふてくされて終わります。
誰かこのあたりの位置関係に詳しい方いらっしゃいませんでしょうか?



   ↑いろんな意味で自己嫌悪です


〇久保さんちの近郊電車6

2010-03-17 00:49:00 | 首都圏の電車は長いぜよ

まだ微熱はあるものの。
その。
私、病不真面目です。


実は先日の出張の際、若旦那から賜りモノがありまして。
TOMIX旧製品のクハ111を何両分か貰っていたのです。

おでこのカーブが正直変な時代のものです。

薄いって言うんですか?
カーブのイメージがおかしい時代の奴。
グリーンマックスのキットの前面もおでこが変ですが、ある時期のNモデルが総じて「薄っぺらいおでこ」になったのは不幸な時代でした。

イメージを良くつかんでいる?おでこはもう太古からの製品であるKATOの153系であり、そういえば昔取り替えたっけ。


こうしてみると、牛久保孝一氏執念の監修?のこのキットと奥のTOMIXのおでこのイメージはかなり異なります。


運も悪く、当時の塗装はタンポ印刷初期で、決して素晴らしいとはいえぬものであり、予想以上に評価が低くなり、KATOのヘッドライトのごつさやゴム色も全部銀というウィークポイントがあってもKATOが人気としていたと思います。

今はWINの113系の下回り用としてや、このキットの下回り用として、このロットの安価中古を探している人が多いと聞きます。

一体屋根であるのでロット判定は一発ですね。

暫くしておでこの改良、屋根別体化、塗装改善をして、現在ではTOMIXの方が好まれているかと思います。

で。この車体もそれで捻出されたボディと言うことで、貰っちゃいました。


一個だけ、最新バージョンのクハ411を貰ってしまい、色合わせ用として活用するほかは、切り刻まれる運命です。


この綿棒で


押し出してはずす。


ひょっとして嵌るのではないかと、甘い期待をしたものの。
ほぼ寸法一致ながら、貫通扉窓の位置が異なりました。
アルファモデルキットの方が、0.1mm程度下方にモールドされていて嵌りません。


角Rも若干異なります。


ちなみに造型差はこれほどまでに少ないのです。
貫通扉は、401系初期型に使うには貫通扉の裾が直線であり、見てみぬ振りをしなくてはなりませんが、今回はこれではないのでよし。

(友人KBに教えてもらっらのですが、153系と401系初期、421系初期までは貫通扉の下部がこの写真で言うと平面扉ではなく、前面の窄まりに合わせてRを描いているのですね。)

今回の改造は「運転台取り付け改造車」にしたいため、簡単にやるなら前面を切って張って、実車のブロック工法でも充分、いい雰囲気が出せますが、
「今回は」
牛久保先生の造型に敬意を示させて頂き、
(まぁ、おでこの問題もあるので)
乗務員扉を移植する方法をとります。

そういえば1984年4月号の鉄道ファンで、スカ色のサハ115に黄柑色一色の運転台ユニットを接合している写真がありましたね。
あの映像は「短編成化でフリークェントサービスがこれからの時代だ!シティ電車が全国に発展するんだ!堂々たる国鉄から私鉄臭くなるけど・・」と思ったものでした。
広島鉄道管理局で始まった頻発運転による需要拡大は標準となり、第二都市圏以下でのJR復権の魁でしたね。
その広島はいまだに同じ顔ぶれで、苦笑ですが・・・。

で、何故か持っているはずのその本が出て来ないんですけど。
そう、あの頃は本に載っている情報すべて暗記していたなぁ。
それが出来なくなったのは働いてからかな。



まぁ、全体的に切継ぎ相性はすこぶる良さそうです。


さて、やるか。


切り継ぎ開始です。


このラインで刃を入れました。
ギリッギリです。


こっちは割とラフに。


切り出し。
このとき上辺はまだ何も考えておりません。


その後、雨樋下辺まで削りこみましたけど無駄になります。


こんな感じ。


さぁ、こっちにも


刃をいれていきます。


TOMIx車体は内寸を維持し
アルファモデル車体は外寸を維持します。


先刃ニッパーで取り去っていき


断面を仕上げます。


こうなればよい。
TOMIXドアは上辺をここまで下げました。


へったくそだなぁ。
隙間出来ちゃいました。


0.14mm×1.0mmの帯材を


糊代に入れます。
スチロール同士なのでこういうとき楽です。


低粘度タイプ接着剤を少しづつ差し入れ、出来た隙間に毛細血管状態で埋めてきます。


裏はしっかり接着。


削っては埋め、削っては埋めていきます。

窓はきちんとプラ板を嵌めるべきでしょうが、強引に接着剤で埋めちゃいました。



裾はこのように盛って


バシッとラインを作ります。


全体的に整え、800番まで仕上げました。


どうかな?
拡大運転台窓の上辺が微妙。
これは後で修正するかも。


大方これで、初期車体に取り付けられた新型運転台となったわけです。

401系なので屋根上に行くステップは不要です。

そう、これはクハ401-101です。
サハ115-8を先頭改造し、クハ401-901に改造した後、すぐ-101に改番した異端児です。


さて、大掛かりな改造はこれだけです。
あとはチマチマ加工することとなります。

Mc-M’cなどもアルファモデルキットから作って行きたいですが、この加工してから便所窓を普通窓に戻すか、Mを他キットからブロック工法で繋ぐか迷うところです。



   ↑アルファから中央東線115系となると、何台組み替え改造することになるのだろう。


〇久保さんちの近郊電車5

2010-03-16 16:47:00 | 首都圏の電車は長いぜよ

熱なんぞ出てしまいまして。昨日は寝込み今日も寝込んでおりますが、薬の効く間にちょっとだけ。


非常に懐かしい年月日の入った写真ですが(私の小学5年生の頃ですね)


おそらく上野ではないかと。

で、良く奥の中電を見ると。


あ。
低運転台だ。

つくば博に見学に行ったときだと思うのですね。

↓こちらのホームページによると
http://tsc151bonnet.web.infoseek.co.jp/jhoban03.htm

新塗装化されたのは
14,17,18,19,20の5両だったそうですが。
なんと生憎、唯一の大目玉だった14と特定しようにもヘッドライトがまるで見えない奇跡が起きておりまして。

(ちなみにそのホームページのクハ401-46のヘッドライト、ガチャ目じゃありません?気のせいですか?)

