正月の雰囲気もだいぶ変わった。
特に、今年は昨年の様々な出来事をどう転換していくかという課題を抱えての新年となった。
何時もと違った感慨を持つ。
総選挙も予想される。国民の責任は重い。
1回やれせてみようみたいな、後先を考えない無責任な選択は絶対してはならない。
正月早々生臭い話は止めよう。
課題が大きければ大きいほど、悩みが深ければ深いほど、それを成し遂げた達成感は大きい。
今年も、逡巡することなく、我が人生に悔いなしと言える為に、この一年を送る決意だ。
今年も多くの人から賀状をいただいた。
色々な形で関わりを持たせていただいた方々だ。
三が日が過ぎればすぐにお会いする人もいる。わざわざ年賀状をとも思うが、
一年間のお礼と新たな年の良いおつきあいのお願い、やはり、けじめとしての正月の持つ大きな意義の1つだろう。
遠く離れた人やあまり離れてはいないが、正に、ご無沙汰している人も多くいる。
賀状の文面を見ていて、懐かしさを覚え、今年こそはお会いしたいという人も多い。ぜひ、実現したい。これも年のせいか。
賀状を虚礼だという人もいる。
30年40年以上、賀状だけのお付き合いの人もいる。
賀状のやり取りが無ければ、今は、只の他人となってしまって、忘れ去り、忘れ去られた人となってしまっているだろう。
賀状の意味は大きい。
ブログを見ていると書かれた賀状も多かった。
立川を離れた人には、立川の匂いが少しでも届ばとの思いもあり、続けているのも事実。毎日書くと決意した以上続けたい。
昨日、根川に行ったからには、矢川にもと思い、行った。
冬はほとんど行かない。
枯草が刈られ、綺麗になっていた。
帰ろうと思い、南西の出口の傍の刈り残された枯草の所をふと見ると、見慣れぬ小鳥が一羽いた。
あわてて、思わずシャッターを切ったが、ピンボケ。
改めて、カメラを構える隙に姿を消してしまった。
根川も矢川も準備不足。
近い内の風のない日に改めて行こう。