昨日は、暖かい日差しの中、ミニミニ京都歩きを楽しみました。
その中で、今までずーーと疑問に思っていた場所に行ってみました。
それは、日蓮宗の寺院なのですが、名前が似ていて、覚えにくくて、違いがよく分からない寺院だったのですが・・・。
日蓮宗の寺院では、「妙」という漢字が付く寺院が多くあります。
ですから、「妙~寺」と言われると、どれだったかな???と迷ってしまうのです。
一つ目の寺院が「妙顕寺(みょうけんじ)」です。
昨日紹介した水火天満宮の近くにあります。
この寺院は、京都で一番初めにつくられた日蓮宗の寺院だそうです。
立派な本堂でした。。。
このお寺を開いたのは、宗祖の日蓮上人の孫弟子の日像上人で、京都を三回追放されても、諦めずについに京都で布教を許されたということでした。
この話は、「京都検定」を勉強した時に、何回も読みました。
庭園があるみたいでしたが、時間が無いので、中には入らずに次の寺院へと向かいました。
尾形光琳さんのお墓もあるみたいですね。
そして、次に向かったのは、大変混同しやすい「妙覚寺(みょうかくじ)」です。
すぐ近くにあって、どっちがどっちだかわからなくなりそうです。
この寺院は、織田信長が京都に来た際に、定宿にしていたというお寺でした。
本能寺の変が有名なので、織田信長さんは、いつも本能寺にとまっていた印象がありますが、実際にはこの「妙覚寺」に泊まることが多かったようです。。。
書いてあるところによると、秀吉の時代に、移転をしてこの場所に引っ越してきたそうなので、この場所に織田信長さんがいたわけではないようです。
しかし、この大門は聚楽第の裏門を移築したものらしくて、歴史のあるものらしいです。
実際に行って、写真を撮って、ブログに書くことで、ようやく覚えることができそうです。
「妙顕寺」と「妙覚寺」この二つは、本当に紛らわしいです。
もう一つ、近くに「妙蓮寺(みょうれんじ)」という寺院があるのですが、この時点で疲れて、行くことはあきらめました。
体を使って、覚えるというのは、なかなか大変なことですね。。。
私は信長の定宿ということで最初に妙覚寺を知りました。
妙顕寺はもちろんですが、本法寺もすぐですね。
本法寺は別の場所から現在地に移ったわけですが、
このあたりの歴史を思いながら、やはり歩かれて確かめると
忘れないと思いますね。
このあたりにはたくさんの寺院や天満宮、表千家など茶道の関係もありますね。とてもすべてを理解できないのですが、雰囲気だけは味わうことができました。