昨日、寄せていただいた鷹峯(たかがみね)は京都市の北の方にあります。
昔は、丹波地方への出入り口であったそうですが、おいはぎ等が出没する治安の悪いところだったようです。
その鷹峯に徳川家康から、広大な土地をもらった「本阿弥光悦」が一大拠点を築き、『光悦村』と呼ばれるまでになったそうです。
「本阿弥光悦」は桃山時代~江戸時代初期の芸術家で、俵屋宗達とともに『琳派の祖』と呼ばれる人です。
市内から、続く街道です。
京都は、南から北へ行くごとに、だんだんと標高が高くなっていて、このあたりになると、京都タワーと同じくらいの高さにあるそうです。
「北へ一筋上がるごとに、1度気温が下がる」とよく言われます。
「鷹峯」と呼ばれる小高い山がそびえていました。
都の中心からは、かなり外れたこの地域ですが、本阿弥光悦は自分から周辺地域への移住を望んだそうです。
家康との関係が悪かったという説もあるようですが、よくわかりません。
光悦さんが、住んでいた家が没後に『光悦寺』となって、今も残っています。
本阿弥光悦は、いろいろな分野で活躍した総合芸術家で、書道や陶芸・出版・工芸などで活躍したそうです。
光悦さんをしたって、多くの職人さんたちも、移り住んできたようです。
鷹峯に移住してきたのは60歳近くになってからで、そのあとは数多くの芸術作品を作り続けていたそうです。
光悦好みと言われる『光悦垣(こうえつがき)』が張り巡らされていました。
夏の雲が大変綺麗でした。
京都市内が、結構見渡せるのですね。。。
光悦さんにとっては、良い場所だったんでしょうね。
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