芸能界も昨年の年末から、某有名タレントへの文春砲の炸裂などがあり、今年も大荒れの様相を呈しています。
やはり、天候や世相が大きく動くと、芸能界やエンタメも動きが荒々しくなるのは、世の常でしょうか。
貴方も貴女も同じように感じておられるでしょうね。
そのような中、既に多くの報道がされていますが、有名な写真家で芸能界を引っ張ってきたとも言える、篠山紀信さんが1月4日、死去されました。
1月6日12時00分に産経新聞 THE SANKEI NEWSが「「時代の先駆者」篠山紀信さん死去 宮沢りえ、山口百恵さん撮影秘話」の題で「週間フジ」の特集・連載にて、次のように伝えました。
『(前略)
時代を彩るスターを50年以上にわたり撮り続け、美とエロスを追求した写真家、篠山紀信さんが4日に死去した。83歳だった。1991年には当時18歳で人気絶頂だった女優、宮沢りえ(50)のヘアヌード写真集が社会現象となるなど、その作品は常に時代を先取りしていた。
篠山さんは4日、容体が急変し病院に搬送されたが、そのまま帰らぬ人となったという。死因は明らかにされていない。妻は元歌手の南沙織さん。
日大芸術学部写真学科に在学中の61年に第1回APA賞を受賞。68年からフリーで活動し、70年代には「激写」シリーズで人気を得た。80年代も「週刊朝日」の女子大生表紙シリーズで宮崎美子や真野あずさ、河野景子らを発掘。
(中略)
かつて夕刊フジの取材で、宮沢について「ある種、処女性をたたえた聖女なわけで、僕も自分の〝聖なる地〟であるアメリカのサンタフェで撮らなければと思ったんだ」と語った篠山さん。米サンタフェは篠山さんが敬愛する写真家、アルフレッド・スティーグリッツの拠点だった。
(中略)
衝撃的なヌードも「彼女が嫌なら撮らないつもりだったが、『じゃあ脱いでみようか』と言うと、拍子抜けするほどあっさり脱いでくれたんだね。りえちゃんの写真はエロじゃない。ヌードだからエロいんじゃないんだ」と語っていた。
75年に雑誌「GORO」で山口百恵さんを撮影した際は、多忙な百恵さんのスケジュールを押さえるため「GORO」「少年マガジン」「明星」の3誌を掛け持ちしたとも。ロケ現場となった山中湖では「湖畔に沈みかけたボートがあって、横たわってもらったら、ちょうど沈みかける夕日が差して、幻想的な雰囲気に包まれたんだ。夢中でシャッターを切ったね」と明かした。
(以下略)』
篠山紀信さんの数多くの歌手やモデル、女優などの激写、筆者も昔から大好きでした。
篠山紀信さんが撮影されたグラビアとか、いろいろな写真集も入手したものです。
今も大好きですよ。
正に日本の芸能界だけではなく、日本の新たなる文化の一翼を担い、世界に向けた宣伝や広報、イメージ作りにも貢献をされたかと存じます。
ですから、そのような巨匠というべき方が、何故、今になってお亡くなりになるのかと、残念でなりません。
死因が公開されていないのは、ご本人やご遺族のご意向でしょうか。
篠山紀信さんが撮影された、多くの、数多くの画像や写真がSNSを含めて、改めて拝見すると、「あの時から芸能界などを支えた巨匠だったのだ」と強く感じます。
篠山紀信さん、貴方は我が日本文化の一翼だった、合掌!!
