かんりにんのひとりごと

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鷹峯と本阿弥光悦

2023-07-18 | 観光・旅行・京都検定

 

昨日、寄せていただいた鷹峯(たかがみね)は京都市の北の方にあります。

 

昔は、丹波地方への出入り口であったそうですが、おいはぎ等が出没する治安の悪いところだったようです。

 

その鷹峯に徳川家康から、広大な土地をもらった「本阿弥光悦」が一大拠点を築き、『光悦村』と呼ばれるまでになったそうです。

 

「本阿弥光悦」は桃山時代~江戸時代初期の芸術家で、俵屋宗達とともに『琳派の祖』と呼ばれる人です。

 

 

市内から、続く街道です。

 

 

 

京都は、南から北へ行くごとに、だんだんと標高が高くなっていて、このあたりになると、京都タワーと同じくらいの高さにあるそうです。

 

「北へ一筋上がるごとに、1度気温が下がる」とよく言われます。

 

 

「鷹峯」と呼ばれる小高い山がそびえていました。

 

 

 

都の中心からは、かなり外れたこの地域ですが、本阿弥光悦は自分から周辺地域への移住を望んだそうです。

 

家康との関係が悪かったという説もあるようですが、よくわかりません。

 

 

光悦さんが、住んでいた家が没後に『光悦寺』となって、今も残っています。

 

 

本阿弥光悦は、いろいろな分野で活躍した総合芸術家で、書道や陶芸・出版・工芸などで活躍したそうです。

 

光悦さんをしたって、多くの職人さんたちも、移り住んできたようです。

 

 

 

鷹峯に移住してきたのは60歳近くになってからで、そのあとは数多くの芸術作品を作り続けていたそうです。

 

 

 

光悦好みと言われる『光悦垣(こうえつがき)』が張り巡らされていました。

 

 

夏の雲が大変綺麗でした。

 

 

 

京都市内が、結構見渡せるのですね。。。

 

光悦さんにとっては、良い場所だったんでしょうね。

 

本阿弥光悦の生涯

 

 

 

 

 

 

 

 



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