堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

どんど焼き

2012年01月08日 | 地域・ボランティア

 錦町の伝統行事、どんど焼きを今年は場所を変えて行った。
 昨日の準備の時は、風が強く、寒かったが、今日は、無風で始まった。

 都市部では、大きな火柱が立ち、火の粉や、燃えカスが空に舞う事からなかなか適当な場所がない。
 お隣の国立市では公園等で行っているようである。
 立川市内では、神社の境内では行われているようだが、地域主体で行っているのは、錦町のここだけ。
 その経緯については前に書いたが、今年行われた場所で、これからも続けられそう。
 伝統行事が守られたことに、一安心。
 子供たちも貴重な思い出となったことだろう。
 余談だが、書き初めが燃えながら、空高く舞い上がると字が上達すると言われてきた。それ程、火の粉も飛ぶ。

 大きく、太い孟宗竹は、市民会館に飾った七夕の竹。
 地域のために二度のご奉公、エコな行事である。どんど焼きが無ければ、ゴミとして出されてしまう代物。
 竹の撥ねるドーンと言う音に、大歓声。竹は大きな音を出すが、性質上、飛び散らず安全。

 この音を聞くたびに思い出すのが子どもの時の遊び。
 孟宗竹を一節切り、節の近い所に錐で穴をあけ、中にカーバイトを入れる。
 穴から水をたらし、しばらくしてから火をつける。ものすごい音がする。
 アセチレンガス--夜店の懐かしい匂い--が爆発するのである。
 アセチレンの匂いを知る人も少なくなった。
 屋台などの照明
は、当時、殆どカーバイトと水で発生させたアセチレンガス。

 余談だが、どんど焼きの名も、竹の爆ぜる「ドン」と言う音だともいうが、俗説であろう。

         

 火が弱くなった後は、アルミフォイルで包んだ団子を、無病息災を祈りながら焼く。
 焼いた団子は、お汁粉の中に入れて食べる。

 この団子、元々は繭玉。
 この地域でも養蚕を行っていた。
 繭玉飾りは、良い繭が、多くできるようにとの願いを込めた、予祝の行事であった。

 どんど焼きを行った場所を中心に、何箇所も養蚕に関係するものがある。
 三小の東隣、現在、都の施設のあるところは養蚕に関係した施設があった。
 高い煙突があったのを覚えている人もいるのではないか。

 七小の南側を通り、奥多摩街道を横断し、多摩川の河岸段丘の上を通る道の北側。
 そこには蚕の卵を採る民間の会社があった。

 立日橋を渡った右側の日野市の総合運動施設のある所には、桑の品種改良を行うための桑畑があった。

 砂川地域は、ごぼうの種とともに、桑の苗の産地として有名。

 地域の歴史を知る上からも、団子を焼いて食べるのも意味がある。
 子供たちに伝えていきたいし、伝えなければならない。