で、先頭車の中間封じ込めですから、この低運転台車両は上野向きのはずなんです。(付け焼刃知識)

と思ったら
http://www11.ocn.ne.jp/~jnr80s/85_joban_415.htm
こういうページにご丁寧にこの写真時期の編成表ズバリが!

あれ?
上野 ←クハ401-14
    クハ401-19→  土浦

確かこの写真は、上野終端側から撮影した記憶が。
とすると

大目玉のクハ401-14だったんだ・・・。

こっちの方がはるかに撮影価値はありましたねぇ・・・。


比較的「まし」に撮ったのは最新型だったクハ411-500.
面白くないですねぇ。
これが新製1年以内の写真。



これが廃車1年以内前の写真。
なんとカメラ向けたのはそういう生まれたときと役目終り間際だけでした。


   ↑残念残念・・・。


居候の工作3

2010-03-15 00:08:00 | 単発モノ!色々突き進んで作ったもの♪

東カノ様
ご意見頂戴ありがとうございます。
サイボーグは1989年のP無線搭載時からのようで、ゴールドライニングのときにはこのテンダではなかったそうです。
という根本間違いを横において、ご覧ください。


自宅でやっていてもスタートが居候のときなのでおかしなタイトルになってます。

今作業しているのは、KATO D51-498の重油併燃仕様(ひょっとしたら専燃?)のテンダ部品です。
晴海車両製とワールド工芸製の二個同時。

奥が晴海のレジンインゴット。
手前がワールドのエッチング組み立て。

晴海は塗装はしましたけれど、結構、粗が多いのでやり直します。


左がノーマル。


なんせシルエットしかありませんからね。
俯瞰ではそれらしいのが一枚のみ。


無線付けてみましょう。


とはいいつつ、どうも真ん中ではやはり無いと判断し、ワールドに似たようなところと言うことで奥の何のステージか判らないところに起きます。


手すりを植えながらも、ここに無線をつけるぞ。


0.3mmプラ丸棒でボルトっぽいものを表現してみようかと。


この隙間にも材料挟んで埋めます。


無線は205系用Bタイプを植えればよいということ。


埋め材料は0.5mm厚みのプラ材です。


実は横で、友人KBが自分の1/80キハ22を制作していたり。
工作ミーティングと言えば聞こえはいいんですが、単に野球のオープン戦を一緒に見ていながら工作しているだけです。


ワールドにも


B型無線アンテナを。
結果A型に見えるようになります。

で、ワールドの挽き物突起が、実はほかのメーカーに無いくらい大きく背が高いのですが、これは尊重してみます。


あ、そうそう、角を四隅落としておきます。



部品をサクサク作成して取り付けていきます。


よっぽどのところは削って平らにしてありますが、元型がちょっとハンドメイドッぽ過ぎるので、だれているのはやむなきこと。


天賞堂のモデル写真を見ながら、突起をひとつ追加。
0.6mmプラ丸棒を差し込みました。
ワールドはもっと大きく、数も多く表現されています。


ワールド用はウェイトが使えます。
しかし一部カットしなければなりません。




爪をカットするだけです。


まぁ、こんな感じになるはず。


ワールド用に石炭を買ってきました。
モーリン製です。


さて、塗るか。


塗った。


一部意外は大変良く寸法が一致しています。
どっちが正解かなんてわかりません。

てか、晴海のハンドメイドっぽさが良く伝わる一枚。
傷消せません!


石炭積んでみた。


ワールドに小細工。
板切れ。
0.5mm太さ


つや消し海老茶に塗ります。


ここに差し入れる。
ワールドは不自然に開いているのです。
この隙間にちょっとさび止めが見えたものが写真であったので。


アクセントが付きました。

まぁ、とっくに石炭まみれになっているんでしょうけれども。


ウェイトを取り付けて


はめ込む。
良い感じです。

石炭は木工ボンド水溶液で固定。


晴海の石炭が車体同一色では面白くないので


テンション付けてみた。
このあと最後に鉛筆芯の粉を刷り込む予定。


かもめナックルを取り付けて


完成。


さび色はこんなに目立ちません。
光を当てているから目立ちます。


晴海は収納。
また鉛筆芯を粉にしてから取り出しますけど、それはモーリン石炭が固まってから。
そっちも刷り込みます。

はやくあしたになぁーーれ



   ↑乾くまで放置する


居候の工作2

2010-03-14 02:11:00 | 単発モノ!色々突き進んで作ったもの♪

前回、居候の工作1で、若旦那の家で組んだ、D51-498のサイボーグテンダ(?)ですが、実はあの後、若旦那がずうううっと、若旦那自身の在庫箱を探していて私に持たせようとしていた部品があったのです。


それがこれ。
随分必死になって探していたようです。

で、当然。
我が家に来たと。

あれ?
それワールドの組んだからいいじゃん!!!


ごろんっと。


レジンの鋳物が転がって出てきました。
えええーーーっと。
何が違うン?(メ・ん・)


前回作(まだ完成させてないけど)

・素材が違う
・精密さがまるで違う
・メーカーが違う
・声が違う
・年が違う
・夢が違う
・ほくろが違う  ふっふっふぅーーー。

さて、余計な小ネタはともかく。

なにか確かにちょっと違う。
でもそれが省略されていて違うのか、モデリングとして違うのか、現物が違うのか判らない。

とりあえず、「塗って」って事なんだろうけど。


お世辞にも優秀な製品ではございません。

なんだこの気泡わ!!!


うええええええ。


はううううううう。

とりあえず。

ネジの逃げ彫ってみます。


被せる。
サクッと入ります。


これでいいのかこの松井秀喜表面。


まぁ、その・・・・それらしいっちゃぁそれらしいけど・・・。


0.2mm洋白板が2枚くらい入っちゃう隙間だらけでいいのかな。


とりあえず、プライマーを吹く。
出来る限り気泡を埋めては削っていく。


欠けている所はどうしようもない。


欠け捲くっているけど、修正は地獄を見そうなのでやらない。


見えないところの大穴は埋めない。


おやつ食べる。

なぜ鶴岡。


吹いていく。
黒一色だから何も考えません。


裏はそこそこに


明日、石炭を石炭らしく見せる塗装しますけど、それ以外は黒。


載せてみた。
まぁ、それだって言われればそれだよね。


隙間は良く見るとこんなにあるんだけど。

で、若旦那に電話したさ。
かるーく相談しようと思って。

したらね。
午後9時に電話したの。

「おはよう・・・」
なんか声が低いぞwww
なんでオハヨウなんじゃ、おっさーん。

「今ドコ?」

「わいはー」

へ?

