今日も奥羽山脈を越えて山形県へ
往きは、色麻町から中羽前街道(国道347号)に入り鍋越峠を越えます。
色麻町から雪を被った船形山が見えます。
登りたい!!
山頂付近は雪が残っているので、アイゼン的な装備が必要なのではないでしょうか
まだ登れないなぁ。
以前から興味を持っていた鍋越峠ですが、所々が一車線になるくらいで、大半がセンターラインのある舗装路でした。
峠からの眺望も良いとはいえません。
(宮城県側)
(山形県側)
山形県側には鍋越沼があります。
私のすぐそばでウグイスが美しい声で鳴いていました。
いい声です。
聞き惚れていると、飛んで行ってしまいました。
鍋越峠から下りていくと、正面に大きな山塊が見えます
羽黒山でしょうか。
宮城県の方向を見ると
船形山周辺だと思います。
6月上旬に登るかな。
尾花沢の街まではおりず、途中で右折して山刀伐峠(なたぎりとうげ)へ向かいます。
途中から県道を外れ山刀伐峠への旧道をスイフトで登ります。
旧道の峠に車をおいて、5分ほど山道を歩くと昔の街道の山刀伐峠(クリックすると、「おくのほそ道山刀伐峠保全整備協議会」さんのサイトに移動します。)です。
松尾芭蕉は、この峠を越えたのです。
今は雑木が茂っていますが、「芭蕉が曾良の越えた元禄の頃はブナの原生林で覆われ、まさに、『高山森々として、一鳥声きかず、木の下闇、茂りあひて、夜行くがごとし』だった」(山刀伐峠にある案内看板から)らしく、山賊も出るような寂しい峠だったと言われています。
この峠で、なんと蛇が足下を横切って行きました。
びっくり!!
今日は暖かかったので、蛇も冬眠から冷めたのでしょう。
旧道をスイフトで峠越えしようと思っていたのですが、峠から先、赤倉温泉方は雪で通行止めでした。
Uターン、戻ります。
途中、カタクリの花が咲いていました。
きれいだなぁ。
北国の春を感じます。
赤倉温泉を通過し、北羽前街道(国道47号)を宮城県方へ進みます。
しばらく走るとJR堺田駅
ここで分水嶺を見ることができます。
それが、これ
右方が太平洋、左方が日本海へ流れているのだそうです。
一本の小川の水が、日本の東と西に別れ、流れていきます。
う~ん、これぞ分水嶺だ。
堺田駅の近くに、「封人の家」(旧有路家住宅)があります。
今日の目的の一つは、これを見学すること
封人の家(クリックすると、最上町のサイトへ移動します。)とは国境を守る役人の家のことだそうです。
仙台領と境を接する新庄領堺田村の庄屋家、つまりこの旧有路家住宅が封人の家と言われていたそうで、築300年以上の古い大きな家です。
松尾芭蕉が「奥の細道」に
「大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。三日風雨荒れてよしなき山中に逗留す」
と綴っているとおり、大雨のため2泊3日滞在したと言われています。
そして、ここで『蚤虱馬の尿する枕もと』と詠んだのだそうです。
柱も梁も300年以上前のものだそうです。
芭蕉が寝泊まりしたのは、板の間の次の畳の間だそうです。
この囲炉裏で食事をとったのかもしれません。
私も、この囲炉裏でお茶をいただきながら、封人の家を管理しておられる方からいろいろとお話をお聞きすることができました。
なんだかタイムスリップしたような気持ちがしました。
ありがとうございます。
ここからは、北羽前街道を鳴子峡、鳴子温泉と通って岩出山へ
岩出山から羽後街道(国道457号)を通って国道4号、仙台へと向かいました。
朝、8時頃に出発して16時頃に帰着
山に登れないのが寂しいのですが、東北を味わうことのできた楽しいドライブでした。
往きは、色麻町から中羽前街道(国道347号)に入り鍋越峠を越えます。
色麻町から雪を被った船形山が見えます。
登りたい!!
山頂付近は雪が残っているので、アイゼン的な装備が必要なのではないでしょうか
まだ登れないなぁ。
以前から興味を持っていた鍋越峠ですが、所々が一車線になるくらいで、大半がセンターラインのある舗装路でした。
峠からの眺望も良いとはいえません。
(宮城県側)
(山形県側)
山形県側には鍋越沼があります。
私のすぐそばでウグイスが美しい声で鳴いていました。
いい声です。
聞き惚れていると、飛んで行ってしまいました。
鍋越峠から下りていくと、正面に大きな山塊が見えます
羽黒山でしょうか。
宮城県の方向を見ると
船形山周辺だと思います。
6月上旬に登るかな。
尾花沢の街まではおりず、途中で右折して山刀伐峠(なたぎりとうげ)へ向かいます。
途中から県道を外れ山刀伐峠への旧道をスイフトで登ります。
旧道の峠に車をおいて、5分ほど山道を歩くと昔の街道の山刀伐峠(クリックすると、「おくのほそ道山刀伐峠保全整備協議会」さんのサイトに移動します。)です。
松尾芭蕉は、この峠を越えたのです。
今は雑木が茂っていますが、「芭蕉が曾良の越えた元禄の頃はブナの原生林で覆われ、まさに、『高山森々として、一鳥声きかず、木の下闇、茂りあひて、夜行くがごとし』だった」(山刀伐峠にある案内看板から)らしく、山賊も出るような寂しい峠だったと言われています。
この峠で、なんと蛇が足下を横切って行きました。
びっくり!!
今日は暖かかったので、蛇も冬眠から冷めたのでしょう。
旧道をスイフトで峠越えしようと思っていたのですが、峠から先、赤倉温泉方は雪で通行止めでした。
Uターン、戻ります。
途中、カタクリの花が咲いていました。
きれいだなぁ。
北国の春を感じます。
赤倉温泉を通過し、北羽前街道(国道47号)を宮城県方へ進みます。
しばらく走るとJR堺田駅
ここで分水嶺を見ることができます。
それが、これ
右方が太平洋、左方が日本海へ流れているのだそうです。
一本の小川の水が、日本の東と西に別れ、流れていきます。
う~ん、これぞ分水嶺だ。
堺田駅の近くに、「封人の家」(旧有路家住宅)があります。
今日の目的の一つは、これを見学すること
封人の家(クリックすると、最上町のサイトへ移動します。)とは国境を守る役人の家のことだそうです。
仙台領と境を接する新庄領堺田村の庄屋家、つまりこの旧有路家住宅が封人の家と言われていたそうで、築300年以上の古い大きな家です。
松尾芭蕉が「奥の細道」に
「大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。三日風雨荒れてよしなき山中に逗留す」
と綴っているとおり、大雨のため2泊3日滞在したと言われています。
そして、ここで『蚤虱馬の尿する枕もと』と詠んだのだそうです。
柱も梁も300年以上前のものだそうです。
芭蕉が寝泊まりしたのは、板の間の次の畳の間だそうです。
この囲炉裏で食事をとったのかもしれません。
私も、この囲炉裏でお茶をいただきながら、封人の家を管理しておられる方からいろいろとお話をお聞きすることができました。
なんだかタイムスリップしたような気持ちがしました。
ありがとうございます。
ここからは、北羽前街道を鳴子峡、鳴子温泉と通って岩出山へ
岩出山から羽後街道(国道457号)を通って国道4号、仙台へと向かいました。
朝、8時頃に出発して16時頃に帰着
山に登れないのが寂しいのですが、東北を味わうことのできた楽しいドライブでした。