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この間、京都検定の勉強をしていて、平安時代のことをいろいろと調べていました。
その時に、白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという話をしりました。
絶大な権力を持っていた白河法皇でさえ、暴れ川の賀茂河と、さいころの目の数と、延暦寺の僧侶というこの三つは、どうにも思い通りにならないという意味でした。
よく言われる「天下三大不如意(てんかさんだいふにょい)」というお話です。
この白河法皇が登場するのは、平安時代の中頃で、源氏物語が書かれたり、平等院が建てられたりした、少し後の時代でした。
白河天皇は、子供に天皇の地位を譲った後も上皇となり、また法皇となって、権力を維持し続けたようです。
お寺をいくつも建てたり、「鳥羽殿」と呼ばれる院御所を作ったりして、思いのままに政治を動かしていたようです。
その白川法皇にゆかりのある場所が、この城南宮であり、城南宮の近くにある「鳥羽離宮跡」ということでした。
この城南宮は、娘のお宮参りや七五三で何度も来たことがあります。
白河法皇のことなど全く知りませんでした。
この神社は方除けの御利益で有名で、転居や旅行など、方角に関係することで、よく知られています。
白河法皇も、熊野神社に参詣する際に、この場所に立ち寄って、ワンクッションを置いてから、出発したそうです。
せっかくなので、鳥羽殿があったという「鳥羽離宮跡」にも行ってみました。
建物などは、全く残っていなくて、何もない公園になっていました。
小高い丘に、一つの石碑が建っているだけ・・・。
漢字ばかりでした・・・。
かすかにわかるのは・・・。
白川帝が離宮を建てたということ。
鳥羽帝の時に増築したこと。
たぶんそんなことでしょう。。。
平安時代ねえ・・・。
おそらく1000年近く前に、この場所に白河法皇がいたんでしょうね。
気が遠くなってきました。
ちなみに、鎌倉殿で登場した後鳥羽上皇が登場するのは、白河法皇の後さらに100年くらい後になるみたいです・・・。
ますます、気が遠くなってきました。
歴史の勉強も奥が深いと思います。
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