明日は七草粥。
早いもので、年が明けてもう一週間たってしまう。
この調子で、今年も過ぎて行ってしまうのか。心して過ごさないと、暮れに後悔することとなる。
七草に気が付いたのは、どんど焼きの場所を確認に行き、ついでに多摩川の河川敷を見た。
真冬なのに、緑の野草が目についた。
多摩川は、子どもの頃の遊び場であった。何月ごろかはっきり覚えてはいないが、冷たい水につかり、鮮やかな黄色のかじかの卵を取った記憶がある。
今、カジカやゲバチは多摩川にいるのだろうか。
その頃と比べ、多摩川の植物相も貧弱になった。大水が肥沃な土を上流から運んできたが、今は、河原自体が痩せてしまったのだろう。
河原野菊が姿を消してしまってから久しい。
春の七草と言っても、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロのうち、ゴギョウとホトケノザは良く分からない。
ナズナもぺんぺん草と言う名の由来である、三味線の撥の様な実をつけてからでないと区別はつかない。
当然、そこまで育ってしまえば食用にはならないだろう。
七草のうち、野草としてよく食べたものはセリぐらいだろう。
今は、農薬や環境汚染が心配で、水辺のセリを採って食べる気にはならない。
スーパーなどで売っているものは、自然のものと違って、香りやあくが無く物足りない。
かつて、秋田できりたんぽを食べたとき、背の高いセリを鍋に入れるのを見て、東京のセリとは種類が違うのかとも思った。
余談だが、いまのしょっつるは魚醤独特の臭みが無く物足りない。秋田で売っているものも、嘗ての味と匂いはしない。一般化してしまった。
ハコベラ・はこべは食べた経験はない。
昔、鶏を飼っていた。その餌にはこべを採って来て、鳥かごの中に入れると、鶏は喜んで食べた。
舗装されていない、道端に幾らでも生えていた。今はほとんど目にすることはない。
スズナ、スズシロはカブと大根なので日常的に食べている。
しかし、大根は様変わりしてしまった。
今の子どもたちは、大根と言えば、葉の生え際が緑で、すらっとした青首大根しか知らない。
かつては、料理の目的によって、何種類もあった。
辛味のない大根おろしを食べながら、残念に思う。
辛味大根は売っているが、やはり、ナチュラルな大根本来の辛味とどこか違う。
母の実家が日野にあり、東光寺大根として有名であった。
沢庵にすると大変いおいしい。
沢庵にするには太陽に干し、水分を抜く。凍らしてはならないので、夕方日が陰ると、取り込み、筵をかぶせて、保温する。
その取り込みを手伝った。しんなりした大根の感触は今でも思い出す。
沢庵をたるで漬けるが、樽の上の方に、拍子木状に切った干し大根を乗せる。
浅漬けの状態で取りだして食べる。大根辛さが残っていて大変においしい。
沢庵を樽で漬けるほど食べなる家はもうないのだろう。あの味を味わえなくなってから久しい。
食生活も変わったものだ。
気になるのは、スーパーや八百屋で、かごに入った七草粥の材料を打っているが、七草全部入っているのだろうか。