あ、そーいえば新婚旅行中だったwwwwww

ということは。

若旦那は今・・・未明の午前2時。

ごめんごめん。
寝てくれ。


とりあえず、判断仰げないので、「仕様でした」ということでいいのか?

これ修正始めると偉いことになるよ?
基本的に全部モールド削って、作り直して・・・

原 型 作 る の と 変 わ ん な い じ ゃ ん 


これはこれで良いのかい?
ちょっと1988年当時の写真でも穿ってみようかしら?

塗装なんぞ落としてもたいしたもんじゃないし。

で、調べてみた。

当時私、16歳。


あったあった。


んん??


んん?
あれ?
普通のテンダじゃん・・・・。
ちなみにこれはオリエント急行を牽く直前です。

オリエント急行牽引の記事の号は無いのですよ。
毎月帰る時代じゃなかったんで。

でも、どーみてもサイボーグテンダじゃない!


6年後。
私、就職した年かな?


あ、サイボーグだ。


充分サイボーグだ。

ってことは・・・・
いつの時代を考えればいいんだい?
(ついでに手すりとか最初からあるじゃん・・・・)


   ↑ちなみにナンバーについては書き始めたらもうちょっと調べることが増えたんで執筆延期。


車体番号あれこれ1

2010-03-13 10:57:00 | 模型工作雑ネタ日誌

なんとなく浮ついておりまして。
今日はおそらく久々の引篭りですがせいぜい工作部屋のカタツケをするに終わる悪寒。

てなことで、
ここんと頃キニナル自分の課題を整理。

車 両 番 号 。

模型を最後にフィニッシュするにあたり、当たり前に引き締めてくれるものですが、これが何万枚も撮影しておきながら、その法則性や資料が非常に少ないことに落胆しているのです。
そういう視点が増えるたびに、車両撮影の枚数は鰻上りになり、ホームでの怪人性は増し、変態度は高まり、白眼視を受けることになるのですが・・・・。

そういうことに気がついてしまったのは仕方が無いこと。
案外、外観とかディテールはネットで増えてきており、自分の写真を放たらかしてネットでさくっと調べることが多くなって入るのですが、
案外ナンバーについてはまだ研究や調査をしておいたほうが良いこともあるようで。

このディープながらも、指摘されると悔しい問題を見てみませんか?

最近気になっている問題ですから、最近の写真も多いです。

【SL編】
SLは鋳物プレートであり、また写真も多いことからたいしたことは無いのかもしれません。
だけど、手持ちを見るとそれだけで頭抱えたくなる状態でした。

ご存知9600です。
保存車両 49643 のプレートです。
割と、頭のなかにあるイメージに近いです。
すっきりした戦後文字の配列ですね。
ただ、左に妙なものが。
「ボイラ 59696」
なんじゃそれー・・・・・。
ボイラ元流用の番号までキッチリ鋳込んでらっしゃる。
しかも59696って、昭和51年まで在籍しているんです。
49643は昭和45年には廃車になっているんです。
あ”あ”あ”あ”あ”・・・・
既にこれだけで違う疑問が沸く。


一見、標準的に思っておりました。
保存車両 59611 のプレートです。
しかしさっと見ただけで、5・・・9まで広く611!と詰まっております。
どのような法則性かなんてまだわかりません。
バランスが悪いです。


保存車両 19671 のプレートです。
一見して判るのは、「堀が大変深い」プレートです。
模型には適用できないと思いますが、めっさ堀が深い。
しかも、6は上記と似た文字ですが、9が明らかに違う鋳型です。
SL時代ではさほど問題ではないのでしょうけれども・・・・。


保存車両 69644 のプレートです。
もう・・・なんじゃこりゃ。
文字体がそもそも上記今までと全く異なります。
こんなに違うもんだったんだと改めて再発掘して驚くばかりです。
堀も浅いですね。
69644
間隔が広いのが贋作かと思いました。


保存車両 59672 のプレートです。
96を主張するようにどんどん開いてきました。
しかも全体全文字間が不均等です。
鋳型セットした国鉄職員の考え方なのでしょうか?
9600型572番だぞ!っと言いたい主張があるんでしょうか?

しかも、何故かこれは鉄プレートに見えます。
真鍮じゃないものもあったと言うことでしょうか?


保存車両 D51 565 のプレートです。
なぜかほっとするものがあります。
多少の乱れはあるものの、綺麗に収まっていますね。
ただ、9600と違い、角が落とされております。
一見何も法則性が見当たりません。


保存車両 C11 133 のプレートです。
すっきりしておりますが、真ん中の「1」が太いですね。
1の使いすぎでしょうか。


保存車両 C11 65 のプレートです。
「5」の書体がやはり異なります。
これ、レプリカ作っても判っちゃうくらい文字の鋳型が多いんですね。
国鉄って細かいところまで規則で雁字搦めだったのに、プレートって案外現地鋳造であり、本社配給物ではないようなんですよね。
正確な文字をトレースしても「現車を必ず見てから納得せよ」と言われているようです。


私鉄に流れた古典機関車
保存品 9046 のプレートです。
真っ当に考えて新製時のものではありませんから、こういうものだと受け止めるしかないものです。
比較的文字体は歪みなく綺麗です。


北海道拓殖鉄道の保存車両 8622 のプレートです。
8600としては最末期の製品のため・・・・いやその前に国鉄の様式とは似て非なるものではないかなと。
文字間隔、書体に至っては、今でも見られる「国鉄文字」です。
機関車に使われている書体ではないと言う変りモノです。
はっきり言って見慣れないと非常に不気味です。


鉄源コークスの S-205 のプレートです。
同時期まで働いた三笠鉄道記念館の機関車の同僚ですが、工業所や製鉄所にありがち?縁にもネジの囲いがあるなど、一瞬エアロチックです。
機関車の大きさにしては立派ですね。


