以前、軍刀身の鑑賞研ぎに挑戦したことがあります。
軍刀というと語弊があるかもしれないので、昭和19年頃までに製造された日本刀(以下、昭和刀)と言い換えましょう。
これら昭和刀の生産目的は、ほとんどが言わずと知れた戦闘用です。
現代刀作刀の目的が、美術工芸品の制作であるのに対し、昭和刀は非常にわかりやすい目的を持っているわけです。そのためか、長年芸術性に欠けるとされ、ほとんど鑑賞の対象にはなっていません。
ちなみに、本来の作刀姿勢とは、いかに戦闘において使い易く、丈夫で長持ちであるか?にあったはずなので、昭和刀のそれは本来の作刀姿勢に近いのかもしれません。鎌倉期やそれ以前の儀礼用の細身の太刀の中には、戦闘を意識していない造りのものもあるので、一概には言えませんが…。
ところが、昭和刀=戦闘用と甘く見てはいけない!と感じることがありました。
半鍛錬?無鍛錬?と言われる伝統的な作刀技法を用いない昭和刀身の中にも、アッと驚くほど美しい姿のものがあるのです。
それらおしい刀身は、肉置きや姿を少し整形するだけで見違える程、気品溢れる刀へと生まれ変わります。
特に直刃の無地肌風の物や、濤乱刃の荒煮の焼刃を持つ物は、時代物に混ざる程の冴えを見せてくれます。私が研いだ昭和刀も、そんな隠れた名刀でした。
皆さんは、軍刀研ぎという研磨方法をご存知でしょうか?
戦地におもむく軍刀を、出来るだけ長斬れする様に研ぎ方を検討したのでしょう。例えば、使用によって錆が肌に浸透することを防ぐため?鎬地以外にも全体的に磨きをかけてしまう方法があります。
当然、化粧も施していませんので、刃紋は曇ってしまい油焼きの様に見えます。地刃ともにピカピカで、長年の放置で曇っています。
表面を研いで見ると、中から良く練れたチリチリとした鍛え肌が浮き上がってきました。
正直、研いでいる本人も、あれ?っと驚くわけですが、体配を修正しながら研ぎ上げると、鑑定刀並みの存在感を示します。研ぎ味も、現代刀や新々刀の様なガリガリ感は無く、サクサクと研げます。
研ぎあがった刀身は、直刃の刃縁が締まり、肌の健全さも相まって、鑑定上新々刀と見ることができます。
さらに、狙いを新刀に捉えるなら、体配を換えれば、新刀になるでしょう。
さらにさらに、恐るべきは研ぎ方を変えることで、室町や鎌倉へも時代が上がるのでは無いか?とすら感じるのです。
鑑定自慢の友人らが、全員が全員名刀に間違えるほどなので、その出来の良さは折り紙付きです。
斬って良し、眺めて良しの実用兼美な昭和刀は、まだまだ評価が低いのが現状です。
一度、ご自分の試斬刀を見直してみてはいかがでしょうか?
軍刀というと語弊があるかもしれないので、昭和19年頃までに製造された日本刀(以下、昭和刀)と言い換えましょう。
これら昭和刀の生産目的は、ほとんどが言わずと知れた戦闘用です。
現代刀作刀の目的が、美術工芸品の制作であるのに対し、昭和刀は非常にわかりやすい目的を持っているわけです。そのためか、長年芸術性に欠けるとされ、ほとんど鑑賞の対象にはなっていません。
ちなみに、本来の作刀姿勢とは、いかに戦闘において使い易く、丈夫で長持ちであるか?にあったはずなので、昭和刀のそれは本来の作刀姿勢に近いのかもしれません。鎌倉期やそれ以前の儀礼用の細身の太刀の中には、戦闘を意識していない造りのものもあるので、一概には言えませんが…。
ところが、昭和刀=戦闘用と甘く見てはいけない!と感じることがありました。
半鍛錬?無鍛錬?と言われる伝統的な作刀技法を用いない昭和刀身の中にも、アッと驚くほど美しい姿のものがあるのです。
それらおしい刀身は、肉置きや姿を少し整形するだけで見違える程、気品溢れる刀へと生まれ変わります。
特に直刃の無地肌風の物や、濤乱刃の荒煮の焼刃を持つ物は、時代物に混ざる程の冴えを見せてくれます。私が研いだ昭和刀も、そんな隠れた名刀でした。
皆さんは、軍刀研ぎという研磨方法をご存知でしょうか?
戦地におもむく軍刀を、出来るだけ長斬れする様に研ぎ方を検討したのでしょう。例えば、使用によって錆が肌に浸透することを防ぐため?鎬地以外にも全体的に磨きをかけてしまう方法があります。
当然、化粧も施していませんので、刃紋は曇ってしまい油焼きの様に見えます。地刃ともにピカピカで、長年の放置で曇っています。
表面を研いで見ると、中から良く練れたチリチリとした鍛え肌が浮き上がってきました。
正直、研いでいる本人も、あれ?っと驚くわけですが、体配を修正しながら研ぎ上げると、鑑定刀並みの存在感を示します。研ぎ味も、現代刀や新々刀の様なガリガリ感は無く、サクサクと研げます。
研ぎあがった刀身は、直刃の刃縁が締まり、肌の健全さも相まって、鑑定上新々刀と見ることができます。
さらに、狙いを新刀に捉えるなら、体配を換えれば、新刀になるでしょう。
さらにさらに、恐るべきは研ぎ方を変えることで、室町や鎌倉へも時代が上がるのでは無いか?とすら感じるのです。
鑑定自慢の友人らが、全員が全員名刀に間違えるほどなので、その出来の良さは折り紙付きです。
斬って良し、眺めて良しの実用兼美な昭和刀は、まだまだ評価が低いのが現状です。
一度、ご自分の試斬刀を見直してみてはいかがでしょうか?
早速ホームページ拝見いたしました。
非常に膨大な研究資料と的確な考察には、感服いたしました。
私も常々、近代製日本刀の位置付けには疑問を感じておりましたので、とても共感いたします。
特に羽山円真考案の洋鉄鍛えに関する記述は面白く拝見いたしました。後の実戦刀に多大な影響を与えたであろう円真の作刀姿勢は、評価に値すると思います。
今後とも、交流が持てますことを楽しみにしております。
ある方のご紹介で貴ブログの「粟田口?」を拝読させて頂きました。私は軍刀研究から入りましたが、軍刀の偏見を無くす為には日本刀の史実を明らかにする必要性を感じまして、現在日本刀の考察に力点を置いております。軍刀とは刀剣の用途を表す呼称でして、明治~大東亜戦終結までに造られた主に軍用に使われた刀剣を私は近代刀と位置づけています。今後とも忌憚のないご見解をお聞かせ下さい。尚、宜しければ弊サイトhttp://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_028.htmの日本刀の考察をご覧頂ければ幸いです。
貴ブログの益々のご発展を祈念いたします。
私も関の軍刀を二振愛用しております。関の軍刀は斬って良し、振って良しの実に頼もしい相棒です。
確かに、戦時中の関で製造された軍刀の中には、造兵廠同様無鍛錬に油焼き入れといった代物もあったようですが、日本中に轟いた関ブランドを粗悪品の代名詞にしないためにも、地場産業の組合が厳しい規格を設けていたと聞いております。
中でも、品質が保証できる製品には、関の刻印が押されていますので、ガヤマスさんの軍刀は当時かなりの高級品であったことを想像します。
関の刻印が押されているのでしたら、本鍛錬の可能性も捨てきれないのではないかと思いますが、どうですか?
関の軍刀の中には、新刀と間違われる程の上の出来を誇る刀身もあると聞いていますので…。
日刀保の鑑定は信用できるのか、との疑問を持ち、サイトをいろいろ巡っていたところ、貴ブログを見つけました。目的は違ったのですが、なんと軍刀のことが書かれており、驚き、コメントさせていただいた次第です。というのも私が所有するお刀が、戦時中、関で打たれた2尺2寸1分の刀だからです。機械ハンマー使用の半鍛練刀のようで、刀匠名の上に「関」の合格印が茎にあります。粗造もあったでしょうが、「昭和刀」と一言で片づける、骨董愛好家の方々も少しは、当時国家を挙げ技術の粋を結集して鍛えた軍刀を少しは評価してもいいのでは、と思います。長くなり失礼しました。