旧東海道を、膳所から浜大津まで車で走ってみました。
道は幅も少なく、車がすれ違うギリギリに幅しかありません。
義仲寺にお参りました。義仲寺は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、
帰りに源頼朝軍に追われて粟津(あわづ)の地で壮烈な最期を遂げた
木曽義仲(きそよしなか)(1154-84)をここに葬ったことに由来しています。
近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。
江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚でしたが、
周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-94)が度々訪れ、
のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、生前の遺言によって
ここに墓が立てられたとのことです。
こじんまりとした寺ですが、かやぶきの建物など風情がある寺です。
膳所から浜大津まで旧東海道を車で走りました。
ところどころに昔からの旧家があります。
義仲寺
本堂の朝日堂(ちょうじつどう)
境内には、芭蕉の辞世の句である「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」など数多くの句碑が立ち、
偉大な俳跡として多くの人が訪れます。このほか、本堂の朝日堂(ちょうじつどう)・
翁堂(おきなどう)無名庵(むみょうあん)・文庫などが立ち、境内全域が国の史跡に
指定されています。
木曽義仲の墓
道は幅も少なく、車がすれ違うギリギリに幅しかありません。
義仲寺にお参りました。義仲寺は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、
帰りに源頼朝軍に追われて粟津(あわづ)の地で壮烈な最期を遂げた
木曽義仲(きそよしなか)(1154-84)をここに葬ったことに由来しています。
近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。
江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚でしたが、
周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-94)が度々訪れ、
のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、生前の遺言によって
ここに墓が立てられたとのことです。
こじんまりとした寺ですが、かやぶきの建物など風情がある寺です。
膳所から浜大津まで旧東海道を車で走りました。
ところどころに昔からの旧家があります。
義仲寺
本堂の朝日堂(ちょうじつどう)
境内には、芭蕉の辞世の句である「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」など数多くの句碑が立ち、
偉大な俳跡として多くの人が訪れます。このほか、本堂の朝日堂(ちょうじつどう)・
翁堂(おきなどう)無名庵(むみょうあん)・文庫などが立ち、境内全域が国の史跡に
指定されています。
木曽義仲の墓