スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

よくぞ言った宇治上神社の宮司殿よ!!!!!!!!!!!!!!!!

2015-11-16 21:00:00 | ワタリのエッセイ
ネット上で拡散したようですから、ご覧になった方もいらっしゃるでしょう。

京都は宇治上神社の張り紙が今回の話題なのです♪

非常に大切な事なので、こちらにも張っておきます。

小さなお子様をお連れの親御様へ
ここは神社です。
皆様が心を静めてお参りをされる場所です。
テーマパークでもファミリーレストランでもありません。
サービス業ではないのです。
「お客様は神様」の自論は通用しません。
本当の神様は目の前においでです。
当然、不敬な行動は叱ります。
親御さんがお子様をしっかり御監督なさって下さい。
お子様を叱るのは、親の責任ですし、親が不行き届きで、周りの人に叱っていただいたなら、逆切れではなく、「ありがとうございます」です。
自分本位な考えの大人になられないように、正しい教育で共にお子様の健やかなる成長を見守りましょう。

この張り紙に該当する親御さんは、ワタリも職場の受付で何度か見かけた事が有ります。

こちらの場合だと、スーパー銭湯を児童館と勘違いしている。と言うパターンが一番多いのですが、大体親本人がわがままで、それを通して生きる事が可能だった。と言うのが共通した思考のように思います。

海外はしりません。

ただ、ワタリが知る限り、この日本では過去にわがままな人が容認されていて、わがままな人を容認するのは社会的に良い事とされていた時代が有ったのは紛れもない事実なんです。

そして、そう言うわがままを容認されている人の周りには、天然でそれを容認できる人が集まるようですし、そう言う我がままに対しては、わがままを容認してしまった方が無駄なトラブルを引き起こす事がない為、ずるい人は警察沙汰にならない限りわがままを容認しちゃうんです。

その結果、自分がわがままで有ると言う事に気が付かず、走馬灯で大反省大会になって、次の世界では追体験地獄が待っている。

内心ね、こう言う話をしても、該当者と言うのはスピブロ自体を見るような人じゃないから届く事は無いんだろうな。と言う気はするんですよ。

走馬灯の事を話しても、その後必ず起きる追体験の事を話しても、絶対信用しない。

本当に死んだ時初めて体験して、嘘じゃなかったんだ。と言う事に気が付く。
でも、死んだら何も出来ないと思っていたから、何も出来ないままに終わるばかり。

あーあ、ワタリ現世で走馬灯体験の機会を得ていますけど、死んだらいきなりこれなんだろうなー。と思うと、本当お気の毒でなりませんよ(もちろんすごいイヤミ。)

このブログはランキングに参加しております。
貴方のワンクリックで今まで虐げられる事しかなかった高次元存在は救われ、エネルギーの源である人間からの愛を注がれ、人間が見習うべき彼らの深すぎて時としてうざい位の愛情は多くの人に知れる事となるのです。

三か所も登録しているので大変かとは思いますが、ワンクリックお願いします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

精神世界ランキング

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする