ひねくれ亭日常

散歩と徘徊が日常の独り言

鳥肌が立つ 城跡

2020-11-26 10:14:17 | 旅行

津山城跡は行くだけでそのスケールの大きさに感心する。

ここが要衝であった事を知らしめてくれるからだ。

違う意味で感動というか肌に泡立つ思いをするのが島原半島の原城跡である。

ご存知、天草四郎時貞を総大将とする37000人の一揆軍が奮戦した場所だ。

島原の乱当時既に廃城だった場所はその後更に破壊され殆ど野に返った感がある。

今は少し復元された部分もあり解りやすいが昔は何もなかった。

それでも僅かに残る土塁の跡に立ち辺りを見渡すと感慨深い。

何も無いからこそ何かが見える、感じるそんな場所なのだ。

この静かな狭い所で37000人が殺された…

驚くべき事実。

当時の日本の人口は2000万人に満たないのである。

観光客も来ない静かな城跡に佇むと多くの呻き声が聞こえて来るのだ。

 

 

 


「葬式無用 戒名不用」は理想だけれど…

2020-11-25 10:48:59 | 葬式

どうも子供の頃から坊主と教師への愚痴を多く聞かされたせいか彼らの事をあまり良く思わない傾向が強い。

特に坊主、坊主丸儲けの如くなんやかやと行っては檀家に寄進を求めるので貧乏な実家は何時も腹を立てていた。

檀家の誰よりも立派な家に住み高価な車を乗り回し、宗派内のもめごとで分裂して新たに寺を建てるから金を出せと…

もう母親は寺が大嫌い。いや大大大大大大嫌いだった。

だから生きている内にさっさと墓じまいをして自分は散骨と決めて契約。

まあそこまで決意させた坊主が一番悪いと思うなあ。

葬式は無用と言いたいが身内や親しい人が集まる事自体は特に唾棄すべき事でもない。

簡単なお別れ会でいいだろう。

絶対要らんのは戒名だ。一文字〇十万円になりますとはふざけるな!!

元々庶民に戒名なんて無い、大体苗字が無かった訳でな。

戒名は一部階級の物、俗名で庶民は何ら問題は無い。

まあそう思っても他人の戒名の字数を数えてしまうのは貧乏人の性だなあ。


いいなあ、この城 津和野城

2020-11-24 11:10:51 | 旅行

城と言えば天守閣、そうも言えるが必ずしも天守閣が必要とも限らない。

大体中世の城は基本的に砦であって誰もが思い描く天守閣付きは信長以降に建設される訳だ。

だからそう拘る必要はないんだろうなあ。

勿論立派な現存天守閣は見る価値があるけど。

城址ってだけで

「天守閣ないの?じゃあ行かなくてもいいよ」

という人が多いがもったいない。城は天守閣の有無で価値が決まる訳じゃないのに。

あまり観光化されていない山城の場合は歩いて登らねばならないから億劫になるのはしかたない。

しかしそこまで来たならやはり登って欲しいものだ。

そんな城の一つが津和野城。

武家屋敷と掘割の鯉が代表するイメージだが城址まで登る人は少ない。

リフト降り場から約20分の登り道は結構きついから年取ったら辛い。

でも城跡から見る津和野の街は石州瓦の赤色が綺麗なんだなあ。

行く価値あり、一汗かく価値あり。

 

 


津山と言えば…30人殺し?

2020-11-23 12:20:17 | 旅行

津山と言ってピンとくる人は東日本に極僅かしか存在していない。

関東地方で知っている人はほぼ中国地方出身の人ではなかろうか。

またそれ以外の出身でも知っている理由は多分あれ、”津山30人殺し”だろう。

あまりに特異な事件と切っても切り離せないから津山の人には有難くない看板だ。

最近はホルモンうどんで地域興しをしているがホルモンじゃ30人殺しに勝てないなあ。

しかし津山には実は凄いものがあるのだよ。

それは津山城跡。

勿論天守閣等はないが行く価値はある。それほど凄い城だったのだ。

中国地方の要衝であった津山を納めるだけの規模の大きな城は明治になって破却される。

実にもったいない。残っていれば間違いなく国宝であり世界遺産にもなったかもしれない。それほどの城だ。

まあ城址を歩くだけでも往時の権勢を十分に感じられるから凄い存在だったはず。

グーグルアースでバーチャル散策をしてみて欲しい。そして是非当地を訪れる事をお勧めする。

城マニアじゃ無くとも十分に楽しめるその豪快さをお約束するから。

https://www.city.tsuyama.lg.jp/city/index2.php?id=3449

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市のサイト


電話が我が家に来た日

2020-11-22 16:53:22 | 生活

電話が黒じゃなくなってから随分と久しい。

我家に電話が入ったのは50年程前の事だ。当時は高い加入権を得た上で取り付ける事が出来る仕組み。

加入権はゴルフ会員権と同じで売買の対象になり相続も出来るいわば金券だ。

ほぼ買った時の額で取引が成立するからいざという時は売り払って糊口を凌ぐ事が出来る。

当時は電話を引くにも一苦労、お金の面もあったが順番待ちもあったからだ。

やっと加入権を手にしても随分と待たされたのを覚えている。

電話が家に付くなんてまるで夢の様で毎日親に「何時電話が来るんだ」としつこく聞いた。

日にちが決まっても時間は全く分からない。玄関でまだかまだかと待ち続けようやく夕方になって電電公社の人が来た時は嬉しかったあ。

親父は廊下の途中に電話専用の箱を設置し綺麗にニスを塗って準備は万端。

そこへ置かれた黒電話を眺めてこれから一体何が起こるのかワクワクした。

しかし電話を掛ける相手も特になく、また掛かってくる訳もない(当然だ、誰も番号を知らない)

数日間電話は専用の箱の中で沈黙していたのである。