今回は、有名ブログからの引用で、識子さんの書く「こっそりスピリチュアルやっています。」から、報復したい相手が出た時の話です。
報復したい。やり返したい。と言う発想は人間のみならず、高次元も含め喜怒哀楽の有る存在ならば誰しも持っている、ごくありふれた感情だとワタリ個人は思います。
この件に関して詳細を語ると非常に長くなるので単刀直入に結論から言わせて頂きますと、識子さんも語る通り、報復したいからと言ってそれを実行に移す事は控えるべき事で有り、はっきり言えば百害あって一理なし。なのです。
まず、ワタリの経験を踏まえてお話ししますと、相手の放った発言や行動に対して何かしらのリアクションをする。と言う事は、相手と感情とエネルギーを共有という事になります。
これが笑いや喜びに繋がる感情ならプラスエネルギーなので良いのですが、この報復したい。と言う感情の場合マイナスエネルギーを発する感情です。
出来る事ならば受けとりたくない感情なのですが、相手の仕打ちに対して深い怒りやいきどおりを感じているとつい冷静な判断が出来なくなり、一時の感情のままに報復を考えたり実行してみたくなってしまう事は多いでしょう。
そしてプラスエネルギーよりマイナスエネルギーの方が感情の攻撃力となる怒りのエネルギーを含んでいる分強く、瞬発力も破壊力も有る物ですから、マイナスエネルギーをコントロールするには相当の精神力が必要だと思いますし、意図的な感情のコントロールと言うのはなかなか出来ないと思います。
しかし、ワタリはツインの教育や影響も有るかもしれませんが、怒りがわいてきたらとりあえず沈静化の深呼吸をしてから考えます。
「あいつと同レベルになっている。気を付けなきゃ。」
スピリチュアルに興味関心の有る方ならご存じかと思いますが、マイナスエネルギーを振り撒いている人よりも、プラスエネルギーを振り撒いている人の方がより好かれて幸福な人生。はっきりと言えば現世利益を多く受けお買い得な人生を送れる可能性が高いとワタリは思います。
そして、マイナスエネルギーよりプラスエネルギーの方が明らかに高次元の感状なのです。
マイナスエネルギーにマイナスエネルギーで返すのは、負のエネルギー同士をぶつけ合うだけで、全く生産性がない上に周りを巻き込みます。
それに、マイナスエネルギーをぶつけられたから。と言ってこちらもマイナスエネルギーを発生させれば相手のレベルに合わせている事となります。
相手の事を見下しているようですが、はっきりと、皆さまに報復を考えた時、自身に問いかけてもらいたい事を書かせて頂きます。
自分にマイナスエネルギーをぶつける人間は、明らかに自分よりも低次元な事をしているのに、それに自分は合わせて低次元になるのか?
その相手は、自分がそうするだけの価値があるのか?
その相手にあわせた結果、自分の実生活に利益はあるのか?
「殴る手の方がもったいない!」
とは有る漫画で長い間ひどい仕打ちを受けたキャラが命乞いをする相手の情けない様を見て発言した台詞ですが、ワタリの言いたい事はこれなんです。
低次元の感情を発する人間に合わせる必要はありません。
博愛なツインの知り合いもそうですが、他者からの言動でいきどおりを感じたり、怒りを覚えたりする貴方は実はとても優しいんです。
それに、他者を虐げたりした人間は走馬灯で自分から虐げたげられ、生前やって来た事を痛感させられると、我々人間を支配する冥府のルールで決まっていて、これから逃れる事はアセッドマスターですら許されません。
おごり高ぶり魔界系高次元を見下し続けたスコーピオンしかり、ツインに対して悪魔とのそしり続けたワタリの直前前世しかり。
「憎まれっ子世にはばかる。」とことわざでは言いますが、はばかったらはばかったなりに対価が来るのが、我々が最終的に支配されている魂の世界のルールです。
その上、いくら走馬灯を見て後悔をしたとしても、謝罪しやり直したいと願っても時すでに遅いんです。
葬式の場でいくら訴えかけても誰も気がついてくれない。
お墓か仏壇を媒体に訴えかけても誰も気がついてくれない。
生前なら出来たはずの事が全く出来ない環境の中、ただ後悔の念にさいなままれている事しか出来ないんです。
スコーピオンは自身の魔力でワタリの守護霊となり、ワタリを魔術師として育成する事と世話係としての立場を持つ事で魔界系高次元に対する贖罪のチャンスを得られました。
しかし、ワタリがそうであるように、多くの人々は追体験でしか贖罪をする事が出来ないのです。