十勝鉄道軽便SL NO.4 のプレートです。
いい感じの味わい。


日本最後の新製9600である 夕張鉄道21 のプレートです。
そもそも独自の書体が格好良いです。
こういうものだと納得しましょう。

【電気機関車・ディーゼル機関車編】
写真は一杯あれど、真正面プレートは殆どなかったと言う不徳のジャンルのひとつです。
ただ、近代の機関車です。
それなりに統一性があることでしょう。

DD51 1094
DD51 1072
DD51 1055
DD16 26
のプレート。
揃っていますね。
ほっとしますよ。
贋作作られても判らないレベルかもしれません。
ちょっと癖ありはDD16 26ですが、誤差の範囲かな?
いや、プレートが大きすぎだ。(でもDD16は殆どこれくらいの長さだったようで)


ちなみに青いのは稼動最後の姿が

これであり、その側面プレートだからです。


DE15 1006
DE15 1501
DE15 1520
DE10 1712
のプレート。
苗穂工場での貼り付けなおしのせいか、やや乱れあり。
全体をつめて処理してみたり、一部分窮屈なところを詰めてみたり。


東日本から最近流れてきたDE10 1543は至って平和であります。


文字の切り抜き自体は統一感があります。


保存車両 ED76 505 のプレートです。
こういうものなでしょう?

新製時は直張りだったのです。
それがプレート化されたのは何時か判らなかったのですが

最近になって資料発掘。
昭和52年のことだったそうです。
501,502,505,506,507がプレート化第一弾だったようですが・・・・



苗穂工場www
ちょっと待てぃい。

どえらいいい加減であります。
502の詰まり方は全く異なるもので、これって4面ひょっとして異なっていたんじゃないでしょうか?
506なんて踊っております。


十勝鉄道DD201 のプレートです。
産業用に多いっぽいネジのところの囲いが格好良いです。


十勝鉄道DD101 のプレートです。
全く同じ様式です。


十勝鉄道DD11 のプレートです。
全く同じ。


元釧路開発埠頭のKD5002 ですが、貼り付け直されているので参考程度となります。


元国鉄DD13 40 ですが、これも問題がないですね。


番外:JR北海道モーターカーの622です。
保安機器とブレーキ強化したものはDSB600として 法 的 に は 機関車扱いですね。
(ファンでは機関車と認めづらいでっしょ)
はい、文字は国鉄文字に似て違う書体です。

【非首都圏編】

旭川電気軌道のモハ1001です。
塗りなおされているので現役とは若干異なるかもしれませんが、ほぼ同じ書体です。


札幌市電・札幌市電名物の玉コロ文字です。
名鉄の書体に近いようで全く異なります。
そろそろ真剣に文字収集を始めようと思っております。


年代によって若干異なるんですけれどもね。
昔の方が綺麗な文字です。


切り抜き文字の塗りこめなんですけれどもね。


各種文字が必要ですね。


小港鉄道。
キハ201
ほぼ規則正しく国鉄ルール適用ですね。


全く国鉄といってよいです。






これって


地味に京成が鉄製車両まで国鉄遵守(数字書体は異なってきている)だった影響でしょうか?


流山電鉄も西武が長らく国鉄遵守だったせいか、国鉄遵守です。
しっかし国鉄書体と言うのは温かみがあり、識読性が良いですなぁ。
これって凄いことですよ。


これは完全に復元文字ですが、JR東海も何故か書体だけは国鉄書体をずっと踏襲しております。
保存車両も踏襲してくださいよ・・・・。


ああ、完全な写真撮影しとけばよかったぁぁ・・・。


律儀に新幹線もいまだ切り抜き国鉄書体。


編成文字も国鉄準拠。


おまけ。
保存車両 サハネ581-18
考えて見れば、サハネ581ってもうほぼ見られないんでしたっけ。


JR北海道は何故か国鉄書体と独自書体が混ざりまくっており、統一がありませんが「通勤電車は国鉄書体」と、今回の735系登場で思い知らされたのでした。


さて、次はデイ-プ過ぎた?いやカオス気味の客車と電車です。


   ↑インレタ作るのも一苦労するってことですわね


自連型カップラーの諸実験

2010-03-12 02:47:00 | 模型工作雑ネタ日誌

えーっと。

トミックスの級がt客車が本格的にリリースされ。そのTN連結器として客車に初応用?された新型構造の「自連型TNカプラー」を若旦那提供の元いじってみました。


ちょっとドア深さが浅いのがいろいろ物議を醸しているトミックスの客車ですが・・・。


ドア以外は素敵だけに本当に惜しい(関係で若干幅広な妻面も惜しい)


最近再生産された自連型TNカプラーです。


このような形です。


確かに密自連のものよりナックルが、やや大きめにモールドされております。

では本物はどういうシルエットか?

こういう感じ。

良く出来ていますね~
引っ掛け爪が無ければ(それが無ければTNじゃないけど)、ほぼ完璧なシルエットです。

結局TNはナックルで連結を完了せずに、爪で噛ませる方式のため、自連は成立しないようになっているところ、ここまでスタイルを持ってきたというのは流石です。


上側


下側

復元力が弦巻バネの引っ張りに変更されており、いくらか引張力が真芯になったことで長大な付随車牽引に対応が出来るようになったための客車採用ということらしいです。

従来のものはどうしても、首振り優先のため引っ張ると左右のどちらかに車体を振る力が働いたため、牽引というのは大変苦手としていたボディマウントTNですから、大きな進歩といえます。

動き的にはフライッシュマンの伸縮カプラーに幾分近い気がします。

一方、20年の歴史となった「非アーノルド化の切り込み隊長」の

KATO-N
アーノルドが「Nゲージの基礎規格」から外れた際に勢い良く日本のNゲージ界に君臨し、使わないものは居ないのではないかというくらいの権勢を持ちましたが、近年は密連タイプなどの登場、さまざまなシーンで使い分ける志向が高まり、以前のような絶対的地位からは一線を退いたと思われますが、いまだ支持率の高いカプラーです。

同じナックルタイプだけに、このTNとKATO-Nが仲良く連結できれば、ファンに取ってこれほど苦難する必要がなかったのですが、残念ながら日本型カプラーとしては統一されず、戦国時代に入ってしまいました。
後発のTNがKATO-Nとの相乗りを拒絶するがように独自規格を進んだからですね。

