伝統工芸職人だから出来ること、だからこそ出来ること。
こんな事を考え出すとワクワクして寝る時間ももったいなくなってきますが、意外と方向性が限られていることも事実です。
その理由は、固定概念として伝統技法や掟に縛られるがあまり、突拍子もない物・奇抜な物を作ることに抵抗を感じるためではないでしょうか。
意外にも、己の中の継承の血が、視界を曇らせる要員となっているのかもしれません。
そこで、思考を鈍らせないために、ネット市場調査を実施することにしました。
インターネット上には、世界中の工芸品、売れ筋商品が所狭しと陳列?されています。
そんな中で、私がまず第一に興味を持ったことは、あまりにも伝統技法を用いた商品が少ないという現実です。
伝統技法を宣伝文句として用いる製品はたくさんあるのですが、それらが本当に伝統技法を用いて作成されている!とは言いがたく、完成度も低いのです。
確かに伝統技法を用いれば、素晴らしい工芸品を世に送り出すことが出来るでしょう。
しかし、生産性とコスト面を考えると、断然手抜の量産品に押されてしまうのです。
市場のニーズが求める完成度と職人のコダワリとの間には、あまりにも大きな隔たりがあるということなのではないでしょうか。
特に、世に出回る高級品と称する商品の完成度の低さには、驚かされます。
例えば、鍛造打刃物の和式ナイフというジャンルを検索すると、非常に多くの実用ナイフが確認できます。
刀剣職人である以上、当該分野には興味があるわけですが・・・。
そのほとんどが伝統技法を用いていないことは、職人ならずともすぐに気付くところでしょう。
ひどい物になると、外装の工作は小学生の夏休み工作レベルで、刀剣職人であったならば商品として市場に出すには抵抗感を感じることもあります。
それでも、製作者は伝統工芸士であったりするから、二度びっくり!
そして、最終的に感じたことは、職人が自ら販売を手がけるサイトの少ないこと。
ネット販売は商業ベースの無店舗販売が幅を利かせており、結局ディストリビューターが市場を掌握しているという事実は、リアルと変わらないと思います。
当然、そこには中間マージンが発生しますので、エンドユーザーは適正な製品の対価を支払っているのか、はたまた職人は仕事に応じた対価を受け取っているのか、甚だ疑問に感じます。
つづく・・・
こんな事を考え出すとワクワクして寝る時間ももったいなくなってきますが、意外と方向性が限られていることも事実です。
その理由は、固定概念として伝統技法や掟に縛られるがあまり、突拍子もない物・奇抜な物を作ることに抵抗を感じるためではないでしょうか。
意外にも、己の中の継承の血が、視界を曇らせる要員となっているのかもしれません。
そこで、思考を鈍らせないために、ネット市場調査を実施することにしました。
インターネット上には、世界中の工芸品、売れ筋商品が所狭しと陳列?されています。
そんな中で、私がまず第一に興味を持ったことは、あまりにも伝統技法を用いた商品が少ないという現実です。
伝統技法を宣伝文句として用いる製品はたくさんあるのですが、それらが本当に伝統技法を用いて作成されている!とは言いがたく、完成度も低いのです。
確かに伝統技法を用いれば、素晴らしい工芸品を世に送り出すことが出来るでしょう。
しかし、生産性とコスト面を考えると、断然手抜の量産品に押されてしまうのです。
市場のニーズが求める完成度と職人のコダワリとの間には、あまりにも大きな隔たりがあるということなのではないでしょうか。
特に、世に出回る高級品と称する商品の完成度の低さには、驚かされます。
例えば、鍛造打刃物の和式ナイフというジャンルを検索すると、非常に多くの実用ナイフが確認できます。
刀剣職人である以上、当該分野には興味があるわけですが・・・。
そのほとんどが伝統技法を用いていないことは、職人ならずともすぐに気付くところでしょう。
ひどい物になると、外装の工作は小学生の夏休み工作レベルで、刀剣職人であったならば商品として市場に出すには抵抗感を感じることもあります。
それでも、製作者は伝統工芸士であったりするから、二度びっくり!
そして、最終的に感じたことは、職人が自ら販売を手がけるサイトの少ないこと。
ネット販売は商業ベースの無店舗販売が幅を利かせており、結局ディストリビューターが市場を掌握しているという事実は、リアルと変わらないと思います。
当然、そこには中間マージンが発生しますので、エンドユーザーは適正な製品の対価を支払っているのか、はたまた職人は仕事に応じた対価を受け取っているのか、甚だ疑問に感じます。
つづく・・・