堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

七草

2012年01月06日 | 日記

 明日は七草粥。
 早いもので、年が明けてもう一週間たってしまう。
 この調子で、今年も過ぎて行ってしまうのか。心して過ごさないと、暮れに後悔することとなる。

 七草に気が付いたのは、どんど焼きの場所を確認に行き、ついでに多摩川の河川敷を見た。
 真冬なのに、緑の野草が目についた。
 多摩川は、子どもの頃の遊び場であった。何月ごろかはっきり覚えてはいないが、冷たい水につかり、鮮やかな黄色のかじかの卵を取った記憶がある。
 今、カジカやゲバチは多摩川にいるのだろうか。

 その頃と比べ、多摩川の植物相も貧弱になった。大水が肥沃な土を上流から運んできたが、今は、河原自体が痩せてしまったのだろう。
 河原野菊が姿を消してしまってから久しい。

 春の七草と言っても、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロのうち、ゴギョウとホトケノザは良く分からない。
 ナズナもぺんぺん草と言う名の由来である、三味線の撥の様な実をつけてからでないと区別はつかない。
 当然、そこまで育ってしまえば食用にはならないだろう。

 七草のうち、野草としてよく食べたものはセリぐらいだろう。
 今は、農薬や環境汚染が心配で、水辺のセリを採って食べる気にはならない。
 スーパーなどで売っているものは、自然のものと違って、香りやあくが無く物足りない。
 かつて、秋田できりたんぽを食べたとき、背の高いセリを鍋に入れるのを見て、東京のセリとは種類が違うのかとも思った。
 余談だが、いまのしょっつるは魚醤独特の臭みが無く物足りない。秋田で売っているものも、嘗ての味と匂いはしない。一般化してしまった。

 ハコベラ・はこべは食べた経験はない。
 昔、鶏を飼っていた。その餌にはこべを採って来て、鳥かごの中に入れると、鶏は喜んで食べた。
 舗装されていない、道端に幾らでも生えていた。今はほとんど目にすることはない。

 スズナ、スズシロはカブと大根なので日常的に食べている。
 しかし、大根は様変わりしてしまった。
 今の子どもたちは、大根と言えば、葉の生え際が緑で、すらっとした青首大根しか知らない。
 かつては、料理の目的によって、何種類もあった。
 辛味のない大根おろしを食べながら、残念に思う。
 辛味大根は売っているが、やはり、ナチュラルな大根本来の辛味とどこか違う。

 母の実家が日野にあり、東光寺大根として有名であった。
 沢庵にすると大変いおいしい。
 沢庵にするには太陽に干し、水分を抜く。凍らしてはならないので、夕方日が陰ると、取り込み、筵をかぶせて、保温する。
 その取り込みを手伝った。しんなりした大根の感触は今でも思い出す。

 沢庵をたるで漬けるが、樽の上の方に、拍子木状に切った干し大根を乗せる。
 浅漬けの状態で取りだして食べる。大根辛さが残っていて大変においしい。
 沢庵を樽で漬けるほど食べなる家はもうないのだろう。あの味を味わえなくなってから久しい。

 食生活も変わったものだ。

 気になるのは、スーパーや八百屋で、かごに入った七草粥の材料を打っているが、七草全部入っているのだろうか。