ところが、TNがKATO-Nのように「他社車両利用へ」隠れた爪を持つ構造であれば、おそらくKATO-Nはかなりの割合で敗北を喫し、TNに天下統一されたんでしょうが、ポケット収納タイプのTNの根元はKATOには応用が利き難い小さな根元であり、GMではもう遊び放題で実用にはならない小さな根元だっただけに、
ファンの右往左往は始まってしまったわけです。

割と汎用規格をも視野に入れるKATOと唯我独尊のトミックスの傾向はこのカプラー初期戦争のときでは顕著でした。

HO初期にはいきなりまさかの日光台車を外注採用、KDカプラーを標準採用するなど、決してその姿勢は一定ではありませんが、ことNゲージカプラーについては困ったことになって久しいわけです。

現在も基本的に両社は歩み寄ることは無く、20年近い冷戦状態は続いております。

KATOがいきなりほぼダミーでエンドウナックルに近似でありながら従来のKATO-Nすら拒絶するキハ80用カプラーを途中で発表してほぼ挫折するなどのぶれはありましたが、冷戦は今もしたたかに続いております。

この強情な?両社、何とかならんのでしょうか?


普通に連結を強引にするとこのようにTNの補綴爪がKATO-Nのナックリングを邪魔して弱くしかもねじれて噛むのですよね。


TNは広がったまま。
KATO-Nは噛み切れないままの状態となります。

ええい!それぞれの若社長殿、なんとかファンのために動いてくれよ!
と言っても今のところその動き無し。

困ったファンとしては自連型TNに限らずこのような緊急避難手段を考案します。

0.8mmドリルで


この爪のあたる部分のKATO-Nの横っ腹に


貫通しないかするかの手前までザクるという強硬手段です。
強度がものすごく心配なのですが、仕方がありません。

0.8でザクッたあと、1.0mmで軽くグリると良い感じになります。


はい。
なんとか噛んでくれます。
TNはまだ若干開き気味ですが、前よりマシ。

ほんの若干引張ラインは弧を描くんですが、まー騙せるかもしれない範囲です。


TNの若干開いたその復元力で、KATO-Nを抱き込んだイメージです。
KATO-NのナックルヘッドをTNが左右からそっと抱き締める感じであり、KATO-Nの強い牽引に対する耐性まではありませんが、そこそこの耐性を持つことになります。
連結特性についてはTNに近くなっています。

さて、KATOもKATO-Nが出てから長くなったので、もうちょっとリアルにしようと模索したようで、水子となったキハ80用ナックルは捨て、


かもめナックルを発表しました。

特急かもめセットに入れたから「かもめナックル」
うーん。
標準化するようなネーミングじゃないのが気になります。


基本はKATO-Nと混成可能な性能を最大限通用させ、形は自連に極めて近いこの「かもめナックル」ですが、大きくはナックルヘッドを小さくしたものです。

右側にぶ格好な台形の突起がありますが、これは相手を受け止めるためのもので、無いと簡単に解放するようになるので取り去ることはアカンのです。
「ナックルを開く」スタイルが故に必要な余剰形状です。

ま、開く構造じゃないと、まんまエンドウナックルですよね。


さて。
これはそうなるのかな・・・?


あ・・・・。
絶望的だ。
嵌りますが、噛みません。
一切噛みません。


ほれ。
するっと抜けるんですわ・・・。
穴もあけられない。

一瞬噛む様に見えても、一切噛みません。

「今度はかもめナックルに噛み込む爪があればなぁぁぁぁぁぁ」

もうね、この両社の喧嘩。
どうにかならんもんでしょうか。

そら、独自技術でのアレコレは必要ですよ?
しかし、今の鉄道模型業界、20年前とちゃうんですよ。
わしら「ファン層最大人口」の団塊Jrもそろそろ老眼ですよ?
カプラー売りで多くの需要を持っていた時代は確実に終わっていきますよ?

噛みこみのTOMY考えと冗長性のKATO、それは選べるようにできながらせめて双方簡易互換位してくれ~

覇道を行くのはかまいませんけど、もう覇する被民はどんどん減っていっているのは流石に判っているでしょう?
なんとかしぃーやぁ!

カプラーという「おいしいインフラ」はどうにもならんのかねぇ・・・。( ´Д`)


あ、ちなみに初代KATO-N穴あけと自連型TNです。
シャンクのアレはありますが連結できますね。



アーノルド社はある意味凄く偉大だったと言うことでしょうか?

マイクロが両者を結ぶ連結器の開発をしましたが、これもシャンクが長すぎて実用にならず。
溜息。



   ↑外圧がないといつまでもグジュグジュ分裂しっぱなしのわが日本。


出張点描3月5

2010-03-11 04:04:00 | Weblog

もう帰ってきているのですが、出張の仕込を捏ねており、モデルもうちょっと停滞気味。

ですので私信的なものでごめんなさい。
203系の各部を頼まれて撮影したものをそのまま記事にします。
てか、いいだけ203の部品単位の写真をひとつの記事にする時期が来ている気がします。
あとは地味に全体写真や、左右床下機器写真が無かったりします。(;´Д`)
出張のたびに撮り続けて見ようかな。
つ く り は し な い け ど !


車番撮影・・・なんかこれが癖になってきました。





非常に美しいくらいノーマルな番号表示。
1番編成のプレートも撮影しておかねば。


モハのグリル。
ドアツラと窓ツラが一致。


塗り屋根のざらつき。


大変複雑な妻板形状。




なんて凶悪な雨樋なのでしょう。


201系の妻板なんて使ったら、実車見て卒倒しそうです。


凄まじい造詣の雨樋漏斗です。


外ほろの大きさ。


避雷器の奇妙な配管足。


配管支えがあります。

本命・列車識別器

はいな!












これでよいですか?

おまけ
ヘッドライトで気になったこと。

塗った跡がないか?


銀が塗られた後が見えるんです。
塗る部品ではないはずなんだけど。


ヘッドライトだけ塗った跡があります。

なんかありましたっけ?


203系という車両は、細かい部分ですがあちこちに造型の複雑さがあって
見れば見るほど面白いですね。
例えばこのように厚みがありこちで異なるとか。


手すりの取り付けも、こんな感じだったのかと。
しかもこの塗り分けが残っているということは、新製以来この帯部分は再塗装していないってことでしょうかね?




