錦町の伝統行事、どんど焼きを今年は場所を変えて行った。
昨日の準備の時は、風が強く、寒かったが、今日は、無風で始まった。
都市部では、大きな火柱が立ち、火の粉や、燃えカスが空に舞う事からなかなか適当な場所がない。
お隣の国立市では公園等で行っているようである。
立川市内では、神社の境内では行われているようだが、地域主体で行っているのは、錦町のここだけ。
その経緯については前に書いたが、今年行われた場所で、これからも続けられそう。
伝統行事が守られたことに、一安心。
子供たちも貴重な思い出となったことだろう。
余談だが、書き初めが燃えながら、空高く舞い上がると字が上達すると言われてきた。それ程、火の粉も飛ぶ。
大きく、太い孟宗竹は、市民会館に飾った七夕の竹。
地域のために二度のご奉公、エコな行事である。どんど焼きが無ければ、ゴミとして出されてしまう代物。
竹の撥ねるドーンと言う音に、大歓声。竹は大きな音を出すが、性質上、飛び散らず安全。
この音を聞くたびに思い出すのが子どもの時の遊び。
孟宗竹を一節切り、節の近い所に錐で穴をあけ、中にカーバイトを入れる。
穴から水をたらし、しばらくしてから火をつける。ものすごい音がする。
アセチレンガス--夜店の懐かしい匂い--が爆発するのである。
アセチレンの匂いを知る人も少なくなった。
屋台などの照明は、当時、殆どカーバイトと水で発生させたアセチレンガス。
余談だが、どんど焼きの名も、竹の爆ぜる「ドン」と言う音だともいうが、俗説であろう。
火が弱くなった後は、アルミフォイルで包んだ団子を、無病息災を祈りながら焼く。
焼いた団子は、お汁粉の中に入れて食べる。
この団子、元々は繭玉。
この地域でも養蚕を行っていた。
繭玉飾りは、良い繭が、多くできるようにとの願いを込めた、予祝の行事であった。
どんど焼きを行った場所を中心に、何箇所も養蚕に関係するものがある。
三小の東隣、現在、都の施設のあるところは養蚕に関係した施設があった。
高い煙突があったのを覚えている人もいるのではないか。
七小の南側を通り、奥多摩街道を横断し、多摩川の河岸段丘の上を通る道の北側。
そこには蚕の卵を採る民間の会社があった。
立日橋を渡った右側の日野市の総合運動施設のある所には、桑の品種改良を行うための桑畑があった。
砂川地域は、ごぼうの種とともに、桑の苗の産地として有名。
地域の歴史を知る上からも、団子を焼いて食べるのも意味がある。
子供たちに伝えていきたいし、伝えなければならない。