かんりにんのひとりごと

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平安京跡を歩く2(内裏~アスニーへ)

2025-02-17 | 観光・旅行・京都検定

昨日の続きです。

平安京の朱雀門から大極殿まで歩いて、次は天皇が住んでいた『内裏(だいり)』へと向かいました。

その前に見つけたのですが、かつて千本丸太町に朝堂院という政治の中心があり、明治になって平安神宮を作る際に、1200年前と同じ地に作ろうという動きがあったようです。

これは全く知りませんでした。

平安神宮は、平安京の『朝堂院』を八分の五に縮小して作られた建物です。

なので、再建するのに、1200年前に『朝堂院』があった場所に建てたら、確かに面白そうです。

ワクワクしそうですが、でも明治になるまでに、その場所に住んでいた人もいるでしょうし、多くの人を立ち退かせて、そんなに広い土地を確保するなんて、きっと無理でしょうね。

でも、ちょっと面白そうだったので、写真に撮っておきました。

さて、内裏の話ですが、平安京ができたころは、天皇は「内裏」に住んで、『朝堂院』まで来て、仕事をしていたそうです。

今でいうと、下立売通りを東に入ったあたりにあったようです。

細い道路ですが、次々と石碑や説明書きが設置されていました。

ここは「内裏」の内郭回廊跡ということで、内部を通っていた廊下があった場所です。

「内裏」の中の部屋と部屋をつないであって、人々が行き来していたのでしょう。

「内裏」の中で「紫宸殿」が正殿であり、儀式なども行われていた場所でした。

天皇が住んでいたのは、初期は「仁寿殿」であったらしいですが、途中からは「清涼殿」にかわったそうです。

その「紫宸殿」の跡がありました。

この内裏は何回も火事にあったりして、その際には天皇は貴族の家などに移り住んで「里内裏」と呼ばれたともいわれています。

源氏物語に登場したのは、この周辺なんですね。。。

天皇も道長や紫式部もこの辺りをうろうろしていたのかもしれません。。。

さて、「内裏」周辺をうろうろした後は、仕上げとして京都アスニーにある「平安京創生館」へと向かいました。

「平安京創生館」には、平安京についての解説や復元された模型などが展示されています。

このジオラマも見どころの一つです。

平安京をわかる範囲で正確に再現してあります。

中央に朱雀大路が通っているのが見えます。

道幅が84メートルで、南北に4キロメートルにわたって延びています。

突き当りが朱雀門ということになります。

一番南(手前)の左右に東寺と西寺が配置されています。

平安京ができた当時は西寺もちゃんとあったんですね。

知っていたことですが、目で見て確認すると実感がわいてきます。

『豊楽殿(ぶらくでん)』という建物が復元されていました。

この建物は朝廷の饗宴のための施設でした。

さぞや盛大に宴が催されていたことでしょう。。。

中々よくできた模型でした。

歩き回って、頭の中はいっぱいになりましたが、おなかが減ったので、ランチタイムとなりました。

お店の場所がまた良くて、「内裏」の中央当たりにあるお店でした。

平安京にどっぷりつかった一日となりました。

私と歩いた友人は、このすぐ近くに引っ越してきたそうです。

大変うらやましい限りです・・・。