で、
おまけ。

はいはいいつもの。


我孫子弥生軒~


卵入り~


から揚げ。
うどんは御腹の容量的に余り要りません。
つゆがほしいのです。
はい。

このから揚げ、つゆにつけながらじゃないとちょっとアレですから。


御腹すかせていかないと食べ切れませぬ。


おみごとな大きさ。
たまに食べに行くからいいのかもしれません。


ああ!
裏切りおったな友人MM!(実はずっと横にいた)
一個をちくわにするとは卑怯なり!
σ(゜∀゜ オレ!! をさそっておいてそれは無かろうに


山下画伯はいつ頃いたのでしょうね。

のにさく~


花が綺麗だねぇ。@上野公園

更におまけ。

また宴会していたのです。


友人MMのモデル。


怪しい企み系の
MR氏のモデル


実は若旦那の塗ったモデル。


やれば出来るじゃん・・・。
てかこういう宴会で最近良く聴く言葉
「老眼が・・・・(;´Д`)」
そらみんな40代後半だもんね~
(自分はまだ30代後半だぞっと)


しかしねぇ、
この連中?と向き合うまで食事しながら模型広げるってやったこと無かったよw
タレとか付いたら・・・洗えばいいのか・・・。
そーだよなぁ、どうせ手垢は多少つくし。


あきれ果てたヘッダ生成の方法@友人MM
洋白板を縦に曲げて接着し



削っているんだって。
それって大変すぎね?


今回のお店。
秋葉原上野方面のはずれにある店。

<唐瓊家 秋葉原店>から1分 ?銀座線末広町駅徒歩1分/JR秋葉原駅電気街口徒歩7分

店名:唐瓊家 (トウケイヤ)
住所:千代田区外神田6丁目14-1 (日興ビル B1F)
料理:食べ放題 880円(ランチ)3000円(ディナー・呑み放題付)
内容:食べ放題

+++++++++++++++++++++++++

そこは昔、“香港酒家 馨園 ”と呼ばれていた店。

さらに昔、“台湾料理 圓山 ”と呼ばれていた店。

そして今、“唐瓊家”と呼ばれるようなった店。

そして、いつまで“唐瓊家”と呼ばれるのかわからない店。
+++++++++++++++++++++++++

という口コミ情報www
あ、どうも昼はあんまり良くないらしいです。
(安すぎである)


食べ放題と歌っていますが、そんなに喰いきれるわけではないので「やばいと思っても3000円定料金」というイメージで入りました。
「昔ッからのイメージどおりの『中国人日本語』をしゃべる店主」がやっています。
ぶっちゃけ信頼度少なかったんですが・・・


「案外」おいしかった。
ちょっとびっくり。
チェーン居酒屋より充分おいしかった。
まずいと旨いの中間点。
てかチェーン居酒屋の決まりきった出来合いの味にヘキヘキした人にはいいかも。
そら、妙なところは一杯あるけど、一度は怖いもの見たさで良い所。
昼はあんまり良くなさそうだけどね。

てかワシ、ワ〇ミとか、わ〇わらとか庄〇とか、フードビジネス系チェーン食堂は嫌いなのです。
おいしくないから。
それなら不器用でも当たり外れあっても路街の料理屋の方が良い。


   ↑B級~C級グルメ


ハイフン車を見た舐めた

2010-03-09 22:32:00 | 若旦那の常磐線103系

ものすごーーーーーく長いこと停滞していたハイフン車。
ようやく実車を見ることが出来いろいろ氷解したことがありました。

もうすぐ再着手の悪寒!


もちろん場所は綾瀬です。
ふと見ると、ハイフン車が入線してくるではありませんか!


若旦那の「そろそろやらんかいのう?」の雰囲気に責任感もあり、見たかったのです。


いや・・・その・・・
随分雰囲気が異なります。
屋根の膨らみがまるでありません。
正直申しまして、ハイフン車のイメージの方が好みです。

かっちりまとまっている前面です。


大きな前面に相応しない、こ難しい機械が一杯増設されえて視界がかなり減少しております。


つくりはしませんが、手すりの浮き出し具合です。

また、バンパーも案外張り出しが大きいですね。


カプラーは特性上ダミーの方が素敵になりそうなのですが。


アルミを非常に丁寧に繋げた跡が一杯あります。


ステッカー跡が痛々しい。


角度。


屋根上は信号煙管だけでした。


位置が大体推測出来ます。


煙管位置はこれでよし。


特徴的な乗務員扉周りです。
センサー窓があり、乗務員扉嵩下げ跡があります。
それにしてもアルミ溶接痕が非常に丁寧に繋げているんですねよね。


何か嫌なものを見てしまった。
なにこの手すり


若旦那へ。
ハイフン車の扉下げ機構はハンドルじゃなかったですよ。
落下式です。


車内です。
開放感に満ちています。
孫が小さいなんて思えないくらい。
ある意味、アメリカン。


6000-1


方向幕が埋められています!
ゴムもまたいい加減にコーキングされております。


これはなんとも表現しがたい色だこと・・・。


配管は一本。


配管の浮き加減がようやくわかった。


クーラー断面裾の屋根Rって全く合っていません。
量産車に合っているのだと思いました。


6000-2


この部品は何でしょう・・・?
6000-2にのみあったと思います。


埋め込み方は普通ですが、アルミ蒸着板のようなものですね。


真ん中は何?


こちらのパンタは二本の引き込み。


ヒューズ箱二個


雨樋回りも・・・・独特ですねぇ。




6000-3
唯一の付随車両


こちらは乳白色の板に見えます。


こちらの継ぎ跡は若干生々しい。
センサー窓は取り外されて埋められています。





方向幕と列番表示は5000系のものが合致するように小さく改造されていますね。


見ちゃいけないようなきもするんだけど、雨樋どうなってんだ?