そして、生前から追体験の事を知っていたスコーピオンはワタリを引き寄せるまでアセッドマスターになってもう転生をしなくなったのを追体験による贖罪のチャンスを失った。と判断し、とても苦しんでいた時期が有ったんだそうです。
そうでなければ、このブログに書かれているように、後悔の念に捕らわれそこから抜け出せなくなる事で贖罪をするのかもしれません。
どちらにせよ、これが他者を虐げてきた人間の末路なんです。
報復を実行すると言う事は、すなわち自身を他者を虐げてきた人間と同じ末路に向かわせると言う行動以外の何物でもないく、その行動は間違いなく貴方の魂や心の霊格を下げます。
霊格ってね、貯金に近いと思うんですよ。
貯めるのは地道な努力しかあり得ないのに、減る時はあっという間。って言う。
それでも報復をしますか?
こつこつこつこつこつこつこつこつ、それこそ人類創世記の頃から積み立ててきた自身の霊格を、たった一人の為に切り崩して、また修行のやり直しにするのですか?
考えるだけなら被害は少なくて済みます。
でも、無意識のエネルギーは余りにも巨大で、考え続ければいつしか報復の力が引き寄せられ、貴方も罪を犯してしまうかもしれず、もしかしたら真なる悪に狙われるかもしれません。
だから、報復を考えたら先ず深呼吸をして、頭を冷やしてから考えましょう。
相手は報復するだけの価値がある人間か?
報復した事で自身の実生活に利益があるのか?
もし、ないと言う結論ならばその人に報復するのは止めましょう。
そう、あなたが優しさゆえの鞭を振るう必要が本当に有る相手ならば、頭冷やして考えたって鞭を振るう価値がある。って結論に達するんですから。
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報復したい。やり返したい。と言う発想は人間のみならず、高次元も含め喜怒哀楽の有る存在ならば誰しも持っている、ごくありふれた感情だとワタリ個人は思います。
この件に関して詳細を語ると非常に長くなるので単刀直入に結論から言わせて頂きますと、識子さんも語る通り、報復したいからと言ってそれを実行に移す事は控えるべき事で有り、はっきり言えば百害あって一理なし。なのです。
まず、ワタリの経験を踏まえてお話ししますと、相手の放った発言や行動に対して何かしらのリアクションをする。と言う事は、相手と感情とエネルギーを共有という事になります。
これが笑いや喜びに繋がる感情ならプラスエネルギーなので良いのですが、この報復したい。と言う感情の場合マイナスエネルギーを発する感情です。
出来る事ならば受けとりたくない感情なのですが、相手の仕打ちに対して深い怒りやいきどおりを感じているとつい冷静な判断が出来なくなり、一時の感情のままに報復を考えたり実行してみたくなってしまう事は多いでしょう。
そしてプラスエネルギーよりマイナスエネルギーの方が感情の攻撃力となる怒りのエネルギーを含んでいる分強く、瞬発力も破壊力も有る物ですから、マイナスエネルギーをコントロールするには相当の精神力が必要だと思いますし、意図的な感情のコントロールと言うのはなかなか出来ないと思います。
しかし、ワタリはツインの教育や影響も有るかもしれませんが、怒りがわいてきたらとりあえず沈静化の深呼吸をしてから考えます。
「あいつと同レベルになっている。気を付けなきゃ。」
スピリチュアルに興味関心の有る方ならご存じかと思いますが、マイナスエネルギーを振り撒いている人よりも、プラスエネルギーを振り撒いている人の方がより好かれて幸福な人生。はっきりと言えば現世利益を多く受けお買い得な人生を送れる可能性が高いとワタリは思います。
そして、マイナスエネルギーよりプラスエネルギーの方が明らかに高次元の感状なのです。
マイナスエネルギーにマイナスエネルギーで返すのは、負のエネルギー同士をぶつけ合うだけで、全く生産性がない上に周りを巻き込みます。
それに、マイナスエネルギーをぶつけられたから。と言ってこちらもマイナスエネルギーを発生させれば相手のレベルに合わせている事となります。
相手の事を見下しているようですが、はっきりと、皆さまに報復を考えた時、自身に問いかけてもらいたい事を書かせて頂きます。
自分にマイナスエネルギーをぶつける人間は、明らかに自分よりも低次元な事をしているのに、それに自分は合わせて低次元になるのか?