篠山紀信さんが、当時アイドルだった千葉麗子さんをグラビア撮影した時の画像
出典:1月5日、千葉麗子さん自身のX(REIKO CHIBA)
『この写真は私がまだアイドルだった18〜19歳の頃。
篠山紀信さんに最初に撮っていただいたグラビアの一部です。
巨匠であり鬼才と謳われた紀信さんとの初めての撮影は終始緊張。その後、何度か現場をご一緒させていただくうちにおちゃめなお人柄に魅了されました。
心からご冥福をお祈りいたします。』
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貴方も貴女も同じように感じておられるでしょうね。
そのような中、既に多くの報道がされていますが、有名な写真家で芸能界を引っ張ってきたとも言える、篠山紀信さんが1月4日、死去されました。
1月6日12時00分に産経新聞 THE SANKEI NEWSが「「時代の先駆者」篠山紀信さん死去 宮沢りえ、山口百恵さん撮影秘話」の題で「週間フジ」の特集・連載にて、次のように伝えました。
『(前略)
時代を彩るスターを50年以上にわたり撮り続け、美とエロスを追求した写真家、篠山紀信さんが4日に死去した。83歳だった。1991年には当時18歳で人気絶頂だった女優、宮沢りえ(50)のヘアヌード写真集が社会現象となるなど、その作品は常に時代を先取りしていた。
篠山さんは4日、容体が急変し病院に搬送されたが、そのまま帰らぬ人となったという。死因は明らかにされていない。妻は元歌手の南沙織さん。
日大芸術学部写真学科に在学中の61年に第1回APA賞を受賞。68年からフリーで活動し、70年代には「激写」シリーズで人気を得た。80年代も「週刊朝日」の女子大生表紙シリーズで宮崎美子や真野あずさ、河野景子らを発掘。
(中略)
かつて夕刊フジの取材で、宮沢について「ある種、処女性をたたえた聖女なわけで、僕も自分の〝聖なる地〟であるアメリカのサンタフェで撮らなければと思ったんだ」と語った篠山さん。米サンタフェは篠山さんが敬愛する写真家、アルフレッド・スティーグリッツの拠点だった。
(中略)
衝撃的なヌードも「彼女が嫌なら撮らないつもりだったが、『じゃあ脱いでみようか』と言うと、拍子抜けするほどあっさり脱いでくれたんだね。りえちゃんの写真はエロじゃない。ヌードだからエロいんじゃないんだ」と語っていた。
75年に雑誌「GORO」で山口百恵さんを撮影した際は、多忙な百恵さんのスケジュールを押さえるため「GORO」「少年マガジン」「明星」の3誌を掛け持ちしたとも。ロケ現場となった山中湖では「湖畔に沈みかけたボートがあって、横たわってもらったら、ちょうど沈みかける夕日が差して、幻想的な雰囲気に包まれたんだ。夢中でシャッターを切ったね」と明かした。
(以下略)』
篠山紀信さんの数多くの歌手やモデル、女優などの激写、筆者も昔から大好きでした。
篠山紀信さんが撮影されたグラビアとか、いろいろな写真集も入手したものです。
今も大好きですよ。
正に日本の芸能界だけではなく、日本の新たなる文化の一翼を担い、世界に向けた宣伝や広報、イメージ作りにも貢献をされたかと存じます。
ですから、そのような巨匠というべき方が、何故、今になってお亡くなりになるのかと、残念でなりません。
死因が公開されていないのは、ご本人やご遺族のご意向でしょうか。
篠山紀信さんが撮影された、多くの、数多くの画像や写真がSNSを含めて、改めて拝見すると、「あの時から芸能界などを支えた巨匠だったのだ」と強く感じます。
篠山紀信さん、貴方は我が日本文化の一翼だった、合掌!!
篠山紀信さんが、当時アイドルだった千葉麗子さんをグラビア撮影した時の画像
出典:1月5日、千葉麗子さん自身のX(REIKO CHIBA)
『この写真は私がまだアイドルだった18〜19歳の頃。
篠山紀信さんに最初に撮っていただいたグラビアの一部です。
巨匠であり鬼才と謳われた紀信さんとの初めての撮影は終始緊張。その後、何度か現場をご一緒させていただくうちにおちゃめなお人柄に魅了されました。
心からご冥福をお祈りいたします。』
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