内板は濃いブルーです。




独特な袖が無ければ、5000系最終増備車更新の様な室内です。


ご存知でしたか?
山側の下段サッシはつまみが取り払われて固定されています。
海側は開閉昨日存置です。





   ↑作業再開していますが、ネタが続きます。


バーチャル急行はまなすの旅

2010-03-08 23:54:00 | 模型工作雑ネタ日誌

まずは
http://www.dailymotion.com
ここの動画サイトに音声アップロード中です。
明朝には書き換えられるでしょう。
そのときにもういちど
この動画を再生しながらお読みください。
画像は入っておりません。
音だけです。
スハネフ14-551の室内の音を延々と録音しました。

22時42分青森発

青森駅4番ホームから発車となります。


急行はまなすは日本ではここだけとなった急行客車列車として毎日走っているわけで。


当日は2両目にハネを「増21号車」として増結した8両編成での運行。
通常はハネ2両、簡易リクライニングシートのスハフ2両に挟まれたリクライニングシートのハザ、カーペットカーの7連が基本です。
今日は自由席も指定席もほぼ満員です。
寝台車も3両中5ブロックの下段が空いているほかは満席で、一部上段にも乗客が居る盛況です。

この日はスハネフ14-551に乗って札幌へ向かいます。



お向かいにはこれから車庫に入る485系3000番台の上沼垂仕様の車両がまもなく回送扱いで青森電車区に移動しようとしています。
列車は、特急つがる29号の客を呑みこんだ後は発車を待つだけとなります。


牽引機はED79.本日は12号車が牽引です。
トップナンバーは先日廃車解体となってしまい、もうありません。


改造されてから23年、製造されてからも既に37年ですから老朽機関車といっても過言ではないでしょう。

編成は









編成は

函館

スハネフ14551 Bハネ

オハネ2511 Bハネ

オハネフ25216 Bハネ

スハフ14556 簡リク・自由席

オハ14515 カーペットカー・指定席

オハ14503 ドリームカー・指定席

オハ14505 ドリームカー・指定席

スハフ14509 簡リク・自由席

札幌

となっております。


特急つがるが到着してからは30分の余裕があります。

今日はオハネ25が増21号車扱いですが、本来は2号車となり、本当に増やされているのはオハネフ25-216です。

24系25型の最終アンカーとして製造されたハネフの200番台もすっかり老朽車両となり、


216は現役最後番となってしまいました。
なにせもう稼動車両が全国で19両しかないオハネフ25
その中でも北斗星用として改造されながら非コンパートメントではないこの車の運用は大変珍しくなってしまいました。


残念ながら老朽具合もなかなかです。


一方、KATOの北斗星セットに入っていたオハネ25-11はやはり非コンパートメントのためはまなす専用となった感があります。

白帯でも良いくらい・・・。



そろそろ発車です。
発車してまもなくするとトンネルをいくつか越えます。

<externalvideo src="YT:dopwZLbFdak:D">

この動画の音でなんとなく雰囲気を感じてください。
ずっと発電エンジンの音が鳴っております。

本日乗ったのはその発電エンジン付寝台車、スハネフ14-551です。

スハネフ25-218から改造された車です。

はまなす用ハネは非コンパートメント車両なので
このほかには

スハネフ14-552


オハネ24-501、502、504


オハネフ25-7などが使用されています。

極稀にオハネフ24-501が入ることもあるようですが

何故かこちらは北斗星車両の検査予備に入ることが比較的多いようです。


今となっては古臭いドアを開けて寝台に入ります。


全車禁煙となりました。


良く見ると車内プレートの書体が前後で異なります。




各社もバラバラです。

ところで、スハネフ14とほか2両ではモケットやカーテンの色が異なります。

スハネフ14-551のモケットが海老茶なのに対し


ほかの2両は薄いなんともいえない色です。


富士重工1980年新製
土崎工場1987年改造
エンジンは予備エンジン運用効率化で余剰となったものを使用しているそうです。

廃車発生とも言われますが、実質は土崎手持ちとのこと。


オハネフ25-216の妻ドア。
揺れてぶれます。

ドアも腐食が目立ちます。


あまり語られなくなった特長的な便所。
25型では2段化のため定員が少なくなり、トイレをレール方向から枕木方向に設計変更の上ほかの余剰スペース捻出も合わせて1ブロックを確保して定員減を抑えました。

その結果生まれた。

かなり狭い便所。
そして走行中開閉してしまう折戸のドア。
導入時、かなり叩かれたのも思い出深いです。


減光して暗くなった車内。
その減光が解けるのは苫小牧を過ぎて美々を通過したあたりです。



最後部のスハネフ14-551の後部ドア
はしごが縄締めされています。
貫通することがないと踏んでいるのかもしれません。
このままでは開ききりませんね。
脱出用梯子と思われます。


夜中に快走。


せっかくなのでシーツをきちんとセットしましょう。
これをしないと勿体無い。
料金の原資ですし。
無ければごろんとシートでよいのですから。


すっかり気分は東海道寝台列車。


毛布には北斗星マークが。
しかしちょっとひび割れ気味。


豊浦付近で上下が交錯します。


登別を停車して暫く、白老過ぎたあたりでだんだん夜が明けます。


減光も解け、放送が再開する頃には南千歳に停車です。


夜が明けていきます。
まだ車内は静かです。


デッキのドアガラスにも、実は便所の小窓にも割れ防止のフィルムが二重に張ってあります。


レタリングが妙に詰まった14-551のドア表示。




わが北海道はまだ雪深い。


こんなのがまだあります。


北広島駅通過。
すっかり帰ってきたという感じがします。


快走を続けるはまなす。


梯子を閉じて遊んでみる。
この作り付けの梯子も14系からですが、「合理化の弊害だ!」と随分趣味雑誌で叩かれたのも遠い思い出。


西の里信号所通過。


ドアには吹き込まれた雪がこびりつきました。


新札幌停車。
最終停車駅です。


降りる人は僅かです。


札幌貨物ターミナルを横目にラストスパート。
札幌駅に滑り込みます。


あっという間のはまなす。
ただ、簡易リクライニングシートの自由席では結構長く感じるはずです。


増結するだけ盛況と見るべきでしょう。


簡易リクライニング車両。


満席だったドリームカー。
この元々グリーン車両シートもかなり古びた、わびしい雰囲気がないわけでもありません。
肘掛は擦り切れて黒くなっています。

純正G車オロ14-0という形式が起こされていれば、この車両は存在したのでしょうか。

空調関係もかなり現代レベルでは難があります。
実は寝台、私の寝たスハネフ14は非常に暑く、オハネは寒く、オハネフも寒いという感じであり、ドリームカーは非常に暑かった様な空気でした。
細かい調整が全く利かないのもこの時代の車両でしょう。
夏に乗ったときのスハフ14はエンジンとAU13が煩いし湿度が非常に高どまって居たのが厳しいものでした。


