先日、TVでの棟方志功の特集を録画した。
棟方の作品に最初に出会ったのは、週刊公論(コウロン)の表紙である。
当時の驚きは、今でも覚えている。
創刊号がいつ出たかと言うと、昭和34年(1959年)、私が18歳の時。高校生だった。
内容も硬派の雑誌だったと思う。本の中身よりも表紙の素晴らしさで買った。
この週刊誌を知っている人は少ないのではなかろうか。
今の、商業主義に走った、低俗な週刊誌の氾濫は見るに忍びない。
高校生の知識欲を満たし、低価格の週刊公論が懐かしい。
雑誌の値段は20円。今でも覚えている。他の週刊誌は30円から40円程度。
理由は分からないが、雑誌の命は、非常に短かった。廃刊を惜しんだ事は記憶している。
評論家の大宅壮一を知ったのもこの雑誌。
ちなみに、月刊誌は中央公論ではなく文藝春秋を読んでいた。
文芸春秋は記事もさることながら、杉山寧の表紙が素晴らしかった。
それ以来、杉山寧の絵を見るようになった。
週刊公論が創刊された前年の昭和33年の芥川賞は大江健三郎の「飼育」である。
これも文藝春秋に発表されたものを読んだ。
余談だが、大江健三郎の母校は愛媛県の内子町にある。
内子町は、蝋の原料である、ハゼの集散地として栄えた町であり、今でも素晴らしい街並みが残っている。
この学校は、地域に開かれた学校で、地域住民が様々な形で利用できるようになっている。デザインも斬新で、地形をうまく利用した素晴らしい学校である。
一人で視察にった。その折、大江がノーベル賞候補に挙がった時、この母校で待機していたことを聞いたり、在学当時の文章なども見せてもらった。
棟方は、版画とは言わず、板画と言った。
色使いや線に独特のものにひかれた。生家の青森の記念館で見た釈迦十大弟子は素晴らしかった。
近所にある、都立の多摩図書館が雑誌に特化した図書館になってから足を運んでいない。
是非、週刊公論の創刊号を見てみたい。