その相手は、自分がそうするだけの価値があるのか?
その相手にあわせた結果、自分の実生活に利益はあるのか?
「殴る手の方がもったいない!」
とは有る漫画で長い間ひどい仕打ちを受けたキャラが命乞いをする相手の情けない様を見て発言した台詞ですが、ワタリの言いたい事はこれなんです。
低次元の感情を発する人間に合わせる必要はありません。
博愛なツインの知り合いもそうですが、他者からの言動でいきどおりを感じたり、怒りを覚えたりする貴方は実はとても優しいんです。
それに、他者を虐げたりした人間は走馬灯で自分から虐げたげられ、生前やって来た事を痛感させられると、我々人間を支配する冥府のルールで決まっていて、これから逃れる事はアセッドマスターですら許されません。
おごり高ぶり魔界系高次元を見下し続けたスコーピオンしかり、ツインに対して悪魔とのそしり続けたワタリの直前前世しかり。
「憎まれっ子世にはばかる。」とことわざでは言いますが、はばかったらはばかったなりに対価が来るのが、我々が最終的に支配されている魂の世界のルールです。
その上、いくら走馬灯を見て後悔をしたとしても、謝罪しやり直したいと願っても時すでに遅いんです。
葬式の場でいくら訴えかけても誰も気がついてくれない。
お墓か仏壇を媒体に訴えかけても誰も気がついてくれない。
生前なら出来たはずの事が全く出来ない環境の中、ただ後悔の念にさいなままれている事しか出来ないんです。
スコーピオンは自身の魔力でワタリの守護霊となり、ワタリを魔術師として育成する事と世話係としての立場を持つ事で魔界系高次元に対する贖罪のチャンスを得られました。
しかし、ワタリがそうであるように、多くの人々は追体験でしか贖罪をする事が出来ないのです。
そして、生前から追体験の事を知っていたスコーピオンはワタリを引き寄せるまでアセッドマスターになってもう転生をしなくなったのを追体験による贖罪のチャンスを失った。と判断し、とても苦しんでいた時期が有ったんだそうです。
そうでなければ、このブログに書かれているように、後悔の念に捕らわれそこから抜け出せなくなる事で贖罪をするのかもしれません。
どちらにせよ、これが他者を虐げてきた人間の末路なんです。
報復を実行すると言う事は、すなわち自身を他者を虐げてきた人間と同じ末路に向かわせると言う行動以外の何物でもないく、その行動は間違いなく貴方の魂や心の霊格を下げます。
霊格ってね、貯金に近いと思うんですよ。
貯めるのは地道な努力しかあり得ないのに、減る時はあっという間。って言う。
それでも報復をしますか?
こつこつこつこつこつこつこつこつ、それこそ人類創世記の頃から積み立ててきた自身の霊格を、たった一人の為に切り崩して、また修行のやり直しにするのですか?
考えるだけなら被害は少なくて済みます。
でも、無意識のエネルギーは余りにも巨大で、考え続ければいつしか報復の力が引き寄せられ、貴方も罪を犯してしまうかもしれず、もしかしたら真なる悪に狙われるかもしれません。
だから、報復を考えたら先ず深呼吸をして、頭を冷やしてから考えましょう。
相手は報復するだけの価値がある人間か?
報復した事で自身の実生活に利益があるのか?
もし、ないと言う結論ならばその人に報復するのは止めましょう。
そう、あなたが優しさゆえの鞭を振るう必要が本当に有る相手ならば、頭冷やして考えたって鞭を振るう価値がある。って結論に達するんですから。
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