正直、ススキノの閉店したバーを居抜きで再開したような雰囲気のロビー。
これもあるだけまだ良いのですが、色合いが非常に厳しいものがあります。


牽引してきたのはDD51-1148
隣には然別へ連絡して走り去る普通列車。


検査上がりたてなのでしょう。
綺麗な色でした。




列車の位置づけ的には欠かすことの出来ない列車だと思います。
新幹線が函館に貫通したとしても、実はそれは変わらないはずです。
札幌を深夜に出て東京に定時出社できる連絡列車のスジになるのですから。
最終便飛行機より遅く札幌や上野を出て、翌日の飛行機より早く仕事に戻れる。
北斗星よりビジネスには適した列車ダイヤの一翼になるのですが、果たしてJr北海道はどう取り扱うのでしょう。

新幹線さえ来年青森まで来たとき、実ははまなすは大きな便利列車の地位が本来上がるはずなのです。




やっぱり検査上がりたてでした。


新幹線が廃止のトドメにならないはずなんですが・・・。


車両の限界はもう来ているのですよね。


夢だけではなく現実的に使える列車なのですが。


どこまで走っていてくれますことやら。



   ↑地味に100万ページビュー達成


ブログ通じて仲間になり

2010-03-07 22:13:51 | Weblog
二人は昨日晩と今日の昼、
すまいと全然違う場所(我孫子)で昼飯を共に食べ、
お互いにほぼ同時に北と西へ鉄道帰路につき、
彼は今、美濃太田まで帰路を進め、わたしは青森目前です。

しかもお互いに会うだめに上京した訳ではないというのが面白く。

縁とは不思議です。

出張点描3月4

2010-03-06 03:12:00 | Weblog

さて。
痛々しいただの日記も飽きてはきているんですが。

谷中。という街があります。
タニナカではなくヤナカ。
場所は上野動物園の徒歩圏とも言ってよく、根津の隣町でありながら台東区です。
谷中墓地というのが有名で、歴史上著名な人物の墓がいくつもあるものです。
その街の一端が非常に模型的なので紹介。


道が非常に細い住宅街。
下宿も散見できて、静かな町並みです。


ここにも車が通るんだから良くやりますわ・・・。




家の周りには何故か鉢植えがそこらかしこにあります。


既に車は入れませんね。


住もうと思ってもなかなか住めないような一種の閉鎖感がどこと無くあります。


階段の脇に井戸があります。

まだ実用されているようなので驚きます。
さらに驚くのが


個人の井戸が道のほとりにあるという。


やんわりと一見さんお断り雰囲気。


グーグルアースでもこれ見えないんじゃね?


もうなんだか判らないでしょうけど、ずっと一本道です。


道は続きます。
公道というか・・・・「ひとみち」


くねっくね。
しかも前回までこの道を利用した、学生の光の芸術演出作品の舞台として使われていたり、
その存在は誰のものなのかすらわかりません。




極めつけ。
この道は街道には出ていません。
なんと。


奥が街道。
言問通り・・・東大赤門横にすぐ出る道です。


寺の境内に入っていたんです。
そら外街から全く見えないわけだ。
こっちからだとはいる入り口すら見えない生活道。
境内真ん中あたりから生活道が分かれるなんて、開拓土地の北海道民には理解できません。
それだけ寺町として生活と密集した寺が一体なのでしょう。
実はこの生活路沿いに200程度ある流れの中に7個は寺があります。
寺まみれだったのですここ。


一方、言問通。
坂を下ると文京区根津。


狭小住宅の古いものばかり。
まさに3丁目の何チャラ。




既に根津。


テレビの中でも最近はお目にかかれないような街コレの世界です。


街コレはこうして使え。
そういう街です。


外露出の肉屋とかさ


コレでも営業している店舗です。
一体今は昭和何年だ。


もう完全街コレです。


街コレジオコレドンと来い。


タモリがぶらりと歩いていそうなの。


街コレ使うときのディテールになりますよ。




一番近代的?な商業施設が左の赤札堂というスーパー。
それにしたって、地方では駆逐されてもう無いような古いふるいスーパーです。


さ、通勤。
お。


これは珍しい行き先。


一日数本あるそうですよ。
で、昼間の間、地下の電留線で惰眠をむさぼって夕方走って終わりだそうで。


何かと話題の皇居。


早朝の丸の内。


京葉東京駅。


今日の快速は201系でした。
方向幕は何故か「京葉線」
でも快速蘇我行です。


ドア淵に黄色を発見。


元習志野電車区の車両ですね。


かっとぶ201系。


向こうは元山手。


本日の乗車車両。




この光景も今日で終わりです。

明日はもう海浜幕張にはきませんから。


この文字体は純然たる国鉄に近い。


既に旧番号見えず。


ハイフン以下の文字並びが一定ではありません。


昨日の同じ場所にあった編成。
この「2」に良く見える変形した文字はなんだったんでしょう。

明らかに違います。


これは夜撮影。
コレも微妙に文字体が違う。

ひょっとして物凄くディープな世界を見つつあるのでしょうか。


だんだんムキになって資料集めしちゃいそうな。


ついぞあの変形文字のクハ204-32に文字はほかには見つからず。


あ、仕事終わりました。
もうくたくたです。


さよなら海浜幕張。


ぐいっと一杯。
実は精根尽き果てて頭の中がもうめろめろで・・・。

ここで気が付くんです。
札幌生活では車でのドアトゥードアですから、移動の体力なんて関係ないでイベントならイベントで全精神力と体力もろもろ使い果たすのがデフォルトだったんですが。


東京は帰る体力がとても必要だということを痛感させられます。


あ、ATS-P機器箱のある2段窓205系ってある意味新鮮。


この黒い部分、模型でも再現したくなってきた。


ちーばーそがー!


偉い思いで痛い足を引きずって歩いたら、閉まっているし。
6時半弊店早すぎ~


丸の内散歩。
足はズキズキ。


東京駅改装中。


丸の内の静かな雰囲気はいいですね。
まぁ、エリートさんたちの街ですけど。


田舎ものは帰ろう。


柏!


根津着


赤札堂で夕食の買い物。
てかこんな古ぼけたスーパーが地域一番店でまだあるなんて。
どんだけ昭和なんだよw

明日から2日間オフ。
でも模型作るかどうか不明。



   ↑日曜日に帰り始